昼下がり
夏の暑い空気に冷たいものが混じった、と心地よい昼下がりに微睡んでいたラスティは気が付いた。
近くで、女たちの軽やかな笑い声が聞こえる。妹のカメリアは、リズともユーディアともすっかり仲良くなったようで、最近のユルグナーの邸では、頻繁に談笑の声が響いている。
それとは別に、窓の外からは、男たちのはしゃぎ声が聞こえた。リグたちがしばらく留まるのを良いことに、双子たちから魔術を教わっているレンは、グラムを相手に実戦練習しているようで。度重なる悪戯に、グラムは毎日悲鳴を上げて庭を走り回っている。
そんな彼らを横目にして、ウィルドは窓辺で本を読んでいる。ユルグナー家の蔵書に興味を引くものがあったらしい。この騒ぎの中で良く集中できるものだ、とラスティは感心する。
騒がしくも穏やかな、平和な午後。
これが、ずっと欲しかったものだ。
「え、もう帰っちゃうんですか!?」
ひときわ高くなったカメリアの声に、夢現のあわいを漂っていたラスティの意識は浮上した。ユルグナー邸のサロン。部屋の隅に置かれた長椅子を占領して、昼寝を決め込もうとしていたというのに。だが、妹の言葉は非常に気になり、ラスティは目を閉じたまま聞き耳を立てた。
「そりゃあ、そもそも我々、未だアリシエウスに来ているのもおかしい話だったし」
リズたち〈木の塔〉の四人は、拠点をルクトールに置いていて、たびたびアリシエウスに通ってきていた。目的は、〈継承者〉関係の後片付けが主。だが、それも一段落付いたということだろう。あれから一月が経つのだから。
「そろそろ帰るよ。いい加減シャナイゼが恋しくなってきたしねー」
「寂しくなります……」
「まあね。気軽に『来てね』って言えるような場所じゃないしね」
カメリアは何も言わなかったが、涙ぐんでいるだろうことは、ラスティには予想が付いた。かすかに洟をすするときのような呼吸の乱れが聞こえたからだ。
「あの……アーヴェントさんは……」
躊躇いがちなユーディアの声。
「ああ、あいつはまだ残るって。まだあの子にいろいろと教えときたいって言ってたから」
ユーディアは安堵しているようだった。
ルタという合成獣の少女は、何度かアーヴェントの集落に行くことを提案されていた。彼女の存在の特殊性は、どうしても人間の街に馴染めないだろうから、と。しかし、ルタのほうはこれを拒み、ユーディアと共に居ることを希望した。それは何も、ユーディアの執着ばかりではないらしい。自分という存在について、いろいろと思うことがあり、アリシエウスで何かを為すべき使命感に駆られているようだ。
アーヴェントは、最終的に彼女の意思を尊重した。だが、先輩としてはまだ不安があるようで、ルタに魔族の心得を教えたり、彼女が今後ここでどう振る舞うべきかを検討したりしている。その教育は、もうしばらく続けていくようだ。
「……本当のことを言うと、あの子を理解してくれる人が減るのは、不安なのだけれど」
「大丈夫ですよ、ユディさん。私がその子の友だちになりますから」
カメリアには合成獣や魔物のことを教えてはあるが、まだルタには会わせていなかった。だから安請け合いが心配になるのだが、一方で妹なら大丈夫なような気もしていた。意外と肝が据わっているのだ。
「彼女のことよりも、自分の心配をしたほうがいいんじゃない? ユーディアさんは。……彼の処分、まだ決めてないんでしょ?」
ユーディアは、あれからいろいろと奔走した結果、正式にアリシエウスの領主となることが決まったらしい。今はそのための手続きに追われているとのことだが……一つ、今回の混乱の元凶であるクラウスの処分については、棚上げしていた。悩んでいる、とのことだった。
「クラウスを処刑すれば、アリシエウスの人たちに私が味方であることを示すことはできると思う。でも、そうするとクレールの反発を買う。私がアリシエウス寄りで、本国に従わないと判断されてしまったら厄介だから」
かといって、ぬるい判断をすれば、アリシエウスの民の支持は得られない。それらに対するよい落としどころはないか、と今必死に模索しているらしい。
「……もちろん、私の個人的感情は抜きで、です」
直接的であれ、間接的であれ、ユーディアはクラウスに手を下すことになる。その心痛は計り知れない。他の人に投げることもできるだろうに、ユーディアはきちんと正面からその苛酷に向き合っている。
『私の理想を、まずこのアリシエウスから作っていこうと思います』
戦いが終わった直後、ユーディアはラスティをまっすぐに見つめて宣言した。
『私のこの折れた剣に誓って。貴方のアリシエウスを守ってみせます』
本当はアリシエウスを独立させられれば良かったのだが、そればかりはどうあっても難しい。だから、自分が領主となりクレールとの窓口となることで、アリシエウスをかつてのまま維持することを試みるのだ、とユーディアは言った。
ラスティとしては、故郷の人々がかつてのように気楽に生きられるなら、在り方はどうでも良かった。平和なら国の形である必要もない。……いや、いっそ国主の問題に直面するくらいなら、ユーディアの案に乗るほうが無難にも思えた。
しかし、そのために彼女の逃げ道を封じてしまったのは、申し訳なくは思っている。
少し悲壮な心持ちで、カメリアがユーディアの名を呼んだ。
「私も……私たちも、協力しますから……! ユディさんばかりに、押し付けたりせずに。一緒にこの国を守っていきましょう!」
また安請け合い、と茶化す気にはなれなかった。まだ幼いところもある妹だが、彼女は彼女なりにアリシエウスのために働く覚悟をしているのだ。もしかすると、このまま文官になる可能性だってあり得る。きっと苦労するだろうが、それに勇ましく立ち向かう姿が、ラスティの頭の中には浮かんでいる。
「ね。そうでしょ? 兄様」
……のだが、何故か矛先がこちらに来た。ラスティは転寝の体勢を維持したまま硬直した。
「兄様、狸寝入りはバレてますから」
別に、狸寝入りを決め込んだわけではないのだが。少しばかり起きる機会を逃しただけであって。
「リグー、ラスティ起きてるってー」
リズが(おそらく)庭のほうに声を張り上げているのを知って、さらに身を硬くした。今はレンがリグから魔術の指導を受けているが、実はラスティも双子から魔術のいろはを叩き込まれていた。〈召喚獣〉を使うのだったら必要最低限は覚えておけ、とのことなのだが。
いったいどこまでが〝必要最低限〟なのだか。やはりラスティには魔術を使う素養はないらしく苦労している。とても苦労している。こうやって隙を見て怠けるくらいには。
「そのまま外に出せー。フェンリル、やるぞー」
容赦ないリグの声に応じて、ラスティが手綱を握っているはずの紫紺の狼がラスティの足元に顕現した。フェンリルはラスティの服を咥えて引っ張る。長椅子から引きずり落とされたラスティは、そこでようやく観念して目を開いた。臙脂の絨毯に膝を付いた格好のまま、仔犬のようにはしゃいで窓から庭に出るフェンリルを呆然と見つめる羽目になる。
「……勘弁してくれ」
後頭部を搔き、溜め息を吐くラスティを、リズが冷たく急かす。仕方なく庭に出た。もちろん窓からではなく、庭に通じる出入口からだ。
「よっしゃ、この隙に休ませてもらおー」
軽妙な口の割には這々の体で、グラムが脇を通り過ぎる。ウィルドが本から視線を上げ、「グラムくんうるさいですよ」と一言。旅の間は知らぬ顔をしていたが、実際のところ彼もグラムを弄って遊んでいるようだ。仲睦まじきことかな、と思う。
次いで、ラスティと交替しようと前からやってきたレンは、グラムとは違い満足そうな顔をしていた。良い訓練をしたようだ。庭の緑を背景に、輝かんばかりの笑顔が見えた。
「……楽しそうだな」
「楽しいです。だいぶ実力が付いてきましたよ」
顔の前で拳を作り、誇らしげ表情をする。その姿に頼もしさを感じる前に気が遠くなるのは……相手がこの少年だからだろう。
「シャナイゼに行けば、もっと厄介になりそうだな」
レンは口を尖らせた。
騒動も終わり、宙ぶらりんの状態となったレンは、グラムたちに誘われてシャナイゼに行くことが決定した。〈木の塔〉で勉強をするのだ、と。ラスティは賛成した。教育こそ彼が求めるものであり、同時に必要なことだ、と常々感じていたからだ。
姉を喪ったことで不意になってしまっていたそれを、もう一度やり直して欲しいと思う。彼の好奇心と賢さは、そのまま放っておくのはあまりにもったいない。
庭でリグが手招きをしている。その周りを、フェンリルが落ち着かない様子で回っていた。
エリウスとほぼ同じくして、アリシアもそのまま姿を消してしまった。他の仲間たちには――ウィルドにさえも、会っていかなかったらしい。相変わらず掴めない、風のような女だった。
破壊の剣は、当然ラスティに残された。フェンリルと一緒に、だ。ラスティはこれから、この二つを守っていかなければならない。二度とこんなことが起こらないように。
渋々ながらも、リグのほうへと足を踏み出す。だから、ラスティは今、学ばなければいけないのだ。――午睡の欲求と戦いながら。




