断ち切る
むかしむかし。
とある国に、凛々しく勇気があり正義感のある王女様がおりました。
彼女は、戦乱の世に惑わされる民に胸を痛め、ついには戦場に立つことまでしたのです。
王女により、国の者たちはどうにか守られていました。
しかし、戦争は世界中に広まりました。
ある日。より事態が悪くなる世界を憂いていた王女のもとに、一人の少年が現れました。
彼は一振りの剣を王女に託し、世界を創り直す提案をしました。
剣を受け取りつつも、王女は悩みました。この争いを終わらせるなら、どんなことでもする。しかし、少年の提案は守るべき国民すべてを救うことはできない。王女としての使命を果たすべきか、それとも新しい世界を創る使命に従うべきか。なかなか選ぶことができませんでした。
そして、迷っているうちに、王女は戦いで命を落としました。
誰よりも嘆いたのは、側近の騎士でもあった王女の従姉妹です。
王女の死体に縋って泣く女騎士のもとに、あの少年が訪れました。一度は王女の手に渡った剣を持って。
『あなたは、彼女の代わりに役目を果たす?』
騎士は、剣を取りました。
そして世界は終わり――新しい世界が始まったのです。
「しかし破壊神は、以後役目を放棄した」
ラスティに同行するのを阻まれてぎゃんぎゃん吠えていた少年が、静止画にでもなったかのように動きを止めた。赤い眼と口を開いて、木偶のように突っ立っている。近くに転がっていた、まだ形を残していた木箱に腰を下ろしたレティアは、愉快な気分でレンを見上げた。
味方の説得を終えたのか、いつの間にかオルフェの仲間たちも近寄っていて、少年と同じように呆気にとられた様子でレティアの話を聴いていた。
「エリウスは綻びを取り繕うのがうまい。この世界を千年維持してきた。それは褒められるべきことであろうよ」
四人の神は、誰一人として同じ方向を向いていなかった。エリウスに特に反対しなかったレティアでさえ、気紛れに彼に従っていたに過ぎなかった。意見が近かっただけで、同じではなかったのだ。
エリウスは、それをどうにか巧いこと織り上げて、今の形に整えた。
「しかし、そもそも綻びは始めから存在していたんだ。彼の国の王女ではなく、アリシアがその剣を握ることになったときから。今の世界が創られる前――旧き世界が破壊される前から、ずっと」
ラスティ・ユルグナー。レティアは彼を焚き付けはしたが、実際のところ彼が何をするまでもない。織り上げた生地は、はじめから歪んでいた。今いくらエリウスが頑張ったところで、完璧な出来になるはずもない。
レティアは、ずっとそれに気づいていた。アリシアが動く前から。オルフェが変わる前から。
「なら」
目の前で黒い影が揺れる。二つの赤い眼が、瞬きなく鏡のようにレティアを見つめる。
「何故ラスティを行かせたんですか」
レティアは口元を綻ばせた。少年が意識をレティアに集中させて、耳を澄ませているのを感じ取る。此度の出来事の全てが、彼に内包されていく。さて、レティアの答えを知って、彼は何を為すのだろうか。
まだ見えぬ未来に思いを馳せて、レティアは口を開いた。
「決まっている。歪んで仕上がった不格好な布を断ち切って、また一から新しく織るためさ」
ラスティのときと比べて、それはあまりに静かだった。空気を切る音さえしたかどうか定かではない。まるで未練がましい残光のみを断つような一振り。
硬直したエリウスとラスティの前を、夜風が遠慮がちに通っていく。それほどまでに、静寂が此処に落ちていた。
剣を振り下ろしたアリシアは、身を起こし、足を揃えて直立した。剣をそっと地面に突き立てたのを合図に、泡が弾けたかのようにラスティは我に返った。
エリウスもまた、夢から醒めたようにしきりに瞬きをしながら、落ち着きなく辺りを見回す。
「何を……?」
困惑するエリウスの前で、アリシアは何処に隠していたのか短剣を抜き出した。その刃を自らの手に当てる。そのまま横に滑らせると、アリシアの手にうっすらと細い傷が走り、そこから血の雫が滲みだした。一滴、二滴、と目の前で地面に滴るそれを、ラスティは言葉なく見つめる。
「……どういうこと?」
「こういうことよ」
アリシアはなお血の滴る掌をエリウスに見せつけて薄く笑ってみせた。何処か満足そうに。
エリウスは目を瞠って、硬直した。ラスティはなお、訳が分からず眉を顰める。そんなラスティを見て、アリシアは噴き出した。
「神様は死なない。たとえ傷を負っても、すぐになかったことになる」
「そう……なのか?」
「死ねるんだったら、とっくに死んでるわ」
冗談にもならなそうなことを言って、彼女はからからと笑う。ラスティはまだぼんやりとした頭で、納得するしかなかった。言われてみると、いつまでも引きずるように生きるのは、アリシアらしくない。決断しなかったはずもない。
しかし、これまで自死さえ叶わなかったはずの彼女は、暗がりの中でもなお清々しい顔で傷口を見つめていた。
「私たちは、もう神ではなくなった。貴方に着けられた鎖を断ち切らせてもらったわ」
傷を握りこみ、拳を下ろす。そしてエリウスへと視線を向ける。
「神としての私たちも、神の思いのままになる世界ももう終わり」
世界が夜闇に包まれた。アリシアが一つ指を鳴らすと、蛍のように小さな白光がぽつぽつと現れた。森の拓けたこの場所から湧き出たかのように、地面から空へ向かってゆっくりと浮上していく。
神秘的な光景は、まるで神の所業と見紛う。
その光の中で、呆然と立つエリウスの顔は、青白く見えた。
「……どうして?」
見捨てられた子どものような一声。
「いい加減、長すぎる人生に飽きていたのよ。死ねない、ということは思いのほかつらいの。オルフェは、歳を取らない所為で大切な人の傍にいることもできない。私は、いつまで経っても大切な人たちのもとへ行くことができない」
「死にたかったの? ずっと」
「そういうわけでもない。……『生きていたかった』とも言わないけれど」
アリシアは腰の後ろで手を組み、ラスティからもエリウスからも背を向けた。そのまま一歩、二歩と遠ざかり、五歩ほど歩いたところで立ち止まる。
「ほとんど放棄していたとはいえ、神様なんてつまらなかったのよ」
アリシアは空を見上げる。先程まで見えなかった星が、まだ疎らながらも見えるようになってきていた。アリシアの魔術の灯りが次々と空に貼り付いているかのようだ。
「…………そっか」
ぽつり、と落とされた声は、寂しさを孕んでいた。肩を丸めたその姿は、置き去りにされた子どものようで。
この世に神は四人いたが、その中で絶対的な力を持っていたのはただ一人だけだった。もしかしたら彼一人でも充分に世界を回せたかもしれないのに、三人も仲間に引き込んだのは――。
「……分かった。これからは、一人でやっていくよ」
それは正解だったようにも思えるし、曖昧にされたようにも思える答えだった。
心底残念そうな少年の言葉に、夜空を見上げていたアリシアは弾かれたように振り返った。ラスティも彼女に遅れてその言葉の意味に気が付いた。
神が何人必要か、などということよりも、その前に。
「言ったでしょ? 僕が無くすことのできないその剣は、僕の片割れで僕の役目。剣が在るままなら、神としての僕もそのまま在るんだよ。――僕は、この世界の神だからね」
「……嘘でしょう? 結局独り相撲だったというの?」
暗がりで見えなくなった道の先を見つめながら、アリシアは腰に手を当てた格好で器用に肩を落とした。何をしたのかラスティにはよく分からなかったが、確かに今アリシアは、神ではなくなっている。他の二人にしても、きっとそうだろう。しかし、エリウスだけは例外であると本人の口から知らされた。
期待外れ、だったのだろう、アリシアにしてみれば。ラスティの隣に立つ彼女は、何処か拗ねているようにも見える。
「そうでもないような気がするがな」
事の終わりはあまりに呆気なかった。
あの後、特になにが起こることもなく、エリウスは二人と一頭の前から立ち去った。彼が今後、ただ独りきりの神として永い生をどう過ごすのか、それこそ神のみぞ知る事となる。
――ただ、破壊神の剣だけがラスティの手元に残された。
『これからは、その剣を求める人が多くなるだろう』
別れ際、エリウスは破壊の剣を引き取ろうともせず、淡々とラスティに告げた。
『存在の知れなかった剣の存在が公になってしまった。それはもう伝説ではない。きっと誰もが、力を求める』
『それを放置していこうというの?』
『なんで僕がそれをわざわざ人に託していると思うの?』
意地の悪い返しに、アリシアは苦々しく顔を顰めた。
『その剣は、創造神が持てる物じゃない。だからそれは、アリシエウスの王家から託された君の物だ』
喜べるはずもなかった。しかし、いらないと捨ててしまうほど、ラスティは単純でもなかった。
この剣の存在は世界を左右する。所有者次第で世界を活かすし殺しもする。誰の手にも渡って良いものではない。もちろん、ラスティであっても、だ。
それなのに、持っていろ、と彼は言う。
『少し悪いことをしたとは思ってる。けれど、僕にはそれをどうすることもできないから』
それは君に任せるよ。
そして慰めにもならない励ましの言葉を置いて、元凶は夜風とともに何処かへと消えた。
「……なあ、一応訊くんだが。あんたはこれを――」
「握るわけないでしょう。悪いけど」
だって怖いもの、とアリシアは言う。神様でなくなって子ども返りでもしたのか、とラスティは一瞬思ってしまった。
世界は変わったかもしれないが、ラスティの現実は結局何も変わらなかった。
ラスティはその事実に、アリシアと並んで肩を落とすほかなかった。




