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アリシアの剣  作者: 森陰 五十鈴
第十六章 神意
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人間でいたい

 何処へ行けばいいか、知っていたわけではない。レティアも教えてはくれなかった。だが、ラスティはアリシエウスを囲む森を行った。街の南東に在った連合軍の拠点から、森の南部を横断するように西へと進む。

 紫紺の狼が前を行く。全ては彼の案内による。狼としての嗅覚か、それとも神喰らいの獣としての嗅覚か。正直にいうと半信半疑だったが、他に当てもあるわけでもなし、フェンリルという狼を知るためにも従っている。

 東側は比較的平坦だった森だが、クレール側へと寄っていくにつれて起伏が現れた。根の飛び出した坂を登り、枯れ葉に滑る坂を下る。如何に森に慣れていようとも、足元の悪い行軍は体力を消耗した。遅れるラスティを、時折フェンリルが振り返った。暗い色の眼がラスティを試しているかのように窺っている。

 そして辿り着いたその場所は、森を穿つかのように突き出た三角の岩の上。岩とその下の地面とで高低差ができていて、ちょっとした崖となっていた。森の上に浮いたような気分を味わえるその先端に、件の少年神が立っていた。危なっかしいその場所から、低きにいるラスティを見下ろす。

「やあ」

 友人相手に交わすような気安くさで、エリウスは挨拶した。ラスティは無言で応じた。

「一人で来たんだね。わんちゃんはいるけど」

 グラムとリグは連合軍の対処をしているので、ついて来なかった。レンは同行を主張したが、レティアに阻止された。だから、ラスティ一人がエリウスと対面することになったのだ。

 誰が何を期待しているのか。その不安がないわけではない。だが、ラスティはラスティで決めた意志があり、そのためにエリウスに会う必要があった。

 木の足元に座りこんだフェンリルを置いて、ラスティは突き出た岩の境まで近寄った。エリウスの背後は空(から)。もし足を滑らせたりしたら、宙に浮かばなければ逃げ場なく、森に墜ちてしまう。

「それで?」

 ラスティは朱の剣を抜いた。そして、腕をまっすぐエリウスに向けて伸ばす。ただし、剣先は地面に向けて。

 ラスティに、エリウスを排除する意図はなかった。代わりに願うのは――

「この剣を、無くして欲しい」

 エリウスは少しばかり首を傾げ、目を細めてラスティを見下ろした。

「壊すのでも、消滅させるのでも、何でもいい。とにかく、この世界からこの剣の存在をなくして欲しい」

 世界を破壊するこの剣があるから、余計なことを考えるのだ。破壊神の剣がなければ、力を望むことも、誰かが力を得ることに怯えることもない。神になろうとすることも、誰かを神にしようと考えることもない。

 この剣の存在は、争いの種になる。無くしてしまえば、少なくとも今回のようなことはなくなる。

 そう思ったのだが。

「……それは無理だ」

 半ば予想していたことではあった。この少年神は、他人の願い(はなし)を聞かない。だが、それでも目の前が暗くなるような絶望を覚えた。

「その剣は、生まれたての赤ん坊だった僕が木の下で見つかったときから、ずっと傍に在ったんだ」

 唐突な話に、ラスティは剣を突き出した姿勢のまま目を瞬かせた。

「僕の片割れであり、僕の使命の象徴でもあり、僕自身への枷でもある。たとえ僕が望んでも、その剣を無くすことはできない」

 少しばかり意外な方向性。エリウスをまじまじと見つめて、その言葉の意味を噛み砕く。まるで他の四神たちと同じように、彼自身も何かに選ばれたかのような――

「君は、アリシアに代わることを拒むんだね」

 ラスティは、ようやく剣を持つ腕を下ろした。

「神になる気はない」

 エリウスに言われるがまま、ただ力を振るうだけの存在になることを、ラスティは望まない。

 だが、それ以上に。

「……俺は、人間でいたい」

「どうして? 君の大事な人はもういないだろうに」

 ラスティは肩を落とし、瞼を伏せる。

「ハイアンとディレイスだけが大切な存在だというわけではない」

 二人は誰よりも大切な人物ではあったが、ラスティの人生の全てを預けていたわけではない。ラスティにはまだ、家族がいる。友人もいる。今回のことで新しい仲間もできた。それに――

 眼裏を駆け抜けていった人々の顔を見送り、目を開ける。もう一度エリウスをしかと見据えた。

「俺はこの世界で、まだ生きていたいんだ」

 神のように超越した存在ではなく、この世界の一員として存在していたい、と願う。

「いられるよ? オルフェみたいに、たまに名前を変えたり、住む場所を変えたりする必要は出てくるけど」

 ラスティは嘆息した。

「そういうことじゃない」

 ラスティは、あまりオルフェと話さなかった。しかし、共に行動していただけに、少しは分かる。彼はきっと闇神(あんしん)として過ごした時間を、『生きた』とは言わないだろう。ユーディアが禁書を求めていることを知ったときに見せた闇神の顔。リズやグラムたちを見守るときのウィルドの顔。血が通っているように見えたのは、後者だった。

 周りと同じ場所に立って、同じ目線でものを見て、一喜一憂して、分かち合って。そのときそのときの刹那を身の内に抱え込んでいくような日々を過ごしていきたい。

 一方で、その宝物が風化していくのを惜しみながら眺めるだけの余生はいらない。

 目の前の少年は、ラスティの望みが解らないらしく、口元に拳を当てて首をひねっている。

「どうしても、破壊神は必要なのか」

 アリシアが役目を放棄してきた千年。それでもこの世界は、どうにか運行してきた。過去どのような事態があったかなど明確に知らない。だが、世界は現在を形作って営みを続けている。破壊神の力が必要なことがあったとは、とても思えない。こんな破壊の剣などなくとも世界は回るのだとしかラスティには思えない。

 だが、それでもエリウスは首肯した。

「残念ながら、僕だって万能じゃない。創ったものが手の届かないところまで行くことだってある。二百年前の合成獣(キメラ)や魔物がその例だ」

「利用しておいて、よく言う」

「自分の所有物(もの)じゃない物なんて、〝どうでもいい〟でしょう?」

 なるほど、そうと知ると合点がいくところもある。合理的に見えても、卓越して見えても、結局彼は徹頭徹尾子どもの理論で動いているのだ。

 ラスティは少年から目を逸らし俯いた。

「実際、合成獣の例をとってみても、闇神という抑止力だけでは不十分だった。〈継承者(エリティエ)〉なんて現れてね」

 一度できた歪みは、隠しても諭(さと)しても脅しても、いつか大きくなって顕在化する。一度あると知られた術は、どれほど禁じられても手を伸ばすものが現れる。

 だったら、完膚なきまでに砕いてしまえばいい。

「間違った在り方をするものを取り除き、世界を在るべき姿に戻す修正者。それが破壊神だ。必要不可欠なんだよ」

 ラスティは今度は天を仰いだ。いつの間にか、木々の先が黒く染まりだし、空は赤みを帯びていた。いつの間にか日がだいぶ傾いてきているようだ。長い一日もようやく終わろうとしている。

 ラスティの旅も、終わりを迎えている。

 エリウスの考えは、理解できるところもあった。手に負えない出来事を前に、『全て壊れてしまえばいい』と誰しも一度は思ったことがあるはずだ。

 だが、普通はしない。できない。だから、誰もやらない。

 ――もし、そんなところに、できる力があったら……?

「だから、お願いだよ。僕と一緒にこの世界を守って」

 周囲に闇が落ちてきている中で、誘うように手を伸ばすエリウスの背後だけが、まだ赤く眩かった。子どもの懇願と神の絶対的な威光を前に、ラスティは頭を抱える。彼はどうしてもラスティの心情を理解せず、無視してそちら側に引き込もうとしている。

 もう勘弁してほしい。

 解放されたい。この神剣の重みから。

 いつの間にかラスティの隣まで忍び寄っていたフェンリルが、牙を剝き出しにしてエリウスを威嚇しはじめた。

 ――不愉快な神など喰ろうてしまえ。いなくなれば、二度と煩わされることもない。

 フェンリルの言葉が蘇る。それしかないのか、と思ってしまう。どうしても聞き入れてもらえないというのなら……排除することだって、やむを得ないのではないだろうか。

 この狼のことを良くは知らない。だが、おそらくフェンリルはそ(・)れ(・)ができる。レティアが言っていた〝綻びを拡げる〟、その手段がこの紫紺の狼のことなのだと今なら解る。

 鼻面の前に手を出してフェンリルを抑えながらも、ラスティは迷う。ラスティの願いを通すために最善な手は――

「それは、誰にとっての世界?」

 森の奥から出てきたのは、久しく見なかった女。ある意味でもう一人の元凶。本来できなかったはずのことが、できた者。

「……アリシア」

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