頼り
「えっと、整理すると――」
天幕でまだ座り込んだままのリグは、深い溜め息を吐いた。目の前には、エリオット。半ば身体を縮こませつつも、不貞腐れた様子を見せている。斜め右側には、グラム。こちらはもう、完全に呆けていた。
「お国のために力や知識が欲しかったエリオットさんは、いろいろあって〈継承者〉の一員となった。ある日、仲間がアリシエウスで〈召喚術〉の実験をすると聞いた。エリオットさんは、仲間の要請に応えて、〈召喚獣〉の案山子となる連合軍の兵士たちにアリシエウスを襲わせた。そうすれば、〈召喚術〉の有用性を世界に示すことができるから…………アホか?」
もはやリグに自制心はなかった。聴いた話を繰り返してみたが、やはりどう考えても論理が成り立たないところがある。眉間を指で挟み、揉んで、癇癪を起こしそうなのを必死に宥めた。
「お国のため、とか言ってた奴が、なんで国の敵に味方を売り渡してんだ? 普通『実験台にするな!』って怒るところだろ。百歩譲って俺たちやサリスバーグの連中は良いにしても、敵勢力に強力な武器が渡ることになるから、結局リヴィアデールの得にはならないよな」
どれほど間抜けでも、すぐに分かりそうなものだ。現に、ずっと黙っているグラムは百面相をしながらエリオットを凝視していた。陰謀などにさして興味を示さない彼でも、エリオットの言い分がおかしいと気づいている。
つまり、それだけ浅はか。
「大方、〈継承者〉の連中とつるんでいるうちに、目的と手段が入れ替わったんだろうが――」
これはわりと〈木の塔〉の魔術師にもある。魔術師たちを一般化したとすると、奴らは好奇心が強くて理性を外しがちな生き物なので。
「そういうわけじゃ」
「じゃあ、どういうわけだよ。すでに『お国のため』とか口が裂けても言えないこの状況で。そうやって流されやすいうえに迂闊だから、中途半端な利用のされかたしかされないんだろうがよ!」
苛立ちに任せて徹底的に扱き下ろす。この哀れな宮廷魔術師を今ここで絞り上げるのが、むしろ慈悲だとさえ思っていた。このまま放置すると身を滅ぼす。一人でならご勝手にだが、周りも巻き込まれ兼ねないのだから、今のうちに是正する。
とはいえ、もう一度気絶したほうが良いのではないかと思うほど頭の中が煮え滾ってしまい、リグは言葉を失くして呻くことしかできなかった。落ち着きなく身体を動かし地団駄さえ踏むリグを、グラムが哀れみの目で見る。それさえもどうでもよくなったリグの耳元で、姿を現していないスコルが囁いた。
頭の中に氷を直接注ぎ込まれたかのような衝撃を受けた。
岩さえ吹き飛ばせそうな溜め息を一つ。
「ほら来た」
狼の咆哮が聞こえたのは、そのときだった。
はじめは、スコルの声に似ていると思った。
だが、よくよく思い返してみれば声色が違った。腹の底に響く、威勢の良い元気な声だった。スコルのは――なんというか――もっと渋い。
連合軍の陣に現れたのは、日の光に照らされ暗い紫が躯に浮かぶ、ハティやスコルと同じ雰囲気を纏う狼だった。それだけに、突然の襲撃に混乱する兵士たちの中からリグを糾弾する声があちこちから飛んでいるが、それは置いておいて。
「えっと……」
兵士たちを何人か薙ぎ払い、天幕をひっくり返し、森の開けたこの場所の真ん中で苛立たしげにこちらを警戒する狼を見上げながら、グラムが言葉を選ぶ素振りをする。既に剣を抜き、視線は狼に。だが、横目で窺うような気配をリグに向けている。
リグも言いたいことは汲んでいた。
「……やっぱり不安定だな」
その上で、回答より先に、認識しておくべき状態を口にした。
「この世界に存在できるよう、書き換えられていない。かろうじて繋ぎ留めている感じだな」
原子同士が繋がって分子となるように。型に入れて作り上げた砂の像に糊を流し込んだかのように。魔力が繋ぎとなって、今この世界に躯をなんとか残している状態だ。
「使ったのは、リズの魔力だな」
「……おれ魔術師じゃないから分かんないんだけど、魔力ってなんか匂いでもついてんの? なんでいつも見てないくせに分かるんだよ」
「情報と状況から判断しただけだよ。だから、異世界の門を開けてあちらの生き物を引っ張り込むなんて、俺たちくらいしかできないって言ってるだろ」
リグはここにいるのだから、リズしかあり得ない。しかも彼女は今アリシエウスの中にいる。どうしてそうなったかまでは謎だが、リズが奴らの〈召喚術〉に手を貸すことになってしまったのだろう。
ハティを経由して連絡が取れないあたり、確信が持てる。それだけの力を使い果たしてしまったということなのだから。
「そのうち消える?」
「……そのうちな」
時間は不明だし、その間に狼の被害を受ける人間も増えるだろうが、持久戦に持ち込めば勝算があるのは、確か。
「でも、助けてやりたいと思ってる」
普段惚けているくせに、こういうときグラムは的確にリグたちの心情を読み取る。
その通りだ。助けてやれる手立てなどない、と分かっていても、リグはあの狼を助けたいと思っている。自分たちの罪に因果があるからというのが一つ、異世界の生き物を哀れに思うのが一つ。そして、
「あいつ、スコルたちの同郷だってさ」
ほとんど無意識に喚び出していた、リグの使い魔となった狼。自分の肩に乗っかった鼻面を撫でてやる。すっかり懐いたこの白狼が可愛くて仕方がない。その狼が先ほどからずっと、囁くのだ。あいつを助けて、と。
「スコルに至っては、あいつと同一視されることもあったらしい。縁が深い。だから、心配してる」
「助けられるの?」
「……分からない」
唇を引き結ぶ。言葉を濁すが、正直なところ〝無理〟に近い。一番いいのは、スコルたちのように契約して繋ぎとめることだが、リグにもリズにももう一頭を匿うだけの余裕がない。
「でも、全く手がないわけじゃないんだろ?」
グラムがこちらを向いている。いたって見慣れた、能天気な――きょとんとした顔。一見すると状況を理解していないようにも見える。
だが、違う。これは、リグを信じている顔だ。とぼけているようで、ちゃんと知っているのだ。スコルたちを召喚してから二年近く、〈召喚術〉を研究し続けてきたリグたちの積み重ねを。そこで得たものを。
「おれが時間を作る」
どうにかしろ、と押し付けてきたりはしないし、自暴自棄に振る舞うわけでもない。根拠のない確信をリグたちに寄せているわけでもない。ただ機会を作るという宣言。可能性に賭けるのではなく、可能性を作るという。
「頼りになるな、うちの隊長は」
顔の強張りが少し解けて口元を緩ませると、グラムが悲壮な表情を浮かべた。
「ひでぇ!」
「今度は言葉通りだよ」
だから頼んだ、というと、グラムは太陽のように笑った。
「よっしゃあ! そんじゃ行くぜー!」
拳を振り上げて気合を入れると、彼は紫紺の狼のほうへと駆けだした。リグはスコルにグラムの援護を指示する。
グラムは狼の目の前に立って大きく剣を振り上げる。気を引かれてた狼は、きちんとグラムを脅威と感じたようで、じっと身を低めてグラムを見ていた。グラムはその目を見返しながら、手を振って周囲に下がるように指示する。排除するのではなく助けるのだから、彼らはかえって邪魔となる。
連合軍の者たちは、素直に狼の傍から離れてくれた。より少し離れた位置で心配そうに見守っている。
紫紺の影が動く。グラムは身構えたが、牙が迫るのが思ったよりも早かったようで、咄嗟に背中から転がるように倒れ込んだ。同時に足を振り上げて顎を蹴りあげる。
きゃう、と図体からして可愛らしい声で、狼が悲鳴を上げる。
グラムが地面を転がって狼から距離を取り、立ち上がったところでようやくリグの魔術の準備が整った。グラムに向けて手を翳す。彼の全身をうっすらと白い光が覆う。時間が欲しいからこその守護の術だ。
術に気が付いたグラムは、さらに意気揚々としだした。
「いっくぜぇっ!!」
本当に頼もしい限りだ。
グラムが少し身を屈めて走り出した。声を上げて気を引きながら正面へ。振り下ろされる前足を躱し、横に回って斬りつける。その隙をついて、スコルが狼の喉元に食らいついた。そのまま体重を掛けて倒し、二頭で地面を転げまわる。いくら開けた場所でも、あの巨躯が転がりまわれば、すぐに森にぶつかった。木の幹で強かに背を打った紫紺の狼が痛みに悶える。その隙を逃さず、スコルは狼の胴体を両前足で押さえつけた。
リグはなるべくその顔の前に近寄った。
「フェンリル」
スコルから聞いた名を呼ぶが、狼は止まらない。
「頼む、少しおとなしくしていてくれ。痛いことはしないから」
なんとか宥めようとするが、それでもフェンリルは聞く耳を持たなかった。――いや、そもそも聞こえていない。ずっと恐慌状態に陥っているのだ。自分の身に起きていることを理解して、絶望したか。
ならばなおさら、助けてやりたい。
しかし、それなら彼に協力してもらわねば――必死に頭を回転させて手立てを探す。
考えるのに集中しすぎて、頭上が陰っていることに気付くのが遅れた。
「やば……っ!」
スコルを振り払い振り下ろされる前足を目にして、リグは慌てて飛び退いた。が、初動が遅れたか、ローブの裾が遅れて残ってしまい、爪に引っかかった。体勢を崩したリグに、さらに狼が両前足を振り被る。一瞬ひやりとしたが、スコルが体当たりをしてくれたことで、裂かれることは免れた。
グラムが狼に突っ込む。何度か攻防を繰り返し、振り払うような前足にふっ飛ばされていた。リグの守護のおかげで大事には至っていないようだが、容赦ない追撃がグラムに迫った。牙がグラムの喉元を狙っている。
リグはグラムの名を叫ぶ。
グラムはとっさに身を庇って左腕を上げた。
その左腕が食い千切られる幻覚を見る中で、硬い物を噛む音がする。
ラスティがそこにいた。




