同情
街の中での聞き込みから手掛かりを追い、狼が街を出て森に入ったことを知った。ラスティたちは馬を走らせ、街を出、森へと入る。
ルクトールまでの道は、森をただ真っすぐに穿っているだけで、傷や倒木などもなく静かだった。揃って馬を降り、しゃがみ込んで痕跡を探す。さすが光神というべきか、レティアが光の球を宙に浮かべてくれたため、陽射し遮る森の中でも細かい痕跡を探せるだけの十分な明るさを確保できた。
「あちらのほうだな」
レティアは道ではなく、森の只中を指差した。東に延びる道よりも少し南寄り。そこは、連合軍が陣を張っている辺りではないだろうか。リズからの話と照らし合わせての推測になるが。
「……馬を置いていこう」
「せっかく連れてきたのに」
レンの気持ちは分からなくもないが、狼の足跡を追いながら森を行くこと、敵陣に近づくことを考えると、速さよりも慎重な行動が求められる。
馬の首元を叩き、城に送り返す。よく訓練された馬たちなので、乗り手がいなくても真っ直ぐに戻れるだろう。
森の中へと足を踏み入れる。この世ならざる狼が通り過ぎたからだろう、森は静まり返っていた。動物たちが息を潜めている。ラスティは、レンと出逢ったときのことを思い出し、少しばかり懐かしさに囚われた。
柔らかい土を踏みしめ、背の高い木々を躱す。知った道だが、満足に休めていない身体に疲労が伸し掛かっており、いつも通りとはとてもいかなかった。思えば、長い一日だ。神剣を振り下ろしてから、どれだけの時間が経ったのだろうか。これでもかというほどの事態が次々に押し寄せてきたというのに、日はまだ沈んでいない。太陽は全てを見届けようというのだろうか。
森の中を抜ける風だけが、ラスティの背を押す。夏でも森の中は不思議と心地良い温度を保っている。暑さが和らぐだけでも、身体は軽くなるものであるらしい。
先導するレティアの後を追う。彼女は堂々と淀みなく森を進んでいく。あくまで追跡のはずなのだが、まるではじめから行く先を知っているかのように錯覚させられる。
「……どうやら、正解だったようだな」
彼女が歩調を緩めたのに続き、混乱の様子が耳に届いた。梢の間から暗い色の天幕も見え、連合軍の陣に近づいたのだと知る。だが、生き物で見えるのは、紫紺の狼と白い狼――スコルのみ。駐留していただろう敵兵たちの姿は、少なくともここからは窺えなかった。
「リグたちがいるようですけど」
「そうだな……」
「どうします? 任せちゃいます?」
ラスティは顔を顰めた。紫紺の狼の暴走はひとまずここで食い止められているし、リグたちは信用できる。だが、あれほど覚悟を決めておいて、〝任せられそうな人がいたら押し付けて知らんぷり〟などというのは、あまりにみっともない。
「……加勢するぞ。任せてばかりはいられない」
「えぇ……」
レンは嫌そうに肩を落とした。
「話すんじゃなかったのか?」
「そりゃあまあ、姉さんを思い出しましたけど」
それで彼は珍しく、あの狼に同情心を見せていたのか。レンでなければ知れなかったことなのかもしれない。
「ならばなおさら、見逃すわけにはいかないだろう」
ラスティは剣を抜き、天幕のほうへと駆けた。
リヴィアデールとサリスバーグの連中が木を切り倒しただろうその場所で、あちこちに支えを失った天幕が倒れ、踏み荒らされていた。備品らしき瓶や木箱の残骸、武器も散乱している。
その真ん中で、紫紺の毛並みを持つ巨狼が白い巨狼と戦っていた。言うまでもなく、白い狼はスコル――リグの狼だ。
辺りを見回す。狼たちが絡み合うすぐ傍にリグが立っている。紫紺の狼に何かをしようとしているが、その狼がリグを拒んだ。下がるリグと入れ違いにグラムが前に出て、攻撃してはやられていた。
ラスティは足を速めた。剣もとうに抜いている。
地面に転んだグラムに、紫紺の狼の牙が迫る。ラスティはなんとか自分の身を彼らの間に割り込ませた。掲げた剣が、牙にぶつかる。
噛まれた剣を押し返す。しかし、相手の身体が大きいだけあって、なかなか動かない。むしろこちらが押されていた。せめてグラムが這い出るまでは、と耐えていると、後から来たレンが高いところから降りてきて、その勢いで狼の胴体を跳び蹴った。身体がよろめき、口が開かれた隙に後ろへ数歩下がる。
「またいいタイミングで来やがったなチクショー、このイケメンっ!」
間合いを図っていると、背後で全くもって場違いとしか思えない台詞をグラムが吐いた。緊張感がない。脱力しそうになった。呆れながらラスティは振り向く。
「それは褒めてるのか? 責めてるのか?」
「褒めてる」
今の今まで苦戦していただろうグラムは、そうとは感じさせないほどけろりとした顔で返す。が、すぐにその呑気な顔から表情が消えた。
「……無理してこなくても良かったのに」
「故郷を壊されても困る」
「それもそっか」
応えて、グラムはラスティを軸にして回転するように前に出た。甲高い狼の悲鳴。ラスティを庇ったグラムの回転蹴りが顎に当たったようだ。それから声を上げながら、剣を大きく振りかぶる。牽制しているようだ。
「リズは?」
狼の後方にいたリグがラスティの隣に並び、奥へと行ったグラムと狼を目で追い掛けたまま短く尋ねる。それに続いてレンとレティアがこちらに集まる気配を感じた。
「あれを喚び出すのに使われました」
「あちらにはオルフェが行っている。問題なかろうよ」
「あんた……またお節介してる?」
リグが半ば引き攣った表情で背後を振り返っているのは、レティアの所為だろうか。ラスティも背後が気になって少しばかり振り返る。
「信用ならないか?」
「……あいつのことは、そうでもない」
面白がっている様子のレティアと、面白くなさそうなリグ。リグたちも気苦労は多そうだ、と同情する。
「ねえ! ちょっと! 少しはおれのことも構ってくんない!?」
悲愴なグラムの叫びがラスティの意識をあるべきところに戻した。気を抜いたラスティたちの前で、彼はきちんと一人で狼を相手に奮闘していたのだ。
「分かってるよ! ったく、うるさい奴だな」
ぶつくさと不機嫌そうにつぶやきながらリグは杖を掲げた。魔法陣が現れ、蔦が狼に向かって伸びていく。狼の傍で蔦の先端がうねるが、狼は巧みに躱した。そこにスコルが追いすがり、グラムが逃げ道を塞ぐ。紫紺の狼は苛立ちを露わにして吠えた。
ち、とリグは舌打ちをすると、ラスティのほうを睨むように視線を向けた。
「とにかく奴を捕まえたい。捕縛しやすいように、奴の気を引いてくれ」
後ろの二人にも同じように協力を願い、ラスティたちは駆けだした。
グラムが正面に立っていたこともあり、ラスティとレティアは側面から挟み込むように動いた。狼の逃げ道を封じる。身軽なグラムは見事に狼の牙と前足を躱し、狼を牽制する。すると狼は、右側に立つラスティの塞ぐほうを強行突破しようと突進した。当たればたちまち吹っ飛ばされそうな体積をどうにか躱す。標的を仕留め損なった狼が速度を落とした先で、レンが鉾槍を大きく振る。咄嗟に足を踏ん張って身を引く狼だったが、その鼻面に柄が当たった。
怯んだ狼の足に、蔦が絡みつく。足を取られ横転した躯に次々と地面から蔦が伸び、その身を、そしてその口元を拘束していった。
ラスティたちが動きを止めた中で、リグが一人紫紺の狼の顔の前へと歩み寄る。間近でしゃがみ込み、その鼻面に手を掛けた。
「おとなしくしてくれ」
塞がれた口の隙間から、狼が唸る。しかし、その声に何処か弱々しさを感じた。憤怒というよりは嘆いているようで、悲しげだった。
「どうする気だ?」
事前にレンの見解を聞いていたからだろうか、ラスティもこの狼に少しばかり憐れみを覚えている。
「どうにか繋ぎ止める。時間稼ぎにしかならないが……」
「契約すればいい」
リグの右頬が痙攣するように引き攣った。レティアに向ける目が据わっている。
「誰ができるんだよ」
「そこの英雄殿がうってつけじゃないか」
含み笑いを浮かべるレティアを睨みながらも、リグは目を瞠った。
「ラスティ……?」
リグの視線があちこちを探し回り、足元に落ちた。
「確かに魔力は……でも、制御が……いや――」
口元に指をあてぶつぶつと呟くリグの顔が、次第に晴れ——しかし、もう一度曇りだした。
「できんの?」
「……できなくはない。やりようはある」
「ある程度抑えるとはいえ、常に魔力を消費することになるぞ。身体に負荷が掛かる。それに——」
リグは鼻に皺を寄せ、唸るのを堪えるような表情を作った。
「正直にいうと、あんまりラスティにこの手の力を集めたくない」
ラスティは、未だに腰にある神剣の柄を握った。もはやこの数ヶ月で癖になっている、無意識下の行動だ。
ラスティはレティアを睨めつけた。
「エリウス側だと言っていたな。俺に味方するようなことを言っておきながら、そちらが事実だったわけか」
「嘘は吐いていないぞ。ただ、私がそれに協力するとは言わなかった」
ラスティは天を仰ぐ。アリシエウスを出る前、ラスティはレティアの言葉を否定したものの、自分でもそれと気づかず乗せられていたというわけか。
「……分かった。やろう」
友人たちが騒めく。やめておけ、とでも言いたそうだったが、他に良案がないのかリグが俯いたのを見ると、グラムとレンが手を引っ込めたように消沈した。
これを見ると、ラスティもなおさら諦めがつく。癪でもなんでも、やらないわけにはいかないのだ。ラスティにとってもっとも大事なのは、神様の企みを暴くことではなく、アリシエウスの眼前の脅威を取り除くことだから。
仮にもこの世界の形を創った神。ラスティの尊厳を踏みにじっても、独り善がりでも、国や世界の全員を絶望のどん底に落とすようなことはしないはずだ。
「いいのか?」
宣言すれば、リグは心配そうな表情でラスティの顔を覗き込んでくる。頷いてラスティは狼の前にしゃがみ込んだ。その鼻面に手を置く。
「もう、手遅れだろう」
自分がどんどん泥沼にはまっていることは自覚していた。けれど、選択肢など他にないのだ。




