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アリシアの剣  作者: 森陰 五十鈴
第十五章 紫紺の狼
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選ばれし者

 保留事項はあれど、ラスティたち三人は急ぎ狼の追跡に向かうのだが、

「え、僕、馬になんて乗ったことないんですけど」

 さっそく壁に直面した。

 相手は獣であること、ラスティたちの疲労もあること。その辺りを考慮して、馬を使うことをレティアが提案した。森に囲まれたアリシエウスは、のびのびと走らせる場所がないこともあって、乗騎はあまり一般的ではない。それでも、一部の層は便利さゆえに利用することもあるし、有事を想定して王城は馬を抱え、騎士は騎乗訓練を受けさせられる。ラスティももちろん例外ではない。

 だが、海辺の寂れた村から来た少年がその技能を持たないことには、思い至らなかった。

 いや、よくよく考えてみると、彼も当たり前に乗れるだろうと思っていた自分がおかしかった。旅では一度も馬に乗らなかったというのに。

 ――でも、ならどうやって、あの狼を追いかける?

 人の足で駆けたところで、追い付けまい。追い付けたとて、一戦できるだけの余力があるだろうか。やはり現状馬での移動が効率的なのだ。

 ラスティは口元に人差し指を当て、軽く噛んだ。足先が何度も地面を叩く。城の裏手、騎士の詰所の近く。訓練場に並ぶように置かれた厩の前で、ラスティはひたすら次の手を考える。ラスティの居場所の一つともいえるこの場所に人ひとりいないことが、何故か今妙に落ち着かなかった。――呼んでも、誰も来ない。

「そう苛立つな」

 背後から肩に手を置かれる。ラスティは眉根を寄せたまま振り向いた。光神は、腹が立つほどの鷹揚さで語りかける。

「〝急いてはことを仕損じる〟。場当たり的に動くんじゃない。まずは己の手札を確かめろ」

 焦っていたのか。諭されて自覚をすると、頭の中が一気に冷えていった。――レンを置いていくことを考えた。あまりに身勝手で短絡的な思考。〝場当たり的〟という言葉が、胸に突き刺さる。

 尻に火がついたような焦りは、たちまち沈静化していった。自身の深い失望へと突き落とされることで。

「……俺は、目先のことしか考えられていない」

 エリウスの思惑を阻止できるかも、と気が逸っていた。レティアの煽りに乗せられていた。だが、我が身を振り返ってどうだろう。頼まれたから、国を出た。故郷が危ないから、帰ってきた。合成獣が造られていると聞いたから阻止しようとし、国が戦火に巻き込まれると聞いたから剣を振るった。

「今もそうだ。あの狼が故郷を荒らすから、止めようとしているに過ぎない。そんな俺に、何を求める?」

 レティアは先程、綻びを広げるといった。だが、場当たり的な対処しかできないラスティに、いったい何ができるというのだ。ラスティには、エリウスの思惑を凌駕するだけの能力(ちから)などない。

「では止めるか?」

「……いや」

 誰の思惑の範疇であったとしても、ラスティは故郷の危機を見過ごす選択肢を持たなかった。だからこそ、不安になる。それでいいのか、と。

 馬が鼻を鳴らしている。ラスティたちが厩の前に立っていることが気になっているのだろう。人を乗せるのか、乗せないのか。決まらないことには、落ち着かないらしい。

 一歩下がったところにいるレンも、同じもどかしさを感じているのだろうか。ラスティは、いつもまごつくから。

 雑念を追い払うよう、頭を振った。なんだかんだ言っても、ラスティはしたいことが決まっているのだ。なら、それを確固たる意志で貫き通せばいい。モヤつきは胸の隅に追いやって、厩の中へと足を踏み入れようとすると。

「何故私が、お前を選んだと思う?」

 唐突なレティアの問いに、ラスティは戸惑った。顔を上げると、厩の壁にもたれるように立つレティアは、何処か遠くを見る眼差しで正面を向いている。はっきりと芯の通った声でなければ、独り言と聞き漏らしていたことだろう。

「え?」

「本来エリウスが破壊神(アリシア)に替わる者として選んだのは、クラウスとかいうクレールの神殿騎士だ。彼はエリウスの信者。間違いなく期待に応える」

 それは、一度クラウス本人を見たことのあるラスティにも分かった。あの清廉さは、神のものに似た威圧感を覚えさせる。

「オルフェとアリシアはあの子どもに反発しているが、私はそうでもない。もとより私はあの子どもの考えに乗ったからこそ、千年前に光神を引き受けた。いうなれば、私はエリウス側だ」

 エリウスの綻びを広げることに、躍起になる立場ではない。この宣言には、少しばかり驚きを覚えた。会う者みながエリウスへの反発心を見せていたので、彼女がラスティに協力を申し出たときも、特段疑問にも思わなかったのだ。……それは間違いだった、ということか。

 なら、彼女は今むしろエリウスの都合の良いようにラスティを動かそうとしているのだろうか。今さら警戒するラスティたちに、レティアは苦笑した。

「だが、私には光神としての(さが)が、お前を選んだ。何故だと思う?」


「君は行かないの?」

 召喚された狼がいなくなり、ラスティたちが何処かへ向かったのを見送って、なおそこに立ち続けたユーディアに、クラウスが尋ねる。そこに底意地の悪さを感じ取って、ユーディアは溜め息を吐いた。――こんな意地悪な人だっただろうか。

「そうしたら、誰が貴方を止めるっていうの?」

 無論、彼らが心配ではある。だが、ラスティは一人ではないし、剣もある。どうにかするだろう。

 負傷者も、ルタのことも気にはなる。しかし、同じくこの場に残ったアーヴェントが動いてくれている。任せておいても良いだろう。

 それよりも、クラウスがこれ以上何かしないよう食い止める人間が必要だと思った。この中で適任なのは、間違いなくユーディアだ。

 ユーディアはクラウスを睨みつける。彼が次に何をしようとも、すぐに止められるよう心構える。今ユーディアの手には、折れた刺突剣(エペ)しかないが……それを言い訳に逃げる気はなかった。

「見張りってわけだ。感激だね」

 だが、いつも――いつもクラウスは、ユーディアの真剣さを横に流す。こちらが真剣に止めてほしいと言っても、全く聞き入れない。

 ユーディアは剣を固く握りしめ、歯を食いしばる。それでも睨みつけていた視線は、地面に落としてしまった。悔しくてたまらない。いつも何一つ変えることのできない自分が。

 視界の隅でクラウスがふと顔を上げる。空を仰いだ。わずかに顔を傾けて――東のほうか。

「あの狼は、神を喰らうのだそうだ。そして、いずれ世界を滅ぼすと言われていたらしい。破壊神にはふさわしい相棒だと思わないかい?」

 一度拒絶された答えが今になって返ってきて、顔を上げたユーディアは瞬きする。彼が〈召喚術〉に手を出した理由としては腑に落ちる。

「でも、貴方は狼を従える術は知らない、って」

「知らないよ。知る必要がない。だって俺は、破壊神にならないからね」

 思わぬ言に声が漏れる。そんなユーディアの反応に、クラウスは悪戯に成功した子どものような笑い声をあげた。

「俺の役目は舞台を整えることだけ。なんで俺が、合成獣(キメラ)だなんて神が否定するものに手を出したと思ったの?」

 合成獣の存在を知ってから抱いていた矛盾への解に、ユーディアは動揺した。一度彼のもとに乗り込んでからずっと、エリウスとクラウスは事実を都合良く言い包めるつもりだと思っていた。だからこそユーディアは、今まで以上の反発を覚え――彼らの傍に敢えて居残り水盆をひっくり返す機を窺っていたのだが。

 そもそもの前提が間違っていたのか。ともすれば、クラウスの行動には道理があるように思える。――しかし。

「何故貴方は、そんなことを引き受けたの」

 それには、クラウスの利点が何一つない。悪役を背負って、彼が得るものがあるのだろうか。

「創造神の創る世界が、俺の理想の世界なんだ」

 神様が新しく創った世界で、眩い光を標とし、穏やかな闇に眠り、世界を脅かすものはすべて神によって破壊される。人々はただ神様に守られて、苦しむことも怯えることもなく健やかに暮らしていくだけの世界。

 それは、かつてユーディアも信じて望み、虚構だと切り捨てた世界だった。

「絶対的な庇護のもとで、親に守られた幼子のように、つまらないことで泣いて笑っているだけの安寧を、四神は叶えてくれる。……君だって『世界のために』ってこんな苦しくつらいこと、したくなかっただろ?」

 思わず叫びかけたのを、既のところで堪える。その通りだ。ずっと悲しく、つらかった。何故こんな想いをさせるのか、と恨みさえした。本当は今も逃げ出したいと思っているのだ。

 ――誰が、私をそんな目に合わせたと……。

 だが、恨みつらみをユーディアは飲み込んだ。クラウスは、()()()()()()()がそのような想いを知ることさえないように、と破壊神の再興の手伝いをしてきたのだ。そのためなら、自分を悪役に仕立て上げることも、妹のような幼馴染を痛めつけることも厭わない。

「〝神様の小間使い〟だからね」

 ユーディアが捨てたその立場を、彼は今もなお掲げる。

 たいした覚悟、献身だ。彼は世界のために自らを擲ったのだから。ユーディアにはできなかった。自分の幸せも捨てられなかったから。

 そして、気付く。

「でも、その世界に貴方はいない」

 そう、クラウスは、自らが幸福を享受することを諦めたのだ。ユーディアと違って。

「もし貴方が理想を手に入れても、その理想の中に貴方自身の居場所がない。貴方はただ外側から眺めているだけになる」

 彼こそが理想に反した象徴だから。

「そうだね」

 クラウスは否定しなかった。

 それを確かめて、ユーディアの覚悟は再び固まった。

「やっぱり私は、貴方に賛成できない。その理想は、私の理想と相容れない」

 もしもクラウスの望みを叶えラスティを犠牲にしても、クラウスさえも幸せにならないことが分かったから。

 だから、ユーディアはもう一度剣を取る。

 ユーディアの大事な人を誰一人救わない世界は、ユーディアの望む世界ではない。

 何度決意が揺らごうと、ユーディアの理想は姿を変えることがないのだ。

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