表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アリシアの剣  作者: 森陰 五十鈴
第十五章 紫紺の狼
PR
68/71

岐路に立つ光

 暴れる巨狼の爪から逃れることしか、ラスティにはできなかった。敵味方問わず声を掛け、離れるように促しはしたものの、凶暴な狼は動くものを積極的に追いかけるため、被害者は増えていくばかり。

 アリシエウス城の小さな前庭の、綺麗な芝生は掘り返され、生垣もひっくり返されて。門と城内を結ぶ石のタイルが割られ、その上に負傷者が転がっている。特に、ラスティたちが相手をしていた〈継承者(エリティエ)〉の被害が酷かった。彼らは所詮、薄手のローブを纏っただけの人間に過ぎないからだ。とはいえ、鎧を着込む騎士たち兵士たちも無事ではない。鎧の凹みが見られることからして、あの狼の凄まじさが分かる。

 狼はひとしきり暴れた後、城の正門を体当たりで破壊し、街中へと逃げていった。ひとまずやり過ごした嵐に、ラスティは安堵する。すぐに追いかけなければいけないとは思うのだが、立て続けの戦いと被害の大きさが足を鈍らせた。

 芝生の上に座り込み、剣を握る手を地面について、肩で大きく息をする。首筋に纏わりついた汗の不快感が、妙に気になった。強い日差しが後頭部を焼き、身体の中に熱が籠もる。――水が欲しい。だが、ラスティだけではないだろう。周囲は、熱に喘ぎ傷に呻く者たちの声で溢れている。

 彼らを助けるべきか。

 それとも、狼を追うべきだろうか。

 思考がぐるぐると頭の中を巡る。

「……大丈夫か」

 アーヴェントが近寄り、蹲るラスティの(ひさし)となる。遮られた熱に、少しだけ呼吸が楽になったように感じる。

「……お前は?」

 首を回し、仰ぐ。その顔には影がかかり表情が判然としなかったが、疲労具合が姿勢や声の調子で判った。

「まあ元気だ。この子のおかげだな」

 アーヴェントは、戦闘で服こそ乱れているものの、どうやら軽傷で済んでいるようだ。その理由が、彼の数歩後ろで落ち着かなげに立っている、翼を負った少女にあると語る。

「他の合成獣(キメラ)たちを操って、攻撃を逸らしてくれた。……まあ結局、全部あの狼にやられちまったんだけどな」

 そこでようやく、ラスティは地面に転がっているのが人に限らないことに気が付いた。ラスティたちを襲った合成獣たち。彼女によって、敵味方関係なく人を襲うようになったのだが、それを止めてくれたのもまた彼女……らしい。

「助かった。ありがとう」

 混沌とした状況となったのは実のところ彼女の所為だが、その混沌がラスティたちを救ったのもまた事実。

「……わたしは、ユーを助けたかっただけ」

 決まりが悪そうに顔を背けて足元を蹴る少女に、ラスティは口元を綻ばせる。

 一度空を仰ぎ、それから膝に力を入れた。先ほどに比べて、少し思考が明瞭になってきている気がする。

「……行かないと」

 城には、何人もの人間がいる。いずれ救援が来ることだろう。となれば、ラスティのすべきことは、あの狼を追いかけること。街中に民はほとんどいないので、直ちに大きな被害が出ることはない。しかし、異世界の獣を野放しにもできない。

「無理すんな」

 アーヴェントが気遣って腕を掴んで支えてくれたが、ラスティは首を振る。

「そういうわけにも行くか。ここは俺たちの国なんだぞ」

 他所の国ならばきっと、知らぬふりをして、自らのことだけを考えていたことだろう。だが、ここはラスティの故郷。踏み荒らされることは耐えられない。どうでも良いのであれば、この戦いを察知した瞬間に逃げている。

 それに、アリシエウスを守ることが、ラスティの意地だ。このために王命にさえ背いてまでいる。

 門の向こうを見つめる。開き放したままの門の向こうに、今狼の姿はない。いったい何処へいったのか。見えないところで起きている被害を思い、胸中に焦りが浮かぶ。

「そう。ここが最後の踏ん張りどころだ。多少の無理無茶はするべきだと思うな」

 割って入る声に、ラスティは苛立ちを覚えた。内容に異論はない。が、居丈高な物言いが気に障る。

 振り向いた先に立つのは、全く見覚えのない女だった。金の短髪、翠の瞳。飾り気のない恰好。だが、太陽が落ちてきたかのような存在感。

 こんな人物は、アリシエウスにはいなかった。クレールから来た者たちの中にも、また。

「誰だ?」

「私は英雄の導き手。歴史の岐路に立つ光」

 芝居がかった台詞に、ラスティは鼻に皺を寄せた。

「……光神レティア?」

 正体を当てられて嬉しいのか、彼女は笑顔で首肯する。

「神っていうのは、会話に横入りするのが趣味なのか?」

「初対面にずいぶんな皮肉だ。まだ元気が残っているようで、結構なことだな」

 女相手だが、殴る気力がないのをラスティは残念に思った。いや、むしろなかったことを感謝すべきか。自制心に余計な気力を使わずに済んだので。

 ……まあ、それはともかく、だ。

「英雄、だって?」

「神の剣を手にした者のほかに、現在ふさわしい者がいるか?」

 自分の立場を客観的に見てみると、確かに物語としては映えると思う。しかし、ラスティは王も国も守れなかった。自分が英雄だなどと、認められるはずがない。守るべきものも守れず、何が英雄か。

「そう反発するな」

 ラスティの静かな憤りを、レティアは敏感に察知した。

「全てがエリウスの掌の上。だが、唯一お前はそうでない。万能気取りのあの子も、さすがにアリシアが動くと思っていなかったからな」

「だが、俺は――」

 エリウスを出し抜けたわけではない。彼の手で踊らされ、振り回されているばかりだ。

「お前の存在に気付いたエリウスは、お前を直ちに筋書きに加えた。だが、その時点で当初の物語(シナリオ)は綻んでいたのだよ」

 そうなのだろうか。ラスティは目を細める。神の存在を知ってからも、ラスティは自分で道を切り開けた覚えがなかった。一度自分の意思でこの故郷に戻ったが、言ってしまって、それは敵の手の内に神剣を渡してしまったに等しい。まだ握っているのがラスティであるということだけが、唯一自身の意思が反映された()()だ。

「奴は取り繕うのが上手い。しかし、先に綻びを拡げてしまえば、理想の作品など仕上がりはしない」

 その〝綻びを拡げる〟のが、レティアの目的らしい。彼女もまた、エリウスに反抗しようとしているのか。ラスティは彼女を睨み上げた。信用はできなかった。神に振り回されるのには、これ以上ないほど辟易していた。

 ……だが。ラスティは周囲に意識を向ける。満身創痍、とでも言いたくなるようなこの状況で、果たして自分の力だけで、事態を解決できるのか。

 もはや人の手が及ぶ状況にないことを、肌でひしひしと感じている。戦争どころではない。

 そんなラスティを後押しするように、仁王立ちする女神は笑う。

「ここが最後の踏ん張りどころだ、ラスティ・ユルグナー。未だ姿を見せぬ破壊神(アリシア)の代わりに、この光神(わたし)がお前を導こう。この混沌を上手いこと利用すれば、お前の引き起こした惨事など皆忘れよう」

 神剣を振り下ろし、視界が真っ白に染まった瞬間が、ラスティの眼裏に蘇る。

「……そんなことはどうでもいい」

 ラスティは、剣の柄を握る。それは、あの神剣ではなく、家に戻った際に拾い上げた予備の剣だ。だが、おそらくどの剣を握ろうと、あのときの感触は蘇る。

 国を守ると誓い合った同志を、ラスティは殺した。言い訳をするつもりはない。罪の追及から逃れるつもりも。『英雄』などという称号ですべてを誤魔化す気などなかった。

「だが、あいつは止めなければいけない」

 気懸かりは、これからのこと。まだ何も終わってはいないのだ。アリシエウスの危機は、まだ去っていない。

〈召喚術〉で喚び出した〝理の異なる者〟を放置する危険性について、ラスティはリグたちから大まかなことは聞いている。その対処の大変さも。だから。

「協力してくれるというのなら、拒むつもりはない。当てがあるのなら、案内しろ」

 また掌の上で踊らされるかもしれないが、神の協力を得られる好機だ、とラスティは柔軟に捉えることにした。

 苦しむのは、自分だけだ。

 ラスティは立ち上がる。

「アーヴェント、ここを頼めるか」

「いや……でも……」

「魔族の長であるあんたを、これ以上危険な目に合わせるわけにはいかない」

 それでもアーヴェントは渋る様子を見えた。その脳裏には間違いなく集落のことが浮かんだはずだが、それせもまだラスティを見捨てられないようだ。

 とんだお人好しだ。だから魔族をまとめたりしているのだろうが。

 拗ねた子どものようにラスティを睨むアーヴェントの横腹に、背後から柄が突き刺さった。レンの鉾槍の柄だ。蛙の鳴き声に似た声を漏らし、横腹を押さえて蹲るアーヴェントの横を、涼しい顔をしたレンが通った。

「あんたは合成獣の後片付け。誰よりもあんたが適任でしょう?」

 アーヴェントの背後を指差す。荒らされた芝のあちこちに転がる異形たち。アーヴェントの足元で、翼を背負った少女が草地のうえで膝を抱えながら、沈んだ顔で眺めている。彼女だけではない。周囲は徐々に、呻き声以外の声を上げている。少し落ち着いて、合成獣の存在に疑問を抱く者が出てきているのだ。

「僕は行きますよ」

 いつも通りのレンだった。先ほど、地下であれほど思い詰めた表情をしていたというのに。

 だが、心配すべきその少年を、ラスティは突き離すことができなかった。

「……頼む」

 レンは満足そうに笑って頷く。

 それから、ふと真顔に戻して、

「……あの狼、たぶん混乱してると思うんです」

 手当たり次第の暴虐を繰り広げたように見えた狼を、レンはそう評す。

「話せば、通じるかも」

 どう話せばいいかは分からないが。せめてリグたちと同じように契約できないものか、とラスティは考えた。

 だが、誰が?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ