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アリシアの剣  作者: 森陰 五十鈴
第十四章 背徳の術師
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片付け

 レンの故郷は貧しい村だった。海の傍だったが、生活は小さな貝や海藻、たまに獲れる魚で日々食い繋ぐだけで精一杯。他の国でなら何処にでもある学校もないので、新たな道を切り開く機会も得られない。

 だが、レンが十二になる年、余所者がやって来て小規模ながら学校を開くと言って村に住みはじめた。村の子供たちはこぞってそこに通った。村では子どもも働き手であったため、講義は週に一度だけ。しかし、レンと姉はそれだけでは足らず、時間が空けば入り浸った。母は良い顔をしなかったが、先生は嫌な顔一つせず、知識欲旺盛な子どもたちに、一般教養だけでなく魔術まで教えてくれるようになった。

 それは演技だったのだろう。今にして思えば、フリアは子どもが教えを請いに来たからといって喜ぶようなたまではない。いつかは使えるから、と煩わしいのを耐えていたのだろうか。それとも、材料がのこのことやって来て、内心ほくそ笑んでいたのだろうか。

 すっかり先生を信頼した頃。学ぶことで、辛いだけの毎日が色づきはじめた頃。魔術もすぐに覚えた姉は、優秀だからと研究の助手に選ばれた。魔力の使い方を覚えただけだったレンもずいぶん羨んだものだが、年齢を理由に断られてしぶしぶ引き下がり、家に帰った。

 すっかり変わり果てた姉の姿を見たのは、その次の日だ。

 人の身体。背には白く大きな四枚の羽根。頭は姉のものだったが牛の角が付けられ、足は猛禽類、尻には獅子の尾があった。

 姉が最高傑作だったという言葉は、本当だったのだろう。合成獣作りには時間が掛かる。が、姉は定着が早かった。普通なら三日は眠り続けるところを半日もせずに目覚め、人間の頃の自我も理性も持っていた。身体組織も安定していた。

 しかし、それは姉にとって不幸でしかなかった。おぞましい姿で暴れまわり、泣きじゃくり、やがてレンに『殺してくれ』と懇願した。

 傍にあった鎧飾りが持っていた――今、レンが持つ鉾槍が、その凶器だった。

 あのときの感触は、今でも忘れていない。夢にも見る。あんなことがなければ、姉はまだ生きていて、母に追い出されることなく、こんな物を振り回して誰かの命を奪うこともなかっただろうというのに。


 レンは今、そのときと同じ感触を右手で味わっていた。

 恐怖に表情を固まらせたまま、虚ろになった瞳。それを見下ろし、レンは虚脱感に襲われていた。もとより、復讐すれば気が晴れるなどとは思っていない。会ったら殺してやるとは思っていたが、復讐に人生を捧げるつもりまではなかった。

 なかったのだ。それでも、本人を目の前にすれば恨みは増して苦しかった。――やはり何処かで思っていたのだ。殺せば気が晴れるのではないか、と。

 現実に胸中を支配するのは、空虚な感情。姉を殺したときに感じたものと同じ。姉とフリアの価値は、天と地ほどの差があるというのに。

 フリアの胸に刺さった槍を抜く。何も考えずに突き刺した槍の穂先は少し欠けていた。ぼうっと、その断面を眺める。当然そこは血濡れていた。あんなやつでも血は赤いのだ、と当たり前のことを思う。

 合成獣の血も赤かった。魔物の血も。

「……ったく、しょうがない奴だね」

 ぽんぽん、と軽く頭を叩かれる。振り返りはしなかったが、リズの声は優しかった。途端、手にする鉾槍が重く感じられて、レンはそのまま得物を床に落としてしまった。耳障りな音を聞きながら、涙を堪える。

 頭はまだ、ぽんぽん、と叩かれていた。

「……さて。まあいろいろあるけど、外に出ちゃったやつをどうにかしないと」

 リズが周囲に話しかける。合成獣の問題は、確かにどうにかしないといけない。が、彼女のレンに対する扱いが、人の肩に肘を付け、宥めるというよりはもたれて、ボールでも弾ませるような叩き方に変わってきていて、そちらのほうが気になってくる。

「アーヴェントとダガーたちに追わせちゃいるけど、このままじゃ被害者が出るばかりだし、早いとこどうにかしちゃいたいね。というわけで、それはお二人に任せた」

 レンは頭を上げた。ラスティとユーディアも目を瞬かせていた。てっきり話の流れから、みんなで行くと思っていたのに。

「……リズたちは?」

 彼女の言いっぷりからして、レンが居残ることも確定事項らしいのだが。

「私たちは、こいつの片付け」

 床に転がるフリアの死体を軽く爪先で蹴った。

「それだったら、私も――」

「やめとけって。ユディが殺したことにされるよ」

 ユーディアは表向きはクレールの人間で、フリアとは味方の立場だ。だが、もし彼女が、『フリアが殺された』と口にして、さらに『それが外部の人間の仕業』と主張して、あっさり受け入れられるかどうか。こういう場合、まず疑われるのは第一発見者だ。余計なことはせず、誰かに疑われるような隙を与えないようにするのが、吉。

 一方、完全部外者のリズとレンだったら、何をしても間違いなく疑われ、すぐに敵として扱われる。誤魔化すのに必死になる必要がないという点では、楽だ。ラスティやユーディアが近くにいなければ、関係性を探られることもまずないし。

「こういうのはね、外部の人間の所為にしておいて、あんたたちみたいなのは知らぬ存ぜぬにしておいたほうが良いんだよ。特に二人、腹芸なんて向いてなさそうだし」

「つまり足手纏いだから邪魔だ、と」

「嫌だな。誰もそんなこと言ってないでしょ~?」

 確かに直接的には言っていない。

 ラスティは溜め息を吐き、仕方なく受け入れたようだった。ユーディアはまだ納得しきれていないようだったが、悠長なことを言っている場合でもないことも分かっているから、不服そうにしながらも何も言わなかった。

 そんな彼女に、リズは付け加える。

「あ、その子は置いていってね。悪いようにはしないから」

 魔物から逃げた〈継承者〉たちと、それを追いかけていったアーヴェントたちと。まだ居残っているレンたちのほかに、もう一人残っていた。魔物を操ったと思われる、合成獣の少女だ。戦っている最中で、彼女が何をしたのかはよく分からなかったが、前に『カルが魔物を操った』とフォンが言っていたことを考えるに、それと同じことをしたのだろう、とレンは推測している。

「気を遣ってくれなくったって良かったのに」

 リズが言っていた〝立場〟について、一理あるとは思う。しかし、実際のところユーディアは〈継承者〉の連中には既に裏切ったことを知られているわけだし、レンたちと離れたところで時間稼ぎにもなるかどうか。

 となると、だ。リズがラスティとユーディアを追い出したのはレンのためだということが、容易に予想が着く。自分のしたことを咎められるにしろ、慰められるにしろ、あの優しく真っ当な人たちに何かを言われるのは、正直しんどかった。

 しんどいが、認めたくもなかった。

 だから気遣いは不要だ、と言ったが。

「鏡見て言いな」

「鏡ありませんもん」

「ところが、水使いは出せるんだよなー」

 いる? なんて意地悪く言ってくる。悔しいが、遠慮した。負けるのが分かっているので、絶対に見たくない。降参するのなら、恥ずかしい泣き面を直視しないほうがマシだ。

「……悪かったよ」

「……いえ」

 フリアを逃したのはリズたちだ。もし彼女たちがシャナイゼでフリアを止めていれば、レンはこんな殺伐とした世界を生きなくても良かった。

 だが、一方で、レンが故郷を出ることができたのは、あんなことがあった()()なのだ。ただのちょっとした色素欠乏に過ぎなくても、あの小さな村で赤い目は倦厭されていたから。……死んでも感謝なんかしないが。

 リズは謝罪を重ねることなく頷いた。ただ、一瞬視線がフリアの死体に向く。

「……無様だな」

 嘲りというよりは、哀れみに聞こえた。

「……さてと」

 顔を上げたリズが目を向けたのは、小さな光源が置かれている部屋の、開きっぱなしの扉の横でぽつんと立っている合成獣の少女だった。背中に翼が生えている様子は、姉を彷彿とさせるので正直直視できず、レンは彼女からわずかに視線を逸らした。彼女に歩み寄るリズには付いていかず、フリアの死体の傍から離れなかったのも、近づくのが怖かったからだ。自分よりも年下の女の子なのは、哀れみを誘う。そういえば、城下町で『帰ってこない近所の娘』の話を聞いたけれども、彼女だったりするのだろうか。

 少女は、胸の前で手を組み合わせ、肩を縮こませて不安そうにしていた。

「あなたたち、ユーのお友だち?」

 か細い声で、おずおずとリズを見上げる。

「ユー? ユーディアのこと?」

 見下ろしながら首を傾げるリズに、少女は頷く。彼女はルタと名乗った。

「ユーの敵じゃなかったの?」

「単純な『敵・味方』では測れない間柄だねぇ」

 どうやらリズは、『敵であっても友情は成立する』と思っている奇特な人間のようだ。そうでなければラスティを助けたりはしないだろうが、リズの場合は綺麗ごとでない面も適用されるので、結構油断ならない。

 しかしルタは、良い面だけを捉えたようで、少しだけ警戒を緩めたようだった。張っていた肩が落ちる。

「とにかく、ユーは殺さないし、貴女も殺さない。あなたは、自分がどういう存在なのか、解ってる?」

「……フリアに造られた。戦いで、敵を殺すためだ、とは聞いているけど。そのために、ユーの命令を聞いておけばいいって」

 リズがこちらを向いた。らしくないのが気になったのだろうが、レンは何も知らない。

 首を傾げながら、ルタに視線が戻る。

「それは、誰から?」

「ユーが、『私に任せて』って」

 溜め息とも笑いともつかぬ声が、魔術師から漏れる。

「ユディなりの頑張りが窺えるな」

 前にこの城の地下に侵入してから、レンはユーディアと会わなかった。ラスティは防衛戦に志願してからたびたび見かけていたようだけれども、話す機会はほとんどなくて、彼女の様子を明確には知らなかったそうだ。おそらく、味方になったと見せかけて、密偵染みたことをしていたんだろう。真っすぐな彼女なりの〝頑張り〟。

 ルタは、あまりその意味が分からないようだった。純真無垢・素直な様子は、レンの胸をざわつかせる。

「……私は、ユーと一緒にいられる?」

 彼女の関心は、ユーディアと一緒にいられるかどうかだった。ユーディアのことだから、きっと熱心に面倒を見ていたのだろう。

 だが、無理だ、とレンは思った。彼女は合成獣だ。人間の世界で生きるユーディアとは、一緒にいられない。それはリズも知っているはず。

 しかし、リズは残酷な真実も安易な慰めも告げなかった。

「……分からない。ユーがどうするか、貴女がこれからどう生きていくのが良いのか、も。私一人では決められない」

 合成獣の彼女は、まずアーヴェントの集落で暮らすのが一番良いだろう。だが、その選択肢を上げたうえで、決めるのは彼女だ、とリズは思っているに違いない。たぶんユーディアにも後で同じ選択肢を突きつける。今の暮らしを捨てて彼女と生きるか、それとも彼女と別れて今の生き方を貫くか。

 決めるのは、当事者たちだ。

「……でも、貴女はユーディアと、これからも友だちではいられますよ」

 近くにいられるかは保証できないが、ユーディアはルタを大事にしているようだし、その逆もそうだし。関係性は変わらないだろう。

 と思って一応言い添えておいたら、リズが驚いた顔でこちらを見ていた。

「レン……」

 子どもの成長を見守るような眼差しが、なんかムカつく。無言で講義したら、彼女は誤魔化し笑いを浮かべて、ルタのほうに顔を戻した。

「なるべく一緒にいられるよう、考えてみる。貴女もユーと相談してみればいい。そのためにも、今は私たちに協力してくれる?」

 ここでようやく、本題だ。ラスティたちに言った〝片付け〟。それは別に、フリアの死体の始末ということではない。

「何をすればいい?」

「こいつの研究室とか、知らない?」

 こっち、と素直な合成獣の少女は案内する。リズが魔術で小さな明かりを作って、宙に浮かべた。

 資料と机があった小さな部屋は突き当りにあった。ルタは、その扉の右側へと進んだ。しばらくして、また曲がり角。この地下はコの字型になっているようだ。

 右手側に、また牢。一枚の壁を隔てて、表裏に檻が造られているのか。

 とぼとぼと歩く翼のある背中を見ながら、レンはリズに近づいた。

「〈手記〉は燃やしましたよね?」

 彼女の目的は〈手記〉を取り返すこと。だが、これ以上面倒なことが起きないよう、ダガーに燃やさせたことは先ほど聞いた。

「うん。でも、他に研究記録が残ってたらね、困るでしょ?」

 つまり、記録を抹消したいので、彼女にフリアの研究室を案内させているようだ。

「それに、奴は本来、合成獣を造るのに〈手記〉を必要としないんだ」

 フリアが合成獣を造れるようになった経緯を、レンは知らない。だが、故郷でレンと出逢ったときには、彼は少なくともその方法を知っていたわけで。あんな面倒ごとを起こして〈手記〉を手に入れようとしたのは、合成獣以外の理由があることが窺える。

 リズは、それが何か――フリアが何を企んでいたのかが知りたいのだ。

「ここ」

 ルタの足が止まる。そこはまだ、牢屋が立ち並ぶ只中で、研究室らしきものなど見当たらなかった。

 彼女が指差したのは、空っぽの牢の中。

「……ここ?」

「フリアがしていることを知りたい人がいたら、ここに案内すればいいって」

 訝しみながら、リズは鍵も掛かからない開け放しの入口から、牢の中に入った。魔術の灯が彼女についていって、外で様子を窺っていたレンも、中の様子が少し分かるようになった。荒削りの石を敷き詰めた床に、白線が見える。まったく見当違いの場所に連れてこられたわけではないようだが――

 何か妙に感じて、床に屈みこんだリズを横目に、レンは訊き返す。

「……ユーディアが、ここに?」

 ううん、とルタは首を横に振った。視界の端で、リズが慌てたように顔を上げたのが見えた。

「クラウスが」

 金属がぶつかり合う大きな音を立てて、牢の入口の格子の扉がひとりでに閉じられた。

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