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アリシアの剣  作者: 森陰 五十鈴
第十四章 背徳の術師
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堪忍袋の緒が切れた

「はぁい、お待たせ」

 ダガーが宙に火を灯す。いったい何処から入ってきたのか、まるではじめから牢の中にいたかのように、この地下牢に突然リズの姿が現れて、ユーディアは驚いた。腰に片手を当て、もう片方の掌はひらひら振って。お道化ている姿から、城を正面突破してきたわけではないようだけれども。

 そしてリズは、眼差しを冷たくし、禁書の燃え滓を掻き集めていたフリアを見下した。

「……そして、久しぶりだな、フリア・キース」

「リズ・レーヴィン……顔を見るのも忌々しい」

 苦々しそうに返しながら立ち上がるフリアを、リズは鼻で笑い飛ばした。

「そりゃどーも。でも、私だけじゃないよ」

 杖を持たない左手で、隣の空間を指し示す。彼女が道を開けるように動くと、後ろから小柄な黒い影が躍り出た。

「お久しぶりです、先生。復讐しに来ました」

 恩師に再会したような顔で言うや否や、レンは鉾槍を振り被ってフリアに襲い掛かった。この狭い屋内での思い切りの良い唐突な行動に、ユーディアは目を剥く。

 頭の重い長柄武器なだけあって、レンの振りは大きく読みやすい。フリアは冷静に横に移動し、斧頭と穂先を躱した。斧頭が石畳を割る音が響き、ユーディアの腕が粟立った。レンの苛烈な赤い瞳が、ダガーの灯を弾いてはっきりと見えた。

 フリアの身体が震えた。

「貴様! よくも僕の前に顔を出せたな!」

 ユーディアに向けた嘲笑、リズに向けた嫌悪。それとは違う感情がフリアの顔に浮かんでいた。

「はあ?」

 レンはいつもの少年の顔で、呆気にとられていた。ユーディアもリズも、呆然とする。襲い掛かる前のレンの言葉からして、その台詞はレンのほうが相応しいはずだ。

「あれは、僕の最高傑作だったんだぞ!」

 納得と同時に、たちまち空気は凍てついた。

「……ひとの姉捕まえて、何が最高傑作……」

「落ち着け、レン!」

 身を震わせたレンの背後から、手が伸びる。やはりラスティもこの場に来ていた。彼はレンの肩に手を置いて、何事かを言ってレンを宥めている。ユーディアは息を吐いた。あんなことを言われてとても落ち着いてはいられない気持ちはよく分かる。でも、彼が頭に血を昇らせて無茶な振る舞いをするのは見たくなかった。

「……まあいい。今回ばかりは歓迎させてもらおうか」

「あ?」

 苛立ちを露わにし、据わった目を向けるリズの前でフリアは半月型の薄い板を合わせた物を取り出し、口元に当てた。ユーディアも持つ、魔物を操る笛だ。

 笛に音はない。人の可聴の音は。しかし獣の耳には入る。ユーディアの腕の中で、ルタが身動ぎした。同時に、獣の息遣いと唸り声が奥の暗闇から届く。

 重々しい足取りで現れたのは、人の身体に獅子の頭と蛇の頭の付いた尾を持つ合成獣(キメラ)だ。魔族よりも、沙漠で遭った〈棘の人〉のほうが思い出される、人型の合成獣。

 あまりに歪な姿が纏う憤りと哀しみに、ユーディアは人間を素体とした合成獣の子が、何故魔族とヒューマノイドに分かれるか、理解した。ここまでどの生き物にも属せないとなると、きっとどう在れば良いのか解らない。分類されている生き物が羨ましくて妬ましい。そんな自分を造った人間が憎らしい。

 そんな哀しい生き物の後ろに、魔術師たちが現れた。暗がりで不確かだが、五人……六人ほどいるだろうか。神殿騎士のユーディアに馴染みのない彼らは、おそらく〈継承者(エリティエ)〉の一員だろう。合成獣(かれ)を造るのに協力した人非人(にんぴにん)たちがこんなに居るとは、ユーディアの身体が怒りで震える。

「前座には足りないか?」

「何が前座だ、この馬鹿どもが!」

 リズが吠え、〈継承者〉たちに向けて大きな紫の魔法陣を作り出す。ラスティとレンが合成獣に向かい、闇の中からさらに現れたアーヴェントが、魔術師たちに襲い掛かる。

 フリアが一人、愉快そうにその光景を見ていた。

「……ルタ、離れてて」

 抱きしめていた少女を離し、ユーディアはもう一度刺突剣(エペ)を握る。他の誰よりも、彼を見逃してはいけない、とユーディアの勘が告げていた。

 ユーディアの闘志を感じたか、フリアがこちらを向いた。剣を突き出そうとしたユーディアに、杖を向ける。術の気配に跳び去った先で、ラスティとレンの攻撃を掻い潜ってきた合成獣の鉤爪が迫った。身を(よじ)って躱し、剣を胴体に滑らせた。

 思ったよりも硬い手応え。

 ユーディアは合成獣から距離を取る。細剣では敵わないと悟り、覚えている中で数少ない攻撃魔術の陣を描いた。もう少し、というところで獅子の顔が目の前に迫る。

 ――このままでは、噛まれる。

 ユーディアは、ほぼ無意識に、鋭い牙ばかりの口の中に手を突っ込んだ。喉の奥を刺突剣で突き刺す。鼓膜を破るような低い悲鳴の中で、剣の刃が折れたのを感じた。

 身体にのしかかる合成獣の重みに耐えられず、ユーディアは石床の上に転がった。左手でどうにか身体を押しのけ、合成獣の身体の下から這い出た。それから、右手の剣を口の中から抜く。牙で少し腕を引っ搔いた。

 刺突剣は三分の一の刀身を失っていた。

「予想外だな。大人しくこいつに殺されると思ったのに」

 彼はどうやら、高みの見物を決め込んでいたらしい。何処までも他人事な様子が腹立たしい。合成獣を相手にしている横から、ユーディアを攻撃することだってできただろうに。

「貴方、この子に何の哀れみもないの!? 自分で作っておきながら、何も……」

 余りにおぞましい生き物だ。存在を認めるわけではない。だが、この生き物を作ってしまった者だけは、彼らに対しなんらかの情を持つべきではないか、とユーディアは思う。望まない姿になったものを、せめて望んだ者が受け入れなければ、彼らは何処に行けばいい?

「ないね。これはただの手慰みだ。お気に入りの姿じゃないし、強くもなかったようだから。強いて言うなら、腹立たしいな」

 あれだけの時間と金を掛けたのに、とその男は言う。そのわりに大したことがなかった、と。

 その〝大したことがなかった〟生き物は、この場でさらに増えている。ラスティやレンがこちらに援護に来てくれなかったのは、他にも異形を相手にしていたからだ。動物を元としたものも、人を元としたものも。此処はいったい何なのだろう、とユーディアは思う。地獄だって、きっとあんな生き物はいないだろう。

 そしてフリアは、隅で縮こまっているルタに視線を向ける。

「そっちも期待外れだ。自我を持ったのは良かったが……西の生き物では、やはり足りん」

 さすがのユーディアも、堪忍袋の緒が切れた。

 握りしめた剣をフリアに向けて踏み出し、薄ら笑いを浮かべる彼の無防備な腹へ折れた刃を突き刺そうとした。が、腕を掴まれ、止められた。意外にもその力は強く、押しても引いてもびくともしない。そうこうしているうちに地面に引き倒された。受け身を取れず勢いよく倒れて身動きができないところに、掬うようにして振るわれた杖で殴打される。

「〝理想の世界を作るための小間使い〟ではなかったのか? せっかく私が手を貸してやろうというのに」

 胸に受けた痛みに悶えながら、ユーディアは思い出す。確かに、最近彼とそんな話をした。理想の世界のために神に尽くす、という動機を。あの言葉に嘘はない。しかし。

「神殿騎士になった理由を思い出したからこそ、気付いたの。この世界は、私の理想からほど遠い」

 大勢の人の運命を自分の都合で弄び、自ら禁じたものをやはり自らの都合で容認し、人の嘆きを意に介さないおもちゃ箱のような世界が欲しかったわけではない。

「エリウスは私の望む世界を創らない! きっと、これから先も永遠に! だから、私が作る! 私が自分の手で、理想を掴み取る!」

「その体たらくでか!」

 フリアが杖を振りかぶる。その一瞬をついて、ユーディアは身を起こした。フリアの杖が床を叩いたところで、彼の身体に肩からぶつかる。

 床に転がるフリアを見て、ユーディアは剣を固く握りしめた。折れていたって、命を奪うにはまだ足りる。それでも、その覚悟が――あと一歩の決意が、どうしても踏み出せない。

 そうして躊躇しているユーディアに、何処からか魔術が飛ぶ。飛んできた石礫を腕に受け、身体がよろけた。

「ユー!」

 悲鳴が混じったルタの叫び声に顔を上げる。切羽詰まった様子で身を乗り出した彼女は、まだ何かを叫んでいた。大きく口が動く。しかし、その声はユーディアに届かない。

 ルタは、この戦いに向けて造られた合成獣だ。人の形を残し、人の理性が残るように造られたのは、彼女が合成獣や魔物たちを操る司令塔となるためだ。ルクトール襲撃に運用された個体と同じ。ユーディアやフリアが持つ笛と同じ音域の音を出すことができる。

 彼女の悲鳴を聞きつけたのは、合成獣たちだ。これまでラスティたちだけに襲い掛かっていた彼らが、〈継承者〉の魔術師たちも襲いだす。まさか牙がこちらに向けられると思っていなかった彼らは、たちまち獣の餌食になり、悲鳴を上げた。この場の血臭が濃くなる。死体が一つ、二つ、転がって、恐慌状態に陥った生き残りは、奥へ――地下の入口のほうへと逃げ出した。逃げ出した獲物を獣たちが追い、さらにそれをアーヴェントが追う。ラスティとレンとリズがこの場に残って、呆気にとられた様子でそれを見送った。

「……えっと」

 ラスティとリズの視線が、ルタに向かう。まだ幼い少女の姿をした合成獣は、肩で大きく息を切らしながら、戦いの場であったほうを睨みつけていた。少女特有の大きな目が、不穏な様子で左右に動く。ラスティとリズが敵かどうかを見定めようとしていた。

 大丈夫だ、とルタに声を掛けようとして。

「待て……待ってくれ!」

 傍らから引き攣った声が上がり、そちらを振り返った。床に座り込みながら後退りするフリアが見える。恐怖に引き攣った顔で見上げるのは、

「い、や、で、すぅ」

 フリアの身体を踏み倒し、お道化た様子の台詞とは打って変わって表情を失くしたレンだった。

「やだ……やだ! 助けてくれ! 謝るから! なんでもするから!」

 ばたばたと四肢を動かすフリアは、先ほどの観劇でも見ているかのような態度とは打って変わり、怯えていた。当事者になったことを受け入れられない様子で、ユーディアの胸には同情や呆れよりも怒りが浮かぶ。

「お前は何度その言葉を聞いた? お姉ちゃん、アリシエウスの人たち、……ああ、シャナイゼでもおんなじことしてたんだっけ? で、助けたの? 助けてないよね。なのに助けを請うの?」

「レン!」

 ラスティが声を張り上げ、制止する。駆けつけようともしたが、リズが腕を引っ張って妨げた。信じられない様子で睨むラスティを無視し、彼女はただ無表情で二人の様子を見守っていた。

「生きていたい人間が、本当はもっともっと生きていたい人たちが、死にたいって言うその気持ちが分かるか? それを聞く僕たちの絶望が分かるか? 死しか選択肢がないと知ったときの気持ちが分かるのかよ!

 お前がしてきたのはそういうことで、最高傑作をいくら造ろうと、それに価値なんかありゃしない。そんなことに気づかない奴が――」

 ふと言葉を切る。視線があらぬほうを向き、ぼうっとした様子でレンは立ち尽くした。フリアを踏み倒した格好のまま、鉾槍を握る手を真横に下ろして、糸が切れた()り人形のように立ち尽くしている。

 リズが溜め息を吐き、レンのほうへと歩き出した。

「……いや。もういいや」

 虚ろなレンの声が、宙に浮かぶ。

 そして、断末魔とも吐息とも区別のつかない一声を上げて、レンの槍の穂先で胸を突かれたフリアは絶命した。

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