一番大切な、ヒト
2巻の19話です。
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「ネイピア。体調回復のために、何か俺にできることは――」
「無いわ」
「――ないか? ……って無いのかよ⁉」
エレナに対するものと同じ提案をネイピアにしようとしたら、食い気味に拒否された。
まぁ、ちょっと想像はしてたけど。
そもそも、彼女は体調が悪いはずなのに、今日も生徒会室に出てきていた。
休むということを、ネイピアは考えていないんだろう。
「せめて作戦決行の直前には、しっかり身体を休めておいた方が良いだろ。体調は万全じゃないんだし」
「あら。そもそもの話、私はあまり体調を崩していないわ。それで学園を休むとか、魔法の力が衰えるとか、そんなことも起こさない。エレナが回復したら、さっそく地下へ行くことにするわよ」
「まぁ、そう言うだろうなとは思ってたけどさ」
「解っているなら、この会話は時間の無駄だったじゃない。それとも、無駄話をさせて私を無駄に疲れさせるつもりなのかしら?」
まったく、相変わらずの、皮肉の切れ味だ。
俺は両手を上げて「降参」の意思を示してから、
「それじゃあ、せめてこの書類だけでも目を通してくれると有り難い」
と、持参してきた小さい冊子を制服のポケットから取り出し、ネイピアの作業机の端に置いた。
「ちょっと、勝手に置かないでちょうだ……。これって?」
怪訝そうに冊子を見やったネイピアは、その表題を見て表情が揺れていた。
「これは、俺が個人的に研究していた『魔力回路の活性化体操』についての、未発表の考察をまとめたものなんだ」
「……貴方の、未発表の?」
「ああ。前に、魔力回路と血流との関係性を考察した論文は書いていただろ」
「……ええ、そうね」
「それを基礎にして、一つの応用研究として進めていたものなんだ。まぁ、まだ机上の空論部分も多くて、あくまで一考察でしかないものだから、もっと臨床データも集めないといけないんだけどさ」
「……それを、私に?」
「まぁ、忙しいところに新しい厄介事を持ち込んじゃって悪いんだけど。もし万が一、気分転換の時間とかが作れたときなんかに見てくれたら有り難い」
「……なるほど。それだったら丁度いいわ。今、貴方がここでその『活性化体操』をやって見せてくれないかしら」
「……え?」
予想外の提案をされて、反応に困った。
「現状、論文を読んで理解するほどの時間は無いけれど、視界の端で何かが動いているのを見ることくらいはできるもの。むしろ、その方が理解も早くて合理的じゃないかしら?」
「まぁ、それでネイピアの体調が良くなるなら、喜んでやるぞ」
「え?」
今度はなぜかネイピアが困惑していた。
いやいや、実際にやれって言ったのはお前だろうに。
て言うか、そもそも――
「ネイピアが元気でいてくれないと、やっぱ困るからな」
「…………」
ネイピアは、なぜか機嫌が悪くなったように俺を無言で睨みつけてきた。
……え。俺、何か怒らせるようなことしちゃってるのか?
「……ふん」
ネイピアは、聞こえよがしに鼻で笑って、
「貴方たちにとって、私は人間界での大事なコネだものね。それが元気でなければ困ってしまうのは当然だわ」
「へ? いや、まぁ、立場が大事だってことは否定しないけどさぁ――」
何やらひどい皮肉交じりで自嘲気味なネイピアに、思わず苦笑しながら、
「それより、俺だけじゃなくてエレナもセラムも、お前のことをすごく心配してるんだよ。エレナとセラムにとってネイピアは、二番目に親しい人間でもあるし、俺にとっては、一番親しい人間ってことになるからな。ほら、俺ってば666年前から友達なんて居なかったしさ。あはは」
そう自虐を返して、何とか空気を和ませようとしてみた。
「……貴方にとっての、一番」
ネイピアの反応は、予想外に薄かった。消え入りそうなほど小さな声で、俺の言った言葉を確かめるように、繰り返していた。
そのまま、微妙な静寂に包まれてしまう。
「べ、別に嘘は言ってないからな。本当に、俺にとって一番親しい人間はネイピアなんだよ。一応、666年前には育ての親もいたけど、親は親だし、それに今は、ネイピアの方が気楽に話せてる気もするんだよ。……って、気楽にしすぎて怒らせてばっかりだけどな」
そんな空気に耐えきれなくなって、いろいろと付け加えて言った。
「……なるほど。それは、とても光栄だわ」
ネイピアは、まったく光栄じゃなさそうに言い捨てると、
「そもそも、貴方たちは人間じゃない知り合いが多すぎるのよね。それを人間で一番だとか二番だとか言われても、ほんのちょっとも嬉しくなんてないわ。……まったく嬉しくなんてないわよ」
早口でまくしたてながら、プイッと弾かれるように顔を身体ごと背けてしまった。
……あれ。むしろ空気が悪化した?
どうも最近はネイピアを怒らせてばかりだなぁ。
そう自戒しつつ、ただ正直な気持ちだけは伝えておく。
「俺もエレナもセラムも、忙しかったり体調を崩しているネイピアのことを、本当に気に掛けてるんだからな。あまり無理だけはしないでくれよ。今回の体操は、そのためにみんなで考えて編み出したものでもあるんだから」
「……ええ。そのことは、ありがたいと思っているわ」
ネイピアは、相変わらず背を向けたままだけど、少し柔らかい声で答えてくれた。
いつもはまったく素直じゃないネイピアだけど、たまに隠し切れない素直さとか真面目さとかが見えると、何だか嬉しくなる。
年相応の可愛らしさ、みたいな。
……なんてことを正直に口走ったら、またいろいろ言われるだろう。
俺はすぐに話をすすめて、『魔力回路の活性化体操』を実践することにした。
「それじゃあまずは、活性化体操の第一セットから」
「第一セット? いったい幾つまであるのよ?」
「今のところは、第三セットまでだな」
「今のところって……」
「いやあ、いろいろ考えてたら楽しくなっちゃってさ、つい作りすぎちゃったんだよ」
何だか子供みたいにはしゃいじゃってたものだから、気恥ずかしくなった。
それを誤魔化すように、俺はさっそく、最初の体操を披露した。
「まず、腕を前から上にあげて、背伸びの運動からだ」
俺は言葉で説明をしながら、実際に腕を前から上にあげた。
「こうやって伸びをした状態で、上にあげている両手を握り合わせて、綺麗な輪を作るんだ」
そう言って、俺は両手の指を組んで、肘を曲げながら輪を作った。
これは、血液が全身を巡回するのと同様に、魔力回路の魔力を巡回させるイメージを作ることになる。
「両手を組むことで、右と左の魔力回路がつながって、魔力が巡回するようになるんだ。ちなみにこのとき、靴を脱いで足も同じように輪を作って合わせると、効果がもっとアップするぞ」
そう言いながら、俺は靴を履いたままポーズだけとって見せた。
両手で輪を作って頭の上にあげながら、足もガニ股になって輪を作る。
体操をしながら、俺の身体の中で魔力回路が活性化するのを実感できていた。それくらい効果的な体操なんだ。
「このポーズをすれば、両手足の先みたいな魔力回路の末端にも、きちんと魔力が巡回するようになるんだ。ここまでで、何か質問とかはあるか?」
「質問ではないのだけど、正直に言ってもいいかしら?」
「え?」――ちょっと怖いけど、「……ああ、正直に言ってくれ」
「そのポーズ、人前でやるのは恥ずかしいと思うわ」
「……う」
俺は思わず、言葉を失くしていた。
両手を上げて輪を作りながら、足でも輪を作ろうとしてガニ股になっている。実際、けっこうバランスが悪くてプルプル震えたりしていた。
……うん。確かに。
これは人に見られるのは、恥ずかしいよな。
特に、年頃の女子にとっては、少なくともガニ股はきついだろう。
……って言うか、俺も恥ずかしくなってきてるし。
「……ま、まぁ、他にもいろいろ、この冊子には書いてあるから、時間があったら読んでみてくれよな。そ、それじゃ、体調には気を付けろよ」
俺は慌ててそれだけを伝えてから、早足になって生徒会室を後にした。
心臓の鼓動が激しい。恥ずかしさと、魔力回路の活性化とが相まって、身体がカッと熱くなっていた。
……ちゃんと、読んでくれると嬉しいんだけど。
最後がドタバタしていたせいで、なんだか胡散臭くなっちゃってるような気がして不安だった。
もし、あれを実践してくれたら、少しは体調も改善してくれるはずなんだ。
その自信はあるんだけど、そもそも読んでもらえなかったら何の意味もない。
生徒会室から離れていくごとに、不安が増えていく。思わずジッとしていられなくなって、胸に手を置いたりポケットに手を突っ込んだり、落ち着かなかった。
カサッ――
ポケットの一つで音が鳴った。そこには、一枚の紙が入っていた。びっしりと書かれた文字。
「……あ、あの冊子の最後のページが、破れて落ちちゃってたのか」
そこには、体操のクールダウンとか、おすすめの時間帯なんかも書かれていた。寝る前に活性化させると眠れなくなるとか、そういう話も書いてあって重要なページだ。
俺はすぐに廊下を引き返して、生徒会室へ戻っていった。
1分も経たずに引き返してくるなんて、きっとまたいろいろ言われちゃうんだろうな。
そんな気まずさもあって、早く済ませてしまおうと、生徒会室をノックしてからすぐに扉を開けた。
「悪い。さっきの冊子だけど、ページが抜け落ちちゃってた……」
「え?」
「え?」
そこには、両手で輪を作るようにして腕を上げながら、律儀に靴を脱いで足でも輪を作っているネイピアが居た。
まさに、俺が『魔力回路の活性化体操』に記した『最初の体操』のポーズのまま。
「…………」
「…………」
お互い、無言のまま見つめ合ってしまう。
なんだか、視線を逸らしたら負けのような気がした。
なのでここは、俺から視線を逸らすことにした。
「……俺も、体操がやりたくなっちゃったなぁ」
俺は独り言のように呟きながら、さりげなく『第一体操』を始めた。
生徒会室で、無言のまま、手と足で輪を作る二人。
なんとなく、身体がポカポカと温かくなってきたような気がする。
それが体操のお陰なのか、それとも恥ずかしいからなのかは、解らなかった。
「一つ、貴方に言っておかなければならないことがあるわ――」
ふと、背伸びをしたままネイピアが言った。
何を言われるのか、戦々恐々としながら頷く。
「わざわざ、私なんかのことまで気遣ってくれていること、本当に感謝しているわ」
「え?」
予想外の言葉をもらって、思わずうろたえた声を漏らしてしまっていた。
だけどすぐに落ち着かせて、
「どういたしまして」
と返すことだけはできた。
本当に、素直で、真面目な子なんだよな。
だから俺は、ネイピアのことが人間で一番好きなんだ。
相対評価じゃなく、絶対評価として。
身体が、ポカポカと温かくなる。
それはきっと、体操をするよりも強力な活性化をもたらす、嬉しさのお陰だ。
次話の投稿は、本日(6/12)20:30を予定しています。




