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ドロマミレの英雄《シカバネ》  作者: 青条 柊
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7話 遠き日の追想~解放曲~

 ギシィ……と音を立てて扉は開く。

 必死に宥めてバングザンが先行することになった。

 トロムでは咄嗟の出来事に対応しきれないだろうと言ったバングザンの言葉によるものだ。

 

 ぐるりと見渡しても何も見つからない。

 ふと、安堵の息を漏らし、後ろを向かないままで、右手をくるりくるりと二回回した。何もないときの合図だ。

 だから、トロムはそれを見て入ってくる。

 

 床は綺麗だ。

 ―――流れていた血は何だったのだろうか。

 

 ホコリの一つも積もっていない。毎日だれかが掃除していたかのような綺麗さだ。………不気味が過ぎる。

 

 部屋の中には机といす。ペン立てにたてられた羽ペンが一本、一輪挿しに行けられたはが一本。窓の近くに一つの絵。

  

 まるで質素さを味わうために富豪が郊外に作った別荘の様だ。いや、それにしては生活に必要な要素が全くないが。

 バングザンはトロムがそろりそろりと近寄って来るのを待つ。

 部屋の中央にまで入ってから合図を出したので、そこでまだ周りを見ている。

 

 ―――小さな理不尽は未だつづく。些細な違和感の中で。

 

 二人は、まだ、気づいていない。

 

 間を置かず、トロムは口を開いた。それでも安全のためにバングザンの近くにいるのは確認してからの事だ。

 

 「……何もないね」

 「ええ……なんもねえんです。不気味なくらいだ」

 

 全てうっすらとホコリは積もっているが、かなり新しく綺麗な机。椅子、羽ペンに花瓶、床に壁紙。

 特筆すべきものは何一つない。

 何一つない……?

 ……何も………?

 

 ふと、トロムに疑問が浮かぶ。

 そう、先ほどだってそうだった。目と鼻の先に近づくまでこの小屋の赤が血の赤だとは気づかなかった。

 異常な悪臭にも気づくことはなかった。

 ならば、彼自身では気付けない何かがあるのではないだろうか。実は、実際には、本来違和感を感じるべき何かが存在しているのにそれに気づくことが出来なくなっているのではないか、と。

 もう一度、ぐるりと見渡す。部屋の中をまるで美術品の鑑定でも行うかのようにしっかりと見やる。鑑定中に顎を触るのは彼の癖だ。

 

 目をこすり、もう一度見る。

 

 五年も経っていなさそうな綺麗な机。同じ木製の椅子。こちらも五年は経っていないだろう。そこら辺にいっぱい飛んでいる黒い鳥、オウディエの羽ペン。それが立っているのはまさしく手作りのペン立て。少し歪んでいるからか、なかなか趣がある。床も壁紙も、血しぶき一つ、血痕一つついていない。

 作りのしっかりした椅子も生けられた花も、艶やかな羽ペンも、普通のもので何も不思議なものは無い。何も気になるところはない。

 寧ろ、心地いいくらい―――違う。

 

 あああああああ


 頭の中にずっとずっと、何もないと何かが語りかけている。そんな気がする。

 苦しい。違和感があるのにそれが自然なように感じてしまう気味の悪さが辛い。バングザンにはそんな感じはしていないのか、それともただ顔に出していないだけか。

 苦しさの滲み出るかのような顔で、ポツリポツリとトロムは呟く。

 

 「机、綺麗。ただそれだけ。椅子は意外に良いつくり。壁紙は少し甘い。もう少し保存状態が良くなければ。床は埃はほとんどない。花瓶は花を引き立てるいいものだね。羽ペン……何でオウディエ?カラスの羽よりも通りが悪いだろうに。そもそも、黒の羽ペンというのは何か呪術の触媒にでも使われていそうという理由でほとんど出回っていない筈だけどねぇ」


 何とも商人らしい。何を考えているのかうつむくバングザンも少し反応し、トロムを見る。

 彼ら二人は反芻する。

 頭の中で繰り返す。

 机、壁、花瓶、羽ペン、椅子、羽ペン、椅子、ペン立て、花瓶、机、壁紙、壁、机、羽ペン、花瓶…………

 

 

 ―――――その時。


 まるで、雷が天を駆け巡るときの様に、脳内に光が閃いた。まさしく、轟音と紫電光が強制的に目を開かせてきたかのようだ。

 

 トロムの鳥肌が一気に立ち、部屋の、北側の角にあるものを見た。

 バングザンが一気に顔を上げ、まるで睨みつけるように見た。トロムと同じ方向を。


 故に同時に―――

 

 「「な、ぜ、()が生きている―――ッ!?」」

 

 ―――答えに、辿り着く。


 

 まるで嗤う誰かの様に、赤く華咲く緋雁華は、ゆらりと揺れる。

 

 

  

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 

 赤い世界。

 真っ赤な世界。

 真四角の赤。

 

 牢獄と絶望の赤。

 

 少年にとってそれは二年間の事実だった。

 苦しいと、しんどいと、何度嘆いただろうか。喉が渇いたと腹が減ったと何度流れぬ涙を流しただろうか。守ろうと声を掛け続けた少女はもういなくなった。

 支えにならんとしたその手は短すぎて空を切った。

 

 右足の枷が重い。

 いっそ、死なぬのならばこの右足を切り離して這って動こうかと何度思っただろう。だが、自分を傷付けるのは怖い。

 何度も外そうとあがいて、手にも足にも傷が出来てばかりだ。

 

 だが、あの狂人がいる時の方がよっぽど辛かったのだ。

 頭を潰された。心臓を抉られた、舌を引き抜かれた、炎であぶられた、串刺しにされた、水に落とされた、雷に焼かれた。

 呪い殺された毒で殺された寝ている間に死ぬような呪いを使われた。

 何十何百もの殺し方という殺し方を少年は試された。

 

 ああ、それよりも、そんなことよりも。

 シャリアがいたんだ。

 その通りだ。

 彼女がいたから、少年は諦めなかった。彼女を守りたかった。支えたかった。


 ―――守れなかった。支えることも出来なかった。

 

 少年の苦悩はそこに起因する。


 彼は、自分が何回も繰り返し苦痛を浴びて死んでいくことより、一度シャリアの叫びを聞く方が嫌だった。

 シャリアの笑顔が苦しそうな顔にゆがめられていくのを見るのがつらかった。

 シャリアが、シャリアの纏う雰囲気が一日一日と黒色に染まり始めていくのが怖かった。

 

 少年は苦しむ。


 ―――わっちの目の前で

 ――――――わっちが殺されたせいで……

 ―――わっちの声が聞こえなかったみたいで

 ――――――シャリアの瞳が泣いていたのに……

 ―――シャリアが呪いに呑まれた。

 ――――――シャリアの周りに黒い霧。

 

 それはまるで、熊みたいな狼みたいな獣の、四足の獣の姿となって。

 

 ―――わっちは吹き飛ばされたんだ。


 ――――――ちかづくなと、近づかないでと願われた。

 

 わっちは守れなかった。守れなかったんだッ!!

 

 叫ぶ。

 

 まるでその心臓を破るかのような悲痛さがあらわれる。

 ああ、そんな時だ。

 絶望が少年の心を染め上げんと食い散らかさんとした瞬間だった。

 

 ―――――赤が晴れた。




 絶望の瞬間に現れた赤の牢獄を晴らす太陽(サンシャイン)は、ありふれた話に相応しくただの商人だった。

 

 二年後の空に慟哭(グリーフ)解放曲(リベルタ)がしんみりと。

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