6話 遠き日の追想~共鳴曲~
「?ありゃあ、どういうことだ?」
見ると、どう見ても、一つだけ崩れていない家があるように見える。
遠く、それこそ、最初にトロムが指差した風車の家の先にある小さな小屋みたいな何かだ。その赤木の壁の家だけ、傷跡も大きいものはぱっと見では見えないし、柱が折れていたり、壁がなくなっていたりしない。雪は積もっているが、他の様に、半分以上が埋まっているなんて感じじゃあない。
―――ユキヨケの花が、たくさん咲いていた。
「トロムさん、あれ、何か無事な家、見えませんかね?」
護衛だから、そこまで遠くに行くことがあってはならない為、普通に喋れば声が聞こえるぐらいの距離にいるバングザンは言った。
そちらを向かずに、赤くなった鼻をこすりながら。
「んん、……確かに壊れていないように見える…?あんなところに小屋なんてあったかな?それに―――」
―――それは、二年前の記憶を掘り起こしても見当たらない小屋。
ここ二年の間に建てられたのだろうか。
しかし、もう一つ。
トロムの背筋を嫌な風がさすっていく。
バングザンは際限なく辺りを見渡している―――辺りの木々を見渡している。
―――――それは単純な疑問。
「……………………この辺、あんな赤い木、ありましたっけ?」
「見える限りにゃ、ありやせんね」
空に、小さな苦悶が溶けていく。そんな気がした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さて、人は濃密な死臭と言われて何を思い浮かべるだろうか。
バングザンは冒険者だ。とはいっても主には傭兵みたいな仕事をしている。華々しい英雄譚に語られるような、そんな〝おきれい〟な職業者ではなく、泥まみれになって血をすすって生きる様な職業者だ。戦争にも参加したことがある。
だから知っている。
「!?うぉえっ?…なん、なんだ?コレはなんだ!?この、臭いッ…」
トロムがえづくのも無理ないと。
「こりゃしっかりしてくだせえ、トロムさん。こいつぁ、数百人は死んだレベルの血臭だ」
血に染まった丸太で出来たログハウス。
何が起こればこうなるのか。そして、なぜ、この家だけは壊れていないのか。
まるで寸前に何百人もの人が死ぬようなことでも起こったのかと言わんばかりの臭い。
それは、赤くなりかけていたトロムの顔を青く引き攣らせた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
もはや、ここが地獄ではあるまいか。
東方に語られると言われている―――絹織りの大道を通りココ西方にまで伝わってきた―――死者の行き先とは、血塗れ冥府とは、このような光景なのだろうか。
トロムは喉元まで逆流してきた胃液を必死で抑え込んでいた。ピリピリした痛みが喉を襲うが気にするほどの事ではない。
気分も悪いし、何より怖い。
だがふと、トロムはこんなことを考えていたのだった。
対して、そんなトロムを横目で見るバングザンは。
この圧倒的な非常事態を警戒し続けていた。
何せ異常だ。
そもそも、村の壊れ方からして普通ではない。
そしてもう一つ、おかしいと感じるところがあった。経験則と言えるほど上等なものでもないが、それでも戦場に出た経験がその違和感を確かだと言えるところにまで引き上げる。
(赤すぎねぇか……?血ってこう、黒ずむもんじゃなかったか?)
顔を顰めて臭いをこらえているようにも見えるが、内実は頭を抱えていると言ってもいいかもしれない。
―――その瞬間気付いた。バングザンは気付いてしまった。
そこから目を離すことなく、トロムへと声を掛ける。
「トロムさん、あれ……」
指で指し示し、トロムに見せる。
それは小屋の扉。
さらに言えば、扉と床の隙間。そこから段々と流れる赤いモノ。
鮮血だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
血は乾けば黒くなる。
当然だ、というか自然の摂理だ。それに血というのはどろどろとしているものだ。それがさらさらと流れていくのは不自然。少しずつ流れているのに小屋が真っ赤になる程であるというのは、尚不自然。
何らかの力が働いているのは見ればすぐにわかる単純な事実で、このご時世戦闘を生業とするものにそういう者への嗅覚がないものなどいない筈だ。
だが、この時、バングザンは目の前の建物に何ら違和感を感じていなかった。寧ろそのことが異常だと気づけたレベルで不自然なほど自然だった。
バングザンの恐怖心はむくむくと大きくなっていく。
傭兵ならばこの程度の事で恐怖しないだろう?
そんなことがある訳がない。
元来、戦士とは臆病なものである。ヒトというのは野生の本能からして敗北者であり、逃走者なのだ。その中でも特に臆病なモノたち、自分だけではなく、自分の〝大切〟が傷つくことすらも恐れて怯えるものだからこそ、そう、怖いがゆえに立ち向かうのが戦士というものだ。
恐怖する、恐怖をしながらも立ち上がり、歯向かう。
怯懦を見せながらも、死に対し剣を振るう。
だから、だからこそ、戦士は讃えられてきた。
すなわち、彼らもヒトである。ヒトでありながらも立ち上がったモノたちである。
それはマイナスにマイナスを掛けてプラスにしたようなこと、もしくは天秤を無理やり傾けた様なもので、その恐怖は消えざるモノなのだ。
―――そうではない戦士はおだてられて木に登る豚の様な者か、そもそも恐怖が出来ない異常者である。
バングザンはアレでもソレでもない。
だから恐怖を持つし、恐怖の中で戦う一般的な戦士である。しかし雇われ者でもある。
こんな異常事態の中でも、雇い主が動かないならば動けない。しようのないことなのだが、溜息を吐きたくなる。
少し目を空にやるのも仕方ないことと言っていいのではないだろうか。
はぁ……、と息を吐くその息は白い。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
カラスは思う。
あんな場所になんて近づけない。
ハイエナは考えた。
近づくリスクと食らうディスアドバンテージを。
屍喰らいの獣たちすら軒並み近づけない。
赤い屋根は、血みどろの色。
赤い壁は、血まみれの色。
赤い地面は、血の池の色。
真っ赤な世界は真四角の牢獄。
彼は一人で耐えている。耐え続けて、いた。
倫理観というものなどゴミくず以下の何かだと吐き捨てた狂人すら堕としきるのを諦めた。諦めの悪さで耐え続けていた。
たった二年間、されど二年間の悲劇。優しくない世界の美しくない部分からすれば、ありふれたどころか、まだ生温い理不尽。
そんなところに落ち続けた彼はその瞳に、まだ光を宿していた。薄く開かれただけの狐目がとめどなく鎖を外す方法を探している。
弱者としてあり得ない程の心の強さ。
湖面の様に凪いだ瞳の奥には焦燥を通り越した悲壮感を仄めかす。
しゃがれて罅割れた声が静かに滲む。
「どかに、……どっかニ、どっかにあるはず、なんだぜ………」
今なお抗い、今なお足掻く。
その姿はまさしく無様、不格好。
そう、まるで泥中を進もうとする足のもげた蟻の様だ。
だが、蟻のごとき歩みだろうと、蝸牛のように這いつくばっていようと。
天高くを飛ぶ鷲にはなれないような絶対的弱者だとしても。
必死で前に進もうとする者を、モーイーライは見捨てない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
バングザンから見れば、トロムはもう限界だ。
血の臭いだけで吐いてしまう様な優しい男がこの先に立ち入れるとは思わない。寧ろ護衛の立場としてはこう言わなければならないだろう。
「……トロムさん。もう帰りましょうや。危険ですし、誰もいないように見えるじゃないですか」
口を拭い、ドアノブに手をかけていたトロムに声を掛ける。
だが、薄々バングザンにも分かっていた。
――――――――――
誰から見ようと、少年――デウスはもう限界だ。
寧ろ限界を超えているのかもしれない。拘束されている上に不可思議な場所にいるせいでがしを続けてきた。だが、彼はまだ囁くように声を出す。
「わっちが、ここで諦めて何になるっていうんだぜ……。 何にもならないッ!!」
ギリィと歯ぎしりをしてかすれるように叫ぶ。
そう、彼らには破ってはならない誓いがあった。
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「「私は、私が諦めることで悲しむ一人をこそ、救いたいんだ!!」」
まるで地獄のような場所、少年の不屈と商人の悲願が、共鳴曲となり響き渡る。




