神玉石は意外な所にあったらしい
魔王軍は進軍しかけていた北大陸との国境から、間も無く撤退した。聖王の膝下にいる魔王ガル=アルト・デュエ・シュヴァルトの呼びかけに応じたのだ。
そしてその返礼として、聖王宮は魔王の傷の手当てを全力で行った。そうしてガル=アルトの傷がすっかり癒えたころ、北大陸と南大陸の境界の森まで、彼を送り届けた。
魔王が聖王宮を去った日の、夕方。
私は王宮の回廊で聖王を捕まえた。
白い柱が林立する長い回廊の両脇には花壇があり、赤や黄の可憐な花々が咲いていた。外は強烈な夕焼けで、柱の間から眩しい赤い光が差し込んでいる。
ルイズィトが持つ手提げランプの明かりが、完全に夕陽に負けている。
瞼の裏まで緋色に染まるような夕日の眩しさに、目を少し細めながら私はルイズィトに少しだけ時間をくれと頼んだ。
執務室に向かう途中だったルイズィトは、なんだろうと首を傾けつつ、私の話を聞こうとしてくれた。
「陛下にお伝えしないといけないことがあるんです」
私の様子から何か大事な話を予感したルイズィトは、手にしていた手提げランプを近くにあった飾り台の上に置いた。
「改まってどうしたのだ」
すぐには本題に入れない。その勇気がない。だが、いつかは話さないといけない。少なくとも春の儀式までには。
「陛下は魔族をどうしておくおつもりですか? 彼らは再び攻めてくるんでしょうか?」
ルイズィトは柱の間に視線を投げ、その向こうを見つめた。空一面を橙色に染めている夕日を。
「そうだな。そうかもしれない」
「その時は戦争になるんでしょうか?」
「……私は、ゆくゆくは天空島を一時的に南大陸に動かしても良いと思っている」
その回答に、少し驚く。
「対立するのは簡単だが、いつかそれをやめなければならない。共存を望むならば、和解を選ばなければ」
ルイズィトは現状維持で良いとは思っていないようだった。
「そのためには、春を呼ぶことが必要なのですね。南大陸にも」
ルイズィトは力強く頷いた。
北だけでなく、不毛の地の南でもその地で春を引き上げる必要があると、彼はそう考えているのだ。
それは魔族と聖族の全面対決を避けるための、大きな決断かもしれなかった。
「魔族が聖暦113年から神の罰を受け始めてから、一千年だ。もう、十分すぎるほど罰を受けただろう」
今すぐではない。
けれど、ルイズィトが南大陸にとって初めての春を呼ぶ日が、いつかくるかもしれない。そしてそんな新しい時代に聖王が踏み出そうとしていることを頼もしく、そしてそんな人の妃であることを、誇らしく思う。
魔族と聖族が分断されて千年。魔族が受けるべき罰は、終わるのかもしれない。
今後はゆっくりと両者の交流が進んでいくのかもしれない。
私が話に納得したのをみた彼は、話は終わりだろうかと歩き始めようとした。
そこをくい下がる。
「もう一つ、大事なお話があるんです」
本当はこっちが本題だ。
両手に握りしめていた小さな巾着を差し出す。
ルイズィトはそれを受け取ると、黙って中に入っているものを取り出し、目を細めてしばしそれを見つめた。
「神玉石の指輪です。……陛下の指から、魔王が神玉石を破壊したあの夜に、私が盗ったものです」
勇気を出して打ち明ける。いつまでも黙っているわけにはいかない。
ルイズィトはじっと指輪に見入ったまま、何も言わない。
「陛下の指に今はまっているものは、魔王から渡された贋作なんです」
ルイズィトは軽く息を吐いて笑うと、巾着ごと指輪を私に返してきた。
「陛下?」
「こちらも同じく、贋作なのだ。返す必要はない」
「えっ、これも偽物だったんですか? それじゃあ本物はどこに?」
「私の本物は、首から下げているのだ」
そういうとルイズィトは襟元に手をやり、ローブの下から金色の鎖を引っ張り出して見せた。その先に、銀色の指輪が取り付けられている。どうやらネックレスにして身につけていたらしい。
「そんな……、全然知りませんでした。そんなところにお持ちだったなんて」
狼狽えて尋ねると、ルイズィトは私の両手を取った。
「これは代々の聖王と妃しか知らぬことなのだが、聖王は結婚するとその妃に神玉石の指輪を渡すのだ。王太子が生まれるまで、妃に持っていてもらうために」
指輪はルイズィトとアーサーが持っているのだと思っていた。それが違った?
でも少なくとも私は聖王妃だけれど、それを貰ってはいない。指輪なんてーー。
(ん? いや、そう言えば指輪はもらったな……)
まさか、と目を剥いて自分の手を顔の高さに掲げる。
ルイズィトにもらった指輪が確かにあった。押し花がガラスに閉じ込められた、可愛らしい指輪だ。
朝食に食べたパイの中に入っていたやつだ。
半信半疑でルイズィトの顔を見上げる。台座は神玉石の指輪と同じく、シンプルな形をしていて同じ銀色だけれど、まさか。
顔を上げると、ルイズィトは私の推理を後押しするように、頷いた。
「ま、まさかこの花の指輪が、王太子の神玉石だったんですか?」
押し花とルイズィトを、交互に見る。彼は少し寂しげにまなじりを下げ、静かに頷いた。
予想もしなかった真実に、大きく息を吸って再び吐き出す。
「そんなことは、想像もしませんでした……」
私が交換したくて悶々と悩んだ本物が、とっくに私の指にはまっていたなんて。どんな皮肉だろう。
「聖王妃である貴女には、私の誠意として渡さねばならなかった。だが、貴女が私の神玉石に妙にこだわっていることにも、気がついていた。だからそれを分からぬよう、上に押し花のガラスを被せて細工したのだ」
「細工というより、あの渡され方が一番、目くらましでしたよ」
薄く笑うルイズィトに、改めて謝罪をする。
「陛下、本当に申し訳ありませんでした」
「貴女は別に、聖界の益を損ねるようなことは何もしていない。むしろ魔王の捕縛に一役買ってくれたではないか」
ルイズィトはそういうと、急に片膝をついてしゃがんだ。何事かと目を白黒させる私の左手を取り、こちらを見上げてくる。
「シャーロッテリナベル。私の妃になってくれますか?」
言われて初めて気がついた。そういえば、私たちの結婚にはプロポーズのようなものは全くなかった。海亀のヒビに命じられて、夫婦になったのだから。
夕日を浴びて赤銅色に見えるその髪の毛を上から見下ろすのは、感慨深かった。
聖界を治める聖王が、膝をついて私に請うなんて。
聖王は私だけのルイズィトだった。
「私は、もうとっくに陛下の妃ですわ」
にっこりと出来る限り愛らしく笑ってみせると、ルイズィトは素早く立ち上がり、私を抱き寄せた。
「では、身も心も私の妃になってほしい」
「えっと、それはっ……」
ルイズィトが何を言わんとしているのかを察し、あわあわと焦ってしまう。ルイズィトはサッと屈むと、そんな私を抱き上げた。膝が彼の腹部に当たり、不安定なので両手で肩にしがみつく。
慌てる私をルイズィトはおかしそうに見上げている。
「今夜だ」
「今夜!?」
「今夜こそ、逃すつもりはない。疲れたフリも、疲れた私をいたわるフリも、喉が渇いたフリも、通じない」
参った。
全部、フリだったとばれていたなんて!
ルイズィトは腕に力を入れると、私を弾みをつけて一度高く上げ、両腕で抱きしめるように互いの距離を縮めた。紫色の瞳が、妖艶に私を見上げる。
「今夜は何がなんでも貴女を抱く」
「そ、それはっ」
「お返事は? お妃様」
「ーーわ、分かりました……」
「分かったなら、キスをしてくれ」
なんでこの話の流れに唐突にキスが出てくるのか、なんて言うことはもうどうでも良くなっていた。
キスをねだるルイズィトの熱い視線に、頭の奥が痺れてきてしまう。
頭の位置を下げて、ルイズィトの唇にそっと自分の唇を押し当てた。
キスが終わると恥ずかしさのあまり、とても目を合わせてはいられず、顔を伏せて彼の肩の上に顔を埋めた。
次話が最終話となります。




