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雨降って、地固まるらしい

 目を開けた時、視界に飛び込んできたのは風にそよぐ白いレースのカーテンだった。

 端に精緻な白い花が刺繍されたカーテンが、ふわふわと優しく揺れている。

 既に朝を迎えているらしく、部屋の中は明るい。

 近くで弦楽器が生演奏されているらしく、軽やかな音楽が聴こえてくる。

 ここはどこだろう、と不思議に思いながら、首を横に動かす。

 恐る恐る両手を上げるが、なんの痛みもない。


(おかしいな。氷の像になったはずなのに、霜焼けひとつない……)


 いや、霜焼けどころか、目の前に掲げた左手には、ガル=アルトの腕輪もない。

 パタパタ、と温かな水滴が頬に落ちてくる。

 私を覗き込んだ紫色の瞳から、落ちてきた涙だ。


「ルイ、ズィト……」


 名を呼ぶとルイズィトが私に覆いかぶさる。長い髪がサラリと私の肩に流れ、檻のように顔周りに垂れる。


「私、死ななかったの?」


 寝過ぎたのか掠れる声で尋ねると、ルイズィトは私の両手を握った。


「貴女を決して死なせたりはせぬ。異界からきた王女だとしても」

「治癒術で助けてくださったんですか?」

「そうだ。治癒術を神官長と、丸一日かけて施したのだ」


 神官長!

 彼は裏切り者のはずだ。

 私は言わんとしたことを察したのか、ルイズィトは私の唇にそっと人差し指を当てた。


「本人から釈明を聞くといい」


 そういうなり、ルイズィトはドアに向かって「ジャンティーレ」と呼びかけた。

 足音も立てずにこちらにやってきたのは、神官長だった。長いローブを床に引きずっている。

 私は警戒して上半身を起こし、寝台に腰掛けているルイズィトの腕に捕まった。

 その私の手に、ルイズィトが自分の手をそっと重ねる。

 神官長は寝台脇に膝をつくと、手を胸に当てて口を開いた。


「妃殿下。お目覚めになり、心から安堵しております。ーー私が魔王の配下になったというのは、魔王の勘違いにすぎません」

「勘違い?」

「私は魔王に従うふりをし、出方を窺っていたのです」


 配下になったお芝居をしただけだ、というのか。でもそれなら、亀の甲羅占いはどうなる。


「では、どうして私のようなフランツの王女を選んだの?」


 神官長は大真面目な様子で言った。


「それは、神が貴女を聖王妃に選んだからです」

「甲羅占いは、嘘だったんじゃないの?」

「誓って真実、神託がありました。甲羅は大陸の最東端、フランツを指していました」


 警戒して硬くなっていた心が、徐々に解れていく。


「本当に? 私が?」


 するとルイズィトがこちらを向き直り、私の両肩を抱き寄せた。温もりが伝わり、心の中までじんわりとあたたかくなっていく。


「もちろん、ベル。貴女が選ばれたのだ。神はお見通しだった。私が一目で貴女に惹かれ、ここに来てしまえば虜になることを」


 とろけるほど甘い目で私を見つめ、ルイズィトが唇を寄せる。彼の唇が私のそれと重なりそうになった時、私はあっと声をあげた。


「天空神殿はどうなったの?」

「天空島から神玉石を切り出し、聖王宮の神殿に再設置した。無事湖の上に係留させている」

「良かった。ーーそれで、ガル=アルトは!? どこにいるの」


 ルイズィトはため息をつき、後ろに跪く神官長は気まずそうにゴホンと咳払いをした。


「魔王はアーサーが切りつけた傷の治療中だ。なかなかの深傷で、当分最高の盾として聖王宮の厳重な警備の中にいてもらう」


 驚いて目を瞬くと、ルイズィトは滲むように笑った。





 ガル=アルトはかなりの重症で、神官たちの聖術による治療がなければ、王太子に刺されたその日のうちに亡くなっていてもおかしくはなかったらしい。

 聖王宮にいる魔王は魔族が聖界に攻め込んでくるのを防ぐ、重要な盾であった為、神官たちは彼を死なせない程度に、ゆっくりと治療をした。


 忌々しい手首の腕輪がなくなってから、一週間。

 私は自由に動けるまで快復すると、ガル=アルトを訪ねた。

 聖王宮の奥深く、衛兵によって厳重な警備がされているとある塔に彼はいた。

 石作りの階段を一段上るたび、カツン、カツーン、と靴のヒール音が反響する。

 塔に上がる螺旋階段はかなり急で、かなり歴史がある建物なのか段の一つ一つがすり減っており、鉄の手すりにしっかりと掴まらないと危ない。

 冷たい手すりを支えに、丸い塔の上へと上がる。

 最上階の五階にたどり着くころには、いくら東京より涼しい聖界の夏とはいえ、汗だくだった。

 私の少し後ろについてここまでやってきたサラは、膝に手をついて肩で息をしている。


「魔王ったら、こんなラプンツェルみたいな細長い塔に閉じ込められてるんですね」

「閉じ込めてるなんて、人聞きが悪い。聖王宮は、手厚くもてなして治療をしてあげてるのよ。天空島を盗もうとした魔王を」


 階段の先には小さなホールがあり、更に向こうには間口の狭い部屋があった。入り口には鉄格子がはめられ、その両側にも衛兵が立っている。彼らは私とサラの姿を見るや、機敏に敬礼をして直れの姿勢を取り、すぐに鉄格子の鍵穴に鍵を差し込んだ。


「お待ちしておりました。聖王陛下より、面会は十分以内でと伺っております。くれぐれも手短にお願い致します」

「分かってるわ。寝込んでいても魔王ですもの」


 小さく頷きながら、サラと鉄格子の先の部屋に入る。

 部屋は狭かった。

 金網のはめられた小さな四角い窓が一つあったが、いかんせん小さ過ぎて、昼過ぎなのに仄暗い。治療を受けるのに最高の環境とは言えないが、侵入された挙げ句に好き勝手をされた聖界からすれば、これが精一杯の誠意だ。

 丸い壁のその室内には、簡素なテーブルと寝台が置かれているだけだった。

 ガル=アルトはその寝台に横たわっていた。白いシンプルなシャツをまとい、大人しく仰向けに横になっている。こちらに首だけ向けていたガル=アルトは、やってきた私と目が合うなり、薄い笑みを見せた。


「これはこれは、妃殿下。まさか見舞いに来ていただけるとは。――聖王と神官長の加護で一命を取り留めたというのは、本当だったようで」

「それは貴方も同じよ」

「妃殿下、やっぱりこの人ホンマに魔王ですよ! びっくりやわ」

「ちょっと、サラ、急に沙羅に戻らないでちょうだい」

「魔王はミミズクになれるんですよ。聖界偵察にきた魔王とヒロインが出会って……。魔王エンディングでは二人で魔界に行くんです」

「サラはどう? ……ガル=アルトと魔界に行ってみる?」

「いや〜、現実にはそんな勇気はないですねぇ。だって魔界って、ほとんどが一輪の花も咲かない、極寒の不毛の地なんですよ? 愛があっても、いくらイケメンがいても、きついです。やっぱりゲームとは違いますよ」


 ひそひそと入り口で話し込む私たちに、ガル=アルトか怪訝そうな目を向けている。

 私はガル=アルトに近づいていった。彼の枕元まで歩くと、そのまま右足を上げて寝台の枕元に下ろす。

 ボスン、と音がして頭の近くに靴を下ろされたガル=アルトが驚いたように一瞬目を開ける。

 乗り上げた右足に肘をつき、彼を覗き込みながら呟く。


「魔王、あんたには散々苦しめられたわ。――どう仕返ししてあげようかしら?」


 ガル=アルトはゆっくりと瞬きしながら、黙っていた。そう言われることは少し覚悟していたのか、表情に変化はなかった。薄暗いので顔色までは分からない。

 手を伸ばし、ガル=アルトの胸の辺りまで掛かっていた寝具を一気に捲り上げる。

 彼は両手を縛られていた。細い綱のようだが、聖術が施されているのか、薄闇の中でキラキラと光っている。

 腰から胸元まではシャツの下に包帯を巻かれているのか、盛り上がっていた。


「いい気味」

「言い訳をするつもりはありません。妃殿下を殺しかけましたから。煮るなり焼くなりして下さい」 

「あら、殊勝なことを言うのね。意外だわ。――そうしてやりたいのは、事実よ」

「妃殿下。貴女には完敗しました」

「そんなセリフを言われる日が来るとは、思わなかったわ」


 ガル=アルトの今後は、私の一存にかかっている。

 ルイズィトはガル=アルトを死なせぬよう治療をしたが、まだ最終的な処遇を決めかねていた。だから一番の被害者である私の意見も聞いてきたのだ。私はガル=アルトに会って判断したかった。その結果、渋々ルイズィトがくれた機会が、この面会だった。もちろん当の本人、ガル=アルトはそんなことは知らない。

 私は膝の上に乗せていた右手をガル=アルトの方へ伸ばした。そしてたどり着いた彼の腹部に触れ、ぐっと押してみる。


「っ……!!」


 ガル=アルトは瞬時に顔をしかめ、歯を食いしばった。傷に強烈な痛みが走ったのだろう。目をつぶり、耐えるように右頬を枕に押し付けている。

 叫ばないところが、さすが魔王、といったところか。魔族の頂点に立つ者としての、矜持が彼を支えているのだろう。


「そうよね。痛いわよね。私も、痛かったわ」


 右手を離し、痛みから解放してあげる。

 ガル=アルトは呼吸を落ち着かせるように数回、深呼吸をすると脂汗が滲む顔を、私に向け直した。


「正直、俺の名を貴女が呼ぶ日が来るとは、思っていませんでした。俺が何者かを、ご存じだったんですね」

「腕輪がしまる事態は、完全に予想外だった?」


 ガル=アルトは答えなかった。何を言っても言い訳になると分かっているからだろう。

 私は膝の上に両手を乗せ、軽く寄りかかりながら聞いた。


「貴方は生きたい? それとも死にたい?」


 単刀直入にそう尋ねると、ガル=アルトは意外なことを言われたように目を見開いてから、ふっ、と小さく吐息を漏らして笑った。とても投げやりな笑みだった。


「――悪いが、生きたい」


 そうだろう。

 私も、生きたかった。

 ガル=アルトは心配そうに瞬きをし、少しだけ眉根を寄せて言った。


「テレンスはどうなりましたか?」

「元気にしてるわよ。地下にいて、やたら部屋から出たがって周りが困っているくらい」 

「つまり、地下牢ですか」


 私はじっとその左右で違う二つの目を見下ろした。左の緑と、右の青を。

 どちらの目を見ればいいのか、束の間迷ってしまう。

 テレンスの命運も、いまや魔王の処遇次第だ。

 テレンスも魔王家の者で、結構な魔力の持ち主らしいが、しょせんは子どもだ。魔王にとってはオマケみたいなものだろう。彼だけをつれて単独で聖界にやって来たのだから、敵ながらたいしたものだ。

 そう考えて、ふと呟く。


「思えば魔界のトップなのに一人で乗り込んできて、貴方エライわ」

「お褒めに預かり、光栄です」


 私はこの男をどうしたいだろう。

 ガル=アルトの魔術のせいで危うく殺されかけたというのに、顔を見ると不思議と怒りは湧かなかった。


「ねぇガル=アルト。貴方はなぜ武力ではなくわざわざ私をスパイに使ったの? 全然役に立たなかったでしょう、私」

「……。聖界を手に入れるのに、そちらの方が安上がりだったからです」

「貴方は聖界が欲しかったの?」


 行儀悪く載せていた右足を床に下ろすと、腰に手を当ててガル=アルトの答えを待つ。彼は私から目を離し、宙を見つめた。


「本当の目的は、聖界と争わずに天空島を奪うことだったからでしょう?」

「さて、どうでしたっけね」


 私は聖王宮の神殿の祈りの間で見た、魔界を描いた絵画を思い出した。

 この男はきっと、魔族にも春を見せたかったのだ。


「全面衝突を避けようとしたのよね。その一点だけは、褒めてあげるわ」


 ガル=アルトは体を少し揺らして笑い、けれどその振動に傷が痛んだのか、すぐに顔を歪めて笑いをおさめる。


「俺は失敗しました。それで十分でしょう」

「あんたを殺してやりたいのは山々なんだけど、聖界の為には生きててもらうほうが、役に立つのよね。私、王妃だから私情だけで行動できないのよ」


 ガル=アルトはしばらくの間、無言で私を見上げていた。

 何度かゆっくりと瞬きをした後で、脱力したようにふっ、と小さな笑みを見せた。


「貴女は、ちっとも王女らしくありませんでしたが……。聖王妃としての貫禄はお見事です」

「このシチュ、めっちゃ萌えます!!」


 私が答える前に、サラが場違いにも目を輝かせて割り込んだ。 

 呆れて振り返ると、意外にもサラは真顔で至極真っ当なことを言った。


「妃殿下、そろそろ十分経ってしまいます。お早く本題に入りましょう」

「そうね。ありがとう」


 ガル=アルトと目を合わせる。そうして、部屋の入り口に控える兵達に聞こえないくらいの声の大きさで、語りかけた。


「聖族と争う気がないのなら、魔界に帰してあげてもいいわ。でもね、エジリアの神玉石を盗んだのは、状況からすれば内部犯としか思えないの。その人物を、魔界に戻ったら引き渡してもらえる?」

「なぜ魔界にいると思うんです?」

「エジリア中、どこを探してもないからよ。その人は聖族を裏切って、魔族についたんだわ。あなた方もそうコロコロと気が変わる人を、信用しない方がいいわよ?」


 これだけは、筋を通しておかなければ。他の国にも示しがつかない。図星だったのか、ガル=アルトは苦笑した。私はいよいよ本題に入った。


「それとエジリア国境にいる貴方の軍隊に、引くように伝えてちょうだい」


 暗い中でも、ガル=アルトが頰を強張らせたのがわかる。

 私の発言がお願いなのか、強迫なのかを見極めようとしているのだろう。真意を尋ねるように、慎重に彼は口を開いた。


「俺がその脅しに乗ると?」

「やぁね、人聞きの悪いことを言わないで。私は貴方じゃないんだから。彼らがエジリアに攻め込んできたら、貴方を治療する理由がなくなるでしょ」 


 ガル=アルトは不可解そうに顔を顰めた。

 言うべきことは言った。

 踵を返すと、私は心配そうにこちらを見ている入り口の衛兵のもとに戻った。

 サラは鉄格子が閉まる瞬間まで、寝台に横たわるガル=アルトをじっと見ていた。

 ガシャン、という音と共に鉄格子が閉まると、視線をガル=アルトから剥がした。

 そして二度と、後ろを振り返らなかった。



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