(46) 桶いっぱいの色のついた水と試験管
「おい。そりゃ実際にあるんなら面白そうだからってので請け負うことにしようかと思ったが、いくら貴族の子どもだからって言っても、ガキがからかってるってんなら付き合う気はねぇぞ」
そう言って席を立とうとしかけるディカルトに、ヴァルトは「まぁ待ってください」と声をかけた。
「何もただの思いつきだとかで言ってるわけじゃありません。
ちゃんと現実味があって言ってるんですよ」
そう言いながらヴァルトが懐から(懐から出したように見せかけて、実際はアイテムボックスからだが)取り出したのは、創造魔法で作っておいたUの字型のガラスの筒、前世でいうところの試験管である。
「あ?
そりゃあ……硝子か。……すげぇな、まるで混ざりものがねぇ。完全に向こうが透けて見えるくらい透明だ。こんなのほとんど見たことがねぇ」
怒って立ち去ろうかとしかけていたディカルトではあったが、ヴァルトが取り出した硝子の試験管を見た途端に目を大きく見開き、魅入られたかのようにそこから視線を外せなくなっていた。この世界では窓ガラスなどに若干透明度があるものはあったとしても、完全に向こう側が透けて見えるほど透明なガラスというものはあまり出回っていないようである。
(それなら、クリスタルガラスの製法は十分に技術資源になりそうだな。それに、バカラのグラスやカットグラスのような加工法も、まだ広まってはいないみたいか……)
「おい、こんなのどこで手に入れ、いやどうやって作られたんだ?
これでも装飾細工師の端くれとして、色々な硝子を目にしてきたが、ここまでの透明度があるやつを見たことがないぞ。
こんなのが扱えたら、妄想で終わってた色んなのが作れる……なぁ、教えてくれ!」
ガッとヴァルトの両肩を掴んで、揺さぶるようにしながら問いかけてくるディカルトに、ヴァルトは微笑みで返した。
そうしてヴァルトが微笑んだまま答えずにいると、しばらくして衝撃から立ち直り落ち着きを取り戻したディカルトが、ハッとした表情を見せた後に慌ててヴァルトの両肩から手を放して距離を置き、頭を下げてきた。
「す、すまん!つい取り乱しちまった!!」
「いえいえ、気にしてませんからだいじょうぶです。それより落ち着いたのでしたら、もう一度席についていただけないでしょうか?」
ヴァルトがそう対応すると、ディカルトはもう一度頭を下げた後におとなしく先ほどの座席に座り直した。
「この透明な硝子の製法についてですが……そんなに知りたいのですか?」
ヴァルトがそう尋ねると、ディカルトがぶんぶんと大きく上下に首を振る。
「そうですね……先の依頼を受けてくれた上で、僕が教えた、ということを秘密にする、という条件を飲んでいただけるのでしたら、依頼の報酬として教えてもかまいません。
あ、そうだ、あと依頼で作ってもらう井戸の水揚げを効率的にする装置、それが上手くいった場合、その製法や理屈についてもディカルドさん、あなたが考案し僕に教えてくれた、という風に話を合わせてくださるというのも条件になります。
また、この硝子を制作する場合は……少なくとも、数年はこの地でのみの製造とし、ある程度それが世間に有名になるまでは他言無用でお願いすることになると思いますが、それでもかまいませんか?
これらの条件を飲むことができるのであれば、お教えしてもかまいませんが」
それがダメなら透明硝子の製法についても内緒です、とヴァルトが続けて言うと、ディカルトはまるで首降り人形のようにぶんぶんと首を縦に振りながら「そんな条件でいいってのならもちろん約束する!」とすぐさま同意を誓ってみせた。
「では契約成立ということで。
後ほど書面にて正式に交わそうと思いますので、その後に硝子の製法についてはお教えいたします。
それと、それでは弁……出会った時に僕が言った装置のことですが、それの制作はお任せします。
材料は……そうですね、水に漬かっていても変形しない、しにくい材質の木材と皮革での制作をお願いします。これはこの部分が常に水に浸かっている状態になるのですが、歪んだり伸びたり縮んだりしてしまうと最終的に制作するものの部品として、目的を達成できなくなってしまったりするからです。そのために必要な木材や皮革について指定があるのでしたら、僕に何が必要なのかを言ってくれれば材料は用意はしますので」
「わかった。
……けどよ、さっきも言ったが、水を汲みやすくするための装置の仕組みってのは、ちゃんとしてるんだよな?
要求された通りの、弁、だっけ。それを作ったとしても、装置の仕組みってのがちゃんとしてなけりゃ無駄なことになっちまうかもしれないんだぜ?」
「だいじょうぶですって。先ほども言いましたが、ちゃんと上手くいく理由がありますから」
不審そうにいうディカルトに、ヴァルトはそう力強く断言する。その上で、
「そうですね、じゃあ論より証拠ということで、実際に見てもらいたいと思います」
と言って試験管を手に微笑んでみせた。
いまいち不信そうなディカルトにだいじょうぶだと断言したヴァルトは、彼に「少しだけ待っていてくださいね」と声をかけた後、応接間の傍の廊下でヴァルトが声をかけるまで応接間へと入らず、人が来ないように見張り役兼で待機してもらっていたティアナに声をかけ、小さめの桶に水を八分目まで入れたものと、絵の具を持ってきてもらった。そしてそれを持ってきた彼女と一緒にディカルトの前にまで移動すると彼に声をかけた。
「それじゃ、実際に実験をしてみせますので見てもらいましょう。ティアナ、どうせだからキミも知っておくといいよ」
そう言ってヴァルトは桶に満たされた水に絵の具を入れて水に色を付けると透明硝子の試験管をその中に沈みこませる。
「水はそのままだと透明で分かりづらいですから、わかりやすくなるようにわざと絵の具で水に色をつけておきました。
さて、いま、試験管……さっきの透明な硝子の筒のことですが、これは水の中に完全に沈み込んでいますよね」
ヴァルトがディカルトとティアナにそう声をかけて確認を促すと、ふたりがこくん、と小さく頷く。
「さて、このまま試験管の開口部を水に沈めたまま、試験管の閉口部を水の上に持ち上げるとどうなると思いますか?」
そうヴァルトが質問を投げかけると、ティアナはきょとんとした顔で考え込む。
一方ディカルトは、
「いや、そりゃ水面の上に持ち上げるんだ、その分だけ水が下に降りて桶の水の中に戻るんだから、空っぽになるだろ」
と、ヴァルトに答える。
「さて、それじゃ実際にそうなるかやってみましょう」
ディカルトの答えににやりと内心で笑いながら、ヴァルトは開口部を沈めたまま、試験管の閉じた側を水面の上までゆっくりと持ち上げる。
「お、おいおい……こりゃどうなってんだ?
なぁ、もしかしてその透明な硝子って、なんかの魔法具か何かなのか?」
最初は「ん?」という様子だったディカルトは、ヴァルトがだんだんと水面に対して垂直になるように持ち上げていくにつれて目と口を大きく開いていき、試験管が垂直に立った直後に思わずといった様子でそう質問を投げかけてくる。
それもそうだろう。なにせ試験管の中にはディカルトが予想した答えとは異なり、絵の具で色が付けられた水がそのまま満杯の状態で水面より上まで持ち上がっているのだから。
「いえ、透明でこそありますが、ただの硝子ですよ。あれを使ったのは単に透明であるほうが色水と合わせて使ったときに一目でわかりやすいと思ったから使用しただけです。ちなみに水も普通の井戸水ですし、桶にも秘密はありません」
ヴァルトはそう言ってにっこりとほほ笑む。ヴァルトがやったことは単純なトリチェリーの実験である。前世の高校の教科書などでは、たいてい水銀での例が出てきており水銀圧ことmmHgやPaを教わって覚えたり、教えることの方が重要視されがちだが、身近なもので実験しやすく有効活用できる幅が広い知識こそが、このトリチェリーの実験の内容である。
「これは、水が水面に戻ろうとする力より、空間が水を押さえつけようとかける圧の力……圧力、と呼びますが、それが水面を押し込む力のほうが強いために起こる現象です。そしてこの水面を空間が押さえつけようとする圧力は、場所によって多少の強さの違いはありますが、平地ではだいたい僕の身長の6~7倍くらいでどんな場所でも発生しているんです」
ヴァルトがそう説明すると、あっけにとられているディカルトよりティアナの方が早く理屈を理解したらしく、ヴァルトに問いかけてきた。
「ということは、もしかしてその圧力っていうのは、水面だけじゃなくて私たちにもかかってたりする?」
その問いかけに、ヴァルトは呑み込みが早いな、と思いながらも頷く。
「そうだよ。まぁ、もっとも僕らは生まれた時からずっと常にその圧力に包まれながら暮らしてるからね、意識することはほとんどないと思うけど」
「でも、速く動いたりするといつも風の精霊が押し返して邪魔してくるよね。でも、風の精霊のいたずらだとばかり思ってたけど、もしかしてそれも圧力だったりするのかしら?」
「まぁ、圧力のせいが基本だろうね。ただ、風の精霊がいたずらしてることもあるのかもしれない。そこは精霊がいる以上、精霊の気分により起きる分がないとはいえないからね」
「ふぅん……」
作中でヴァルトがやっているトリチェリーの実験ですが、各ご家庭でもお風呂の洗面器とかに絵の具で色を付けた水を用意し、透明の使い捨てプラスチックコップなどで試してみるとお手軽に実験できますw




