(43) 福祉制度の利点
「福祉制度?」
それは何かね?とエイオスがオウム返しで尋ねてくる。
「はい、例えばいまは病に罹った時、治療院で治療してもらうには病人自身かその身内が治療にかかる費用を全額支払う必要がありますよね。ですが、それを本人または身内が費用の3割、そして領主が残りの7割を負担するようにするんです」
要は前世でいうところの健康保険制度だ。
「また、賭博や犯罪など、本人の自業自得の結果によるものを除き、ケガや病気、盗難や火災などで資産を失ってしまい困窮することになった者に対し、一時的な生活支援を保障するといった制度を導入するというのも、同時に行うといいかと思います」
こちらは保険や生活保護といった考え方である。
「もちろん、これらの制度を運用する場合には、制度を悪用した場合に備えて罰則を規定しておく必要はあります。ですが、そうしたいざという時に領民であれば、市民権があれば適用される救済制度を導入するため、としておけば、富裕層にも受け入れてもらえる可能性は十分にあるはずです」
ヴァルトがそうハッキリと告げると、それまで黙って聞いていたグレウスが質問を投げかけてくる。
「ですが、それだと仮に新たな税制を受け入れてもらえたとしても、病人に対する治療費や生活支援資金の提供などで逆に負担が増してしまうことも考えられるのではありませんか?」
「はい、たしかに施政者側としての出費はこれまでより増えると思います。でも、この案には税率変更以外にもいくつかの利点があるんですよ」
「利点、ですか?」
「例えば、治療院での治療。領民が治療を受けやすくなれば、病気になった時、まだ症状の軽い初期段階で領民が治療院に行きやすくなる。
そうなれば重篤化するより前に治療が行えるので病で亡くなる人の数を減らすことが多くなるでしょう。それに流行り病などが発生した場合、その兆候を被害が拡大する前、流行の初期段階で把握することができます。そうなれば、対策をとる時間が早く行えるようになります。
流行り病の場合、症状が一緒の人が何人も発生することになるのですから、発生初期段階で治療院からその情報が上がってくるのであれば、流行地域を封鎖・隔離し、人の出入りを制限することで街の一部だけで被害を封じこめることだって可能になりますし、人々に注意喚起して衛生に気を付けされることで感染の拡大を抑えやすくなります」
「……ふむ」
「それに、軽度や中度の怪我や病でも治療院にかかることができるようになれば、治療にかかるのが早ければ早いほど、早く健康な状態に戻り、働いている人たちは仕事を再開することができるようになりますよね。そうなれば現状よりも全体としては領内の生産性の向上が望めまることでしょうし、それにより物の生産量や生産した物の取引が増加することになるから、商業が活性化することが期待できます。商業の活性化が起きれば、領民の生活や収入は豊かになりますし、そうして領民の生活が豊かになり、またその収入が増えていくのであれば、それに伴って先の年収に対する税率制にしてある場合、領に税金として還元される金額だって増えることになります」
「「……」」
「加えて、病や怪我で働けない期間が短く済めば、領民が失業する可能性も減ります。
もう一つの盗難や怪我、病気や突発的な不幸で貧困状態に陥った場合への救済策と組み合わされば、領民たちは安心して仕事に打ち込めるし、もし何らかの問題を抱えて失業することになったとしても、ひとまずは窃盗や強盗といった盗賊行為をせずに新しい仕事を探す時間を得られるようになります」
「……それはそうでしょうね。盗賊行為に走る者の多くは、明日の食事にも悩む貧困や、何らかのやむに已まれぬ事情を抱えて行うことになる者が多いというのが事実ですから。
無論、為政者としては、そういう理由であったからといって、そのような行為を行った者に対し、温情をかける訳にはいきません。それに我欲からそのような行為に走る者も居たりするものなのですから」
「うん、実際、自分が楽をしたいから、といった理由で短絡的に盗賊行為をする人だって居るということは僕だって理解してるよ。
でも、そういったやむに已まれぬ事情を抱えた人の事情が、経済的な理由からというのであれば、そこを社会として一時的に支えることでそういった犯罪行為に走ることを抑えられるようになると思うんです。そして、犯罪が発生する可能性を低くすることができるようになれば、つまり治安が向上するのであれば、それだけ街中の巡回騎士の負担を減らすことができるようになると思いませんか?」
「たしかにそうだな。
もし貧困による理由から盗賊行為を犯す者だけでも減っていけば、それだけ街中を巡回させる騎士の負担が減ることになる。そうなればその分の人員を街の外、領内の交通路などの巡回に割り当てることもできるようになるだろう」
「そうですね。そうして領内の通行の安全が向上すれば、商人や旅人たちが安心して町と町の間を移動することができるようになります。町と町の間での移動の安心が得られるのであれば、その恩恵を一番得ることになるのは、所得の多い大規模交易商人たちということになるでしょうか」
「彼らにとってみれば税の負担は大きくなるが、上限があるためそれ以上の利点も各々の才気次第で確保できる、ということになるな。加えて移動の安全が確保されることになれば、それだけ人の往来も増える。そうなれば市民税に比べれば一人当たりの額は少ない入場税での収益の増加も考えられるか」
「はい。さらに商人たちにしてみれば街の外の安全を巡回騎士の増加により確保されるのであれば、町と町の間を往来する際に発生する冒険者を護衛として雇う費用もある程度抑えられることになります。もちろん、最低限の護衛は彼らも雇う必要があるでしょうが、道中の安全性が高まればその分は依頼料で交渉することでしょうね。それに市民権があればその人物の都市への出入りこそ自由ですが、荷には関税をかけることができます。一つ一つは少額でも、それが大量に、かつ頻繁に出入りすることになれば、そちらでの収入も大きくなることでしょう」
「あとは、一見、割を食うのが冒険者のようにも思えるが……彼らにしてみても安全な道中の方が、多少依頼料が下がったところで苦労せずに護衛費を稼ぐことができるようになるのだから、冒険者ギルドの側もそこまで問題にはしないことだろう。それならば交渉の余地は十分に考えられる」
「我々の側にしてみても税の負担が当初増加する商人たちにしてみても、当初こそ初期負担は大きくなりますが、軌道に乗せることさえできたならば、十分に利益の多い形にもなりますね」
「領民たちにしてみても、治療院へ行きやすくなることや、不幸な状況に陥った場合に救済策があるというのは大きな利点となることだろうな。
――ただ、この案についてだが、問題はどれだけの人が治療院に行くことが多くなるかということで発生する負担の大きさを左右するところだな。
それに領民に子どもや働けない老人、低収入者などが多ければ税収よりも持ち出しの方が大きくなる危険性がある」
活発にエイオスとグレウスが議論をしていた間は、黙ってその様子を見ていたヴァルトではあったが、グレウスがそう言ったところで口を挟むことにした。
「はい、なのでそこで領民における老若男女の割合や所得の分布、というものを把握しておく必要があるんです。それに領民たちは一人で暮らしてるよりも親や子ども、家族といった単位で生活を共同化して暮らしているほうが多いですよね。なので、先に説明した戸籍、という一つの戸、すなわち"家"という単位で領民を把握し、その一つの戸籍がどれだけの収入があるのか、家族構成は、家族を構成する者たちの年齢は、性別は、職業は何か、ということを把握し、それを分析することで税率を決める際に適切な税率を定められると思って、そういったものを領地経営で行っていないということに驚いたんです」
「ふむ……続きを言ってみなさい」
「例えば、領民において老人や子どもが占める割合が多ければ、病気や怪我を負いやすく治療院にかかるようになることが多くなると考えられます。
それならば子どもや老人に対する税率を3鉄貨より増やし、代わりに働ける年齢層の税率を少し下げるという手法を取るなど、対策が必要となることでしょう。
また、働ける年齢層であったとしても、男女の割合を比べ、男性より女性の方が多ければ、これもまた男性が働き女性が家事をするのが一般的である以上、それを加味して税制を調整したりしなければ厳しい課税となってしまいます」
「となると、家族に養われる者については、税を減額する、といった形をとる必要がありますね。あぁ、なるほど……そのための戸籍という考え方なのですね」
「領民個々人から税を徴収するのではなく、領民各自が構成する家に対して税を課すという方法に切り替えるということか。
それにそれならば独り身でいるよりも結婚し家庭を持った場合、夫には妻の所得が低ければ税制の面で控除を行うといった付加的な価値をつければ、領内における結婚の奨励を行うこともできるな。
そうして、子ができれば税の収益は自然と増え、またその結婚が冒険者や流民と領民との間で行われた場合は、新たな領民の増加にも繋がる、か」
「加えて、職業についても把握すれば、それにより職業による収益の片寄り具合や領内で多い職種、逆に少ない職種が何なのかということも把握できますね。
そうなれば他領や流民から新たに領民となるものを募集する際にも、どのような職種の者がどれだけ必要かということや、場合によっては各ギルドに課している税の負担度合いを調整することも可能となることでしょう」
「いや、だがそこまでやるとなれば税制がかなり複雑なものになってしまうことだろう。また、それを処理する文官たちの負担が大きくなりすぎてしまう。
まずは取り入れるとしても調査が必要ではあるし、商人ギルドや冒険者ギルドなど、各種ギルドの長や町民たちのまとめ役的立場にあるもの達と会合を開いて説明や理解を得る必要があるな」
「そうですね。加えてどの程度の税率とするのが、最も効果的で受け入れられやすいかということについても、文官たちを集めて議論させる必要があることでしょう」
その後も、ああでもない、こうでもない、いやこうした方が良いのではないか、といったように、エイオスとグレウスがヴァルトのことを忘れたかのように暫くの間、熱く語り合っていた。やがてある程度議論が進み、落ち着いてきたところで二人がハッとしたようにヴァルトへと視線を向け、ゴホン、とごまかすように大きな咳を一つ吐き出した。
「すまんなヴァルト。だがヴァルトが疑問を呈してくれたおかげで、このアルシュタイン領をさらに発展させられる道筋を立てることができそうなアイデアが浮かんだのでな。ついついグレウスとの議論に熱が籠ってしまった」
「そうですね。これまでは1人3大鉄貨と、皆が統一した基準の価格で税を支払うことにしていたほうが平等であると考えていましたが……同じ3大鉄貨といえど、その者の収入の度合いによっては、その価値の大きさが異なる、というのは言われてみればそうだと気づくことができました」
「それに、ただ民から収められるものを税として考えるのではなく、また施策を一つの効果としてで考えるのではなく他の物事と関わり合わせることにより、相互に影響仕合わせ、それにより複数の派生効果を狙う、というのも良い考え方であった」
「騎士団や軍では、優れた軍師は一つの戦略を進める際、複数の効果を狙って手を打っていくと言いますが……その考え方と同じことを政においてもするべきである、という視点が必要であるということに気付けました」
そういった視点を持てたことはとても良い機会になりました。と、グレウスが穏やかにほほ笑む。だが、その直後に、彼は表情を改めて視線を細めると、ヴァルトのことを見据えるようにして問いかけてきた。
「ですが、一つ疑問があります。
ヴァルト、貴方はいったいどこで"戸籍"という考え方、その知識を得たのですか?」
と。




