(32) 教導院(2)
しばらくティアナやミルカと街の様子について談笑しながら、目的地まで歩いていく。先日のティアナとの買い物の時には歩哨と時折街中ですれ違うことがよくあったが、警戒レベルが下がったからか今日はほとんど見かけないということや、市場で売りに出されてる近郊で採れた新鮮な果実や野菜などについてのことが主な話題だった。
そうこうして領主館から半刻ほど歩いたところで、街の子どもたちがいる建物へとたどり着いた。
「ヴァルト、ここは?」
石を積み上げて作られた2階建ての少し大きな建物を見て、ティアナがヴァルトに問いかける。
「ここはこの町の教導院だよ。町の子どもを対象に有償で文字の読み書きや基本的な道徳や規則、簡単な計算などを教えたりしているところなんだ。
僕も基本的に週に1回か2回は来て、いろいろ教えてもらったりしているんだよ」
ヴァルトがそういうと、ティアナが不思議そうな顔をした。
「ん、どうかした?」
そのことを不思議に思い、ヴァルトが尋ねてみると、ティアナが少しためらってから問いかけてくる。
「んー……その、ヴァルトって午後に館でいつも勉強してるよね。なのに、わざわざここでも勉強するの?
前に聞いた話と、いまの話だと、なんだか館の方が難易度の高いことを学んでるようなのに」
そのティアナの問いにヴァルトが答えるより先に、我慢できなかったのか、くすくすと小さく笑う声をミルカが挙げる。
「あぁ、すみません……ティアナさま、それは少し勘違いです。
たしかに授業の内容の難易度でいえば、教導院よりも正直なところ、お屋敷での講義などのほうが高度な知識を教えてはいます。
ですが、ここではお屋敷ではお教えすることが難しいことについて学んでいただけることを期待して、ご領主さまたちはヴァルトさまを通わせているのですよ」
「館では教えるのが難しいこと……?」
キョトンとしたティアナと、それをほほえましそうに見ているミルカに向けて、ヴァルトがおおよその答えだろうと思ったものを口にした。
「人との付き合い方、特に同世代や年下との付き合い方や、立場の違う者たちの生活に対する理解……そういったものは、そういった人と実際に触れ合ってみないと学べないからね」
ヴァルトがそう言うと、ティアナは「あぁ、なるほど」と納得した様子を示し、ミルカは何故かそれまで微笑んでいた頬を若干引き攣らせた。
「貴族という身分で、市井の人々と接したりせずに館の中とかの狭い世界で育つと、きっと人々の生活や思考を理解できない世間知らずに育ったり、酷いと貴族でなければ人でない、なんていう考え方に捕らわれる馬鹿になることもあるだろうからね」
だから、僕がそういう愚か者にならないようにということでここに来ることで学ぶことは多いと思うよ」
「ふぅん……でも、ヴァルトはそういうのを馬鹿なことって言うくらいなんだから、心配要らないんじゃないの?」
「どうだろうね。まぁ、少なくとも今の僕にはそういう心配は必要無いと思うけど、だからって距離を置いちゃえば、知ってるつもりで解らなくなることがあるかもしれないし。
接触する機会は、これからも多い方がいいんじゃないかな」
ヴァルトがティアナに対し、他にも市井の人とふれあう事で物価の変動やその時々の町の人々の感情がより深く感じられるようになること、人々が困っていること、抱えている問題点に目が向きやすくなることなど、様々な利点があることなどを話していると、ずっと黙って傍にいたミルカが、恐る恐るといった様子で問いかけてくる。
「あの……ヴァルトさま。ヴァルトさまはずっとそういうことを考えながら、教導院の子どもたちとお付き合いされていらっしゃったのですか……?」
ミルカからそう問いかけられて、ヴァルトは内心で(しまった!)と焦りを憶える。
ヴァルトとしての立場や教導院での活動の狙いを、前世で教職にあった意識が混じり合った今の自分であるからこそ意識せずに分析してその狙いや利点などを把握し、ついつい説明してしまったが、意識が混じり合う前のヴァルトはそんなことはこれっぽっちも意識すらせず、何の打算もなく教導院の彼らと交流していたのだ。
なのに、ああいったことを意識していたということになってしまえば、その意味合いが大きく変わる。
「……いや、こういうことに気づいたのは、ここ1ヶ月ずっと教導院のみんなと接する機会がなかったためだよ。
その間に自分にとって、教導院のみんなとはどういう存在なのか、なんのために通っているのか、ということを考えたりしているうちに気がついたんだ」
ヴァルトはなるべく落ち着いた口調になるように注意しながら、そう答えた。
そのヴァルトの回答に、ミルカが少し安心した様子だった。ヴァルトはここぞとばかりに言葉を重ねる。
「それに、父様やグレウス兄様たちの狙いがどうであれ、そういうこととは関係なしに僕としても教導院のみんなと一緒に過ごすこと、それ自体が楽しいからだったしね。だから、今日もここに来るのが楽しみだったんだ」
これはヴァルトとしての嘘偽りのない本心である。だからこそ説得力があったのだろう、ミルカは「そうですか」と言って優しく微笑んだ。
そしてティアナは、そんなヴァルトとミルカの様子を傍で見つめながら、「ふぅん……」となにやら一人、納得した様子で頷いていた。




