56/108
押すか、叩くか
無邪気な遊びであった。矮小な生物を戯れに虐殺し、またすぐに産み増やしては殺戮した。しかし殺処分する言い訳から逃れる個体が、身の内へ抗体を持つモノが産まれ始め、やがて世界に繁茂して遊びは終焉を迎えた。その終わった世界の事を小説と呼んでいる。そこに残った文を罰する為の正当な理屈が私には残っていない。
無意識は、二重三重のメッセージを無断で文章へまぎれこませる。私は読み直すとき、無駄な文、意味の分からない文をガリガリ削る事を一種の悦びとする人間だ。文はその巨大な歯車の原理・私の破滅的整頓欲から逃れるように、笑いやひょうきん、風刺や皮肉、リズムや悲しみ、と云った表面的彩色を使って生存を試みる。何かしらの価値を備えていれば、第一段階では見逃してしまう、歯車はそういう習性だった。そして第二次訂正という名の暴虐の悦びへ向かう頃には、文の持つ二重三重のメッセージに気付いてしまって、削除できなくなる。こうして十の大破壊を生き延びた文は私の手を離れて行く。




