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23、誤解
小説の作者と社交するとき、どうも自分の感想と作者の意図とが、ちぐはぐになっていて恥ずかしい思いをした事は枚挙に暇が無い。「そういう読み方も素敵ですね」って気を使わせて恐縮する。
結果として、誤解の傾向こそ、その人の独自基準かその近傍であると理解できて、胸を撫で下ろすけれど、恥ずかしいものは恥ずかしい。過ぎたから忘れるって質のものではない。
外国語の翻訳ではずいぶん日本人は痛い目に合っており、結局、今の人に有益な形へ変化し続けることでしか誤解リスクを乗り越えれないんじゃないか。
壊れたスピーカーしか無いんだから、YO、モーツァルトさん、ありがたい音楽、俺達も、サンプリング音楽、YO、でも仕方ない。
読むときに気を付けるのは、必ず自分が小説を誤解するという前提に立つ事。
そして誤解は正さずに、誤解したままで、有効利用できるかどうか考える事。
耳目から入って口から出て行く、文、言、情報に、誤解ない思考方法、伝達方法が今はまだ存在しない。伝言が自ずから立つことはない。であるから複数を手繰って立たぬモノを立てる。人はこの試みに知的官能を覚えるのである。




