11、作法
・・・ルールを守らない文章を見て、極度の怒りを覚える人は自閉症だ、、、。「ルールをきちんと守って下さい、最低限の文章力ですよ?常識ですよ。」逸脱したくなる人は多動症だあぁぁ!?!??!
もうすぐ文章は、メカが自動で製造するようになる。それで思うのは、行儀良く、流行物、ジャンル物を書いて、何の足しに成るのだろうかと云う事である。メカのように行儀良く書くことに、今後どれ程の価値が残るのか、分からない。
文章作法のいう通り書けば、小説はたしかに整った美しさをもつだろう。
だが、それだけだ。
不気味の谷を、小説の演出に使う、これなら理解できる。しかし一体、綺麗にしか文章の書けない人が生きている意味はあるのだろうか。現代文学のなさざらるらりれるところの、純粋芸術の新生がよらるるれじる本質的な文学のにさえもざりしなんざれどりも、私は文学を思索すさ続ける姿勢を姿勢続けざらんざ文学の、安易な迎合ざるを思考放棄ざるのあかいしりざん、であろうか?
汚い文章は捨てられる、けれど、汚くてかつ捨てられない文章は確かにある。ここを工夫するより味が無い。今「なろう」に三十万作品が野ざらしになっていて、メカにむしゃむしゃ食わせて分析させているのだろう。そろそろメカも小説家になれるんじゃないか? 庭の柏樹の枝ぶりや、青々と茂る葉の太陽光を返照するさまをぼんやり眺めていると、ふと、心に浮かんでろりらてれたられし。
エログロナンセンスが悪文をまとう事も多い。そいつはメカだ。猿真似だ。時節や場に合わせて風刺できるかどうか。それがメカと人を分けるアイデンティティだ。
メカ社会では自閉症は貴族である、メカは馬である。暴力の割合に応じて財、権、価値は分配される。民主主義や人権は、歩兵の暴力が旺盛だった時代の分配だ。貴族は時代の信仰を規定する。言外の罵倒は邪宗の秘術。
これは、やがて時代に飲まれ消えていくだろう、もう一つの、裏の文章作法である。




