10、小説目標
日本語はゆるい。プレイヤーは名状し難い自由に絶えずおびえ、拘束や規則やレールを求め、己の口調、思考を固定しようと、あがくもがく。言語の欠けたる処を人は求む。英語プレイヤーが、声高に自由を称揚するのと好対照である。
拘束とは目標とも言え、信仰、思想、口癖の模倣、ジャンルとガジェット、自殺、ホモセクシャル、動物愛のことである。時代に合わせて種類は増える。反神、虚人、デカルト、歩兵戦術、物神化、セオリー、異常性欲、狐憑き、相対的弱体化、厨二恥、化亜腐女子。
10歳にもなれば、自然と自分の頭の中へ、自分の知らない間に、幾つかトグロを巻いて居座っていることに気付く。この世界観と言うか、時代のフレイバーテキストを典拠にして、大まかに選択し、安んじて暮らしを営むのである。小説目標がゆるめば、アノミー、無規範、無規則の状態を示す。
信仰は中世貴族の作るもの、思想は近世資本家の作るもの、マニュアル・ジャーゴンは近代市民の作るもの、自殺・孤立・精神失調は現代個人の作るもの。時代のパワーバランスがモラルを形成す。近未来の
英語も中国語も、単語の選び方、省略の呼吸だけやで。いちいち語尾とか、仮名カナかなの使い分けトか、俺僕私とか、なまりも、なまりの誤用も、有らへんでんがな。大阪弁という名の麻縄で自身の肉体をいましめてへんとエログロ言いたく成るねん、日本語やねん、モラルやねん。
規範を一本化して、小説目標か口調か想定読者に繋ぎ止めておかなくては、誰でも簡単にアチラ側へ転落してしまう。「人の頭脳は文章に過ぎない」という極く個人的断定に立つと、小説―目標―規範―日本語、の妖しい連環が見えてくる。




