EP 9
天使たちの墜落と、緑の絶望(EPA型)
「よし、お出汁がしっかり透き通ってきたわ」
すっかり肌寒くなってきたポポロ村の夕暮れ。
コテージのキッチンでは、大きな魔導鍋で『特製ポポロおでん』がグツグツと音を立てていた。
ルナキン(ファミレス)風の黄金色の出汁に、分厚い月見大根、肉椎茸のすり身詰め、そして太陽芋の餅巾着がぷかぷかと浮いている。醤油草の香ばしい匂いが、冷たい空気に乗ってテラスまで漂っていく。
「アリア。その匂いを嗅がされると、まだ夕飯前だというのにイモッカの瓶を開けたくなる」
テラスでポポロシガーをくゆらせていたルーベンス様が、たまらないといった様子でキッチンを覗き込んできた。
「ふふっ、もう少しで味が染み込みますから、待っていてくださいね」
私たちが平和な夕暮れを楽しんでいた、その時だった。
ピカーーーッ!!
突然、空から神々しい黄金の光が差し込んだかと思うと。
ドスッ! ズドッ! と、コテージの庭の芝生に『二つの白い塊』が墜落してきた。
「な、なんだ!?」
ルーベンス様がとっさに私を庇い、警戒を強める。
土煙の中から現れたのは、背中に美しい純白の翼を生やした、二人の女性だった。
一人は、ピンク色のジャージ(初心者マークの刺繍入り)に健康サンダルを履き、エンジェルすまーとふぉんを握りしめて涙目になっている小柄な少女。
もう一人は、美しい銀髪をきっちりと結い上げ、聖槍と盾を持った、いかにも『委員長』といった生真面目な顔つきの美女だ。
しかし、二人の背中の翼はボロボロで、頭の上の天使の輪は、バッテリー切れの豆電球のようにチカチカと点滅していた。
「うぇぇぇん! 委員長ぉ、もう限界ですぅ! ルチアナ様を探すのやめましょうよぉ、お腹ペコペコで魔力もスマホの充電も切れそうですぅ!」
ピンクジャージの少女(見習い女神リリス)が、芝生に突っ伏して泣き喚く。
「泣き言を言わないの、リリス! ルチアナ様がまたソシャゲの課金で天界の予算を使い込んだのよ! 捕まえて壁ドンで五時間正説教しなければ、私たちの給料が払えなくなります!」
委員長キャラの美女(天使長ヴァルキュリア)が、フラフラとしながらも厳しく叱責する。
「天界の……天使族か。ルチアナ(あのポンコツ女神)の尻拭いで、こんな下界までご苦労なことだな」
ルーベンス様が呆れたようにため息をつく。
どうやらあの二人は、神の使いである本物の天使様らしい。
「でも委員長、もうお腹が空いて一歩も動けません……っ」
「……仕方がありませんね。ここで『EPA型』を摂取して、神気を回復させましょう」
ヴァルキュリアさんが、純白の美しい箱を取り出した。
それを見た瞬間、リリスちゃんは「ヒィッ!?」と悲鳴を上げて後ずさった。
「嫌ですぅ! あれだけは嫌ですぅ! お願いですからルナキンのドリンクバーに行かせてください!」
「わがまま言わないの! 天使たるもの、味覚の快楽に溺れず、完璧な栄養素のみを効率よく摂取するのです!」
ヴァルキュリアさんは箱を開け、中から『レンガのように硬い黒パン』と、パックに入った『泥のように深い緑色の液体(特製高濃度青汁)』を取り出した。
そして、真顔でその青汁をコップに注ぐ。
強烈な苦みと青臭い匂いが、庭中に広がった。
「さぁ、飲みなさい。私の丹精込めた手作り青汁(緑の絶望)ですよ」
「う、うぅ……っ」
リリスちゃんは涙を流しながら青汁を一口飲み……ガクンッ、と白目を剥いてその場に倒れ伏してしまった。
「あああっ! リリスちゃん!?」
私はたまらず、キッチンから飛び出した。
いくら天使様とはいえ、あんな罰ゲームみたいなご飯(?)を食べさせられているなんて、可哀想すぎる!
「お、お嬢さん、危険だぞ。不用意に近づくな」
「ごめんなさい、ルーベンス様。でも……あんなの、ルナミス帝国で私が食べさせられてた『ゲロオムレツ』よりひどいです!」
私はキッチンに引き返し、大きなお椀にアツアツの『ポポロおでん』をたっぷりとよそって、庭へ駆け出した。
「あの! 天使様! もしよかったら、こちらを食べてください!」
「む? 人間の娘……それに、そちらの気配は魔族ですか。私たちは任務中につき、下界の食事など――」
ヴァルキュリアさんが厳しく拒絶しようとした瞬間。
風に乗って、おでんの黄金色の出汁の香りが、彼女の鼻腔をくすぐった。
「…………こ、これは」
「ルナキン風にアレンジした、ポポロおでんです。お出汁をたっぷり吸った月見大根ですよ。熱いので気をつけてくださいね」
気絶していたリリスちゃんが、匂いにつられてゾンビのようにムクッと起き上がった。
そして、私のお椀から『トライバードの半熟卵』と『肉椎茸』を奪い取り、無我夢中で口に放り込んだ。
「〜〜〜〜ッ!!」
リリスちゃんの目から、ブワッ! と大粒の涙が噴き出した。
「お、美味しいぃぃっ! お肉の旨味が、甘いお出汁が、口の中で大爆発してますぅぅっ! 泥水じゃない、本物のご飯ですぅぅっ!」
「こら、リリス! 堕落してはダメです! 私たちは天使として、規律ある食生活を――」
「委員長も食べてみてください! これ、陽薬草を練り込んだ『特製ヒーリング和からし』をつけて食べるんです。はい、あーん!」
私は、からしを少し乗せた分厚い月見大根を、ヴァルキュリアさんの口元へ差し出した。
彼女は「い、いけません、そのような俗物的な――」と抵抗したものの、抗いがたい出汁の匂いに負け、ついにその大根を口に含んでしまった。
ジュワァァァァッ。
噛んだ瞬間、琥珀色の大根から、魚介と椎茸の旨味が凝縮された熱々の出汁が、滝のように溢れ出した。
そして、ツンと鼻に抜ける和からしの心地よい刺激と、陽薬草の優しい回復魔法が、彼女の疲弊した心と体を温かく包み込む。
「…………っ、あ」
ヴァルキュリアさんの手から、聖槍がカラン……と落ちた。
そして、彼女の美しい瞳から、ボロボロと止めどない涙が溢れ出した。
「な……なんですか、これは……っ。大根が、口の中で溶けて……お出汁が、内臓の隅々まで染み渡って……っ」
「美味しいですか?」
私が微笑むと、規律を重んじるはずの委員長天使は、その場にへたり込んで大号泣し始めた。
「美味しいですぅぅっ! 私、天界の予算がないからって、ずっと毎日、苦い青汁と硬いレンガパンしか食べてこなかったのに……! 本当は、こういう温かくて美味しいご飯が食べたかったんですぅぅっ!!」
「よしよし、大変でしたね。おかわり、まだお鍋にたくさんありますよ」
私は、ワンワンと泣きじゃくる二人の天使の背中を、優しく撫でてあげた。
おでんの温かさに触れ、二人の頭上のヘイローは、ピカピカと元気な黄金の光を取り戻していた。
「決めました……! 私たち、もう天界には帰りません! 今日からこのポポロ村の農家として就農し、毎日アリアさんのご飯を食べて生きていきます!」
「はいっ! 私もアリアさんの信者になりますぅ!」
「ええっ!? だ、堕天しちゃうんですか!?」
見事に私の『B級グルメ』の前に陥落し、ポポロ村への移住(堕天)を宣言する二人の天使。
テラスでその光景を眺めていたルーベンス様は、手元のイモッカをくいっと煽り、もはや悟りを開いたような遠い目をした。
「……トカゲ、駄犬、ラーメン屋、不死鳥に続き、ついに天界のトップまで餌付けして堕天させるとはな」
ルーベンス様は立ち上がり、静かに私の背後へとやってきて、私の腰をグッと独占欲たっぷりに引き寄せた。
「おい、天使ども。我が妻の飯を食わせてやった恩は忘れるなよ。……それから、アリアを崇めるのは勝手だが、彼女の隣は俺の指定席だ。一歩でも近づいたら、天界ごと闇に沈めるからな」
「ひっ!? だ、旦那様、目がマジですぅ……!」
神様や天使たちにまで本気のヤキモチを焼く、過保護で冷徹な旦那様。
私たちのポポロ村でのスローライフ(?)は、日に日にカオス度を増しながら、それでも最高に温かくて美味しい毎日を更新し続けているのだった。




