第一章 冷遇からの脱出と、恐怖の魔族
ハズレスキルと、黄色い悪魔の日々
「ベチャッ……ジュポッ……」
薄暗い屋根裏部屋に、およそ食べ物から発せられるとは思えない、粘り気のある嫌な音が響いた。
銀色の魔導ポリマー・パウチから私のボウルに滑り落ちたのは、蛍光イエローに輝く不気味な物体。通称『ゲロオムレツ』。正式名称はルナミス帝国軍・魔導戦闘糧食第M型だ。
焦げた魔導回路と、濡れた獣の体臭を混ぜ合わせたような異臭が鼻をつく。
「……いただきます」
私は小さく手を合わせ、スプーンでその黄色い物体をすくい、息を止めて口に運んだ。
瞬間に広がるのは、金属的な苦味と形容しがたい酸味。喉が本能的に嚥下を拒絶するのを、無理やり水で流し込む。
「んんっ……! げほっ、ごほっ……」
涙目になりながら、私は次に『石化太陽芋のクラッカー』を手に取った。これは硬すぎてそのままでは歯が折れるので、先ほどのオムレツから染み出た酸っぱい汁に浸して、少しだけふやかしてかじる。
ルナミス帝国の名門、クロイツ伯爵家の令嬢である私、アリアの食事は、ここ数年ずっとこれだ。
兵士でさえ「これを食べるくらいなら飢え死にしたほうがマシ」「投擲武器」と忌み嫌う、廃棄寸前の劣悪な軍用レーション。それが、我が家における私の『適正な餌』だった。
なぜなら私は、この徹底した効率と実力主義のルナミス帝国において、全く価値のない『ハズレスキル』を持って生まれてしまったからだ。
魔法と闘気を融合させた『魔闘術』を操り、魔導戦車や魔導バズーカで大陸の覇権を握る超大国ルナミス。
ここでは、強大な魔力や戦闘に役立つスキルを持つ者こそが正義とされる。皇帝マルクス陛下の絶対的な管理社会において、無能は罪なのだ。
私が五歳のスキルの儀式で授かったのは、【翻訳】という、聞いたこともない地味なスキルだった。
どんな言語でも理解し、読むことができる……ただそれだけ。魔力もほとんど上がらず、闘気も使えない。戦闘にも、内政の効率化にも一切貢献できない、真のハズレスキル。
優秀な魔闘剣士である兄や妹と比べられ、私は「名門の泥」「クロイツ家の汚点」として、幼い頃から屋根裏部屋に追いやられた。
(……でも、これでもうすぐ、この黄色い悪魔ともお別れね)
私は冷え切った泥水を飲み込みながら、先ほど父から言い渡された言葉を思い出していた。
――『アリア。お前は明日、アバロン魔皇国へ嫁げ』
執務室に呼び出された私に、父は書類から目を上げることなく、冷酷な声でそう告げた。
アバロン魔皇国。
それは、圧倒的な魔法の力で我々ルナミス帝国と対立している、魔族たちの国だ。
最近、両国間で一時的な不可侵条約が結ばれることになり、その証として、帝国の貴族から魔族の有力者へ『花嫁』という名の人質を送ることになったらしい。
「嫁ぎ先は、魔皇国の実務を牛耳る冷血無比な貴公子、ルーベンス殿だ。血も涙もない残虐な男だと聞くが、お前のような無能でも、魔族への生贄としての役目くらいは果たせるだろう。クロイツ家のため、ルナミス帝国のために、せいぜい向こうで無様に死んでこい」
それが、実の娘に対する父の最後の言葉だった。
ルナミス帝国の教育において、魔族は『恐ろしく、残酷で、人間を虫けらのように扱う怪物』だと教えられている。
ルーベンスという男も、きっと血に飢えた恐ろしい悪魔のような姿をしているのだろう。私の【翻訳】スキルなんて向こうでも何の役にも立たないだろうし、気に入らなければ即座に殺されるかもしれない。
怖い。もちろん、とても怖い。
魔族の国なんて、どんな恐ろしい拷問が待っているかわからない。
でも……。
「ここで一生、誰にも愛されずにゲロオムレツを食べ続けるよりは……マシ、かな」
私は、空になったボウルを見つめて自嘲気味に笑った。
魔族に殺されて、私の人生はあっけなく終わるかもしれない。
でも、どうせ死ぬなら。
(最後に一度くらい……温かくて、美味しいお肉が食べてみたかったな……)
ぽつりとこぼれた本音は、薄暗い屋根裏部屋の空気に溶けて消えた。
翌朝。
私はたった一つの小さなトランクだけを持たされ、見送りも誰一人ないまま、黒い魔導馬車に押し込められた。
向かう先は、人間にとっての絶対的な死地――アバロン魔皇国。
この時の私はまだ知らなかった。
冷血無比で残虐と恐れられる魔族の旦那様が、実は休日に競馬新聞を愛読し、芋酒と脂っこいB級グルメをこよなく愛する『親父くさい』素顔を隠し持っていることなど。
そして、私の作る適当なジャンク飯が、そんな彼の胃袋と心をガッチリと掴んで離さなくなるなんてことも。




