表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界の色は一つでいい  作者: oqutopus
2章 愛しい日々は戻らない
94/113

一色薫の生態(3)

「クラスメイトと打ち解けたい……っ⁉」


 談笑の後、生徒指導室で彼が、

「やっぱり頼む相手を間違え……いや、でも……、うーん……」

 と、何とも失礼な熟考を繰り広げること十数分。

 いい加減ぬるくなってきたココアを頭からかけてやろうかと思い始めた頃。ようやく意を決したように彼が打ち明けたその相談内容に、私は思わず声を張り上げた。びっくりした。今のは私史上ダントツの大声だった。


「あああ、あなたが……その、クラスの」

「いや、いくら何でも狼狽えすぎだろ。というか、それに関してはお前だって大差ないだろ。……まあ、疎まれていて居場所のない俺と、不器用すぎて上手に周囲と関われないお前とでは、掃きだめの肥溜めと月光の下を悠然と飛ぶ鶴くらいの差はあるが。大きなくくりで見ればコミュ障だ」


 褒めているのか貶しているのかどっちにしても嬉しくはないし、何ならやっぱりココアをぶっかけてやりたい衝動が湧き上がって来るようなことを平然と宣う一色くん。


「い、いえ……ごめんなさい。正直少し、いえかなり……腰が抜けるくらい驚いてしまって。大丈夫、落ち着いて。落ち着いて行きましょう。ね?」


 私は錯乱状態にある彼を何とか落ち着かせようと優しく宥める。


「……その扱いは流石に不本意だ。というかお前が落ち着け」


 何故かジトリとした視線を向けて来る一色くん。ちょっとよく分からないわね。どう考えても混乱しているのは彼でしょう。だってあの彼が、どこまでも、誰かの為なら世間の偏見も理不尽な流言も簡単に受け入れてしまうあの一色薫が、誤解を解きたいと言ったのだから。


「いや、その、打ち解けたいというか……」


 自分の伝えるべき言葉を探るように逡巡しながら、一つ一つを形にするように彼は言った。


「……理由は詳しく話せないが、俺は天ノ目の目……いや、とにかく、俺は天ノ目の傍から離れないと誓っている。おい、そんな目で見るな。そういう意味じゃない。いやまあ、やってることもそういうことなんだが……っておい、違うって。一旦、一旦話を聞いてくれ」


 あまりにも要領の得ない話だと思ったら突然、クラスのマドンナへのストーカー宣言をかました彼をさっそく通報しようとスマホを取り出し始めた私を、珍しく彼は慌てたように止めた。うーん、冗談のつもりだったけど、いつもからかわれてばかりだから何だかスカッとするわね。ええ、これはちょっとクセになりそうだわ。


「ったく。……いや、虫がいい話なのは分かってる。だが、どうか話を聞いてほしい」

「っ!」


 さっきまでの飄飄とした軽口を織り交ぜて話すいつものそれではなく、誰かの痛みを見つけた時の、悲しみが見えてしまった時の、あの決して逸らすことが許されない、ヒーローの瞳だった。


「っ……分かったわ。茶化してしまってごめんなさい。私はあなたを信じてる。心から。……だから、何でも言ってほしい」


 真剣な話を年の近い友人とするのは、不思議といつも気恥ずかしさが伴うけれど、彼のその瞳の前だと、決してそんな軽い気持ちは浮かばなかった。真正面からきちんと、自分の心を伝えなければいけないと思った。いつもだったら恥ずかしがって、こんなこと絶対言えないのに。すべてが私の本心だった。

 その私の言葉を受けて、一瞬目を見開いてぼそりと「本当だったのか……」と何かが零れるように呟いた彼は、その瞳のまま語った。


「言った通り、俺は学校にいる間、登校から下校まで、天ノ目紗月の周囲から決して離れない。常に傍にいると誓っている。……悪い、事情は話せない。ごめんな」


 静かに、聞きたいことや疑問はたくさんあったけれど、私は口を挟まず彼の言葉を待った。


「ただ、……自分で言うのもなんだが、俺はクラスで浮いている。それはもう人工衛星のごとき孤立具合だ。分かるだろ?」


 一色薫の生態、その六。

 意外とひねくれている。穿った視点でものを見て、皮肉交じりに軽口を叩く。そのくせ、その生き方は驚くほどに真っすぐで、だから歪んだ社会の中では彼の方が異質に映る。

 きっと常に弱い立場からものを見る癖がついていて、だから誰の痛みにも気づけるのだ。


「……ええ。心当たりがあるわね」


 彼の問いかけに、私は昔の自分の言動が脳裏をよぎって、ぐっと歯を食いしばってその罪悪感と慙愧の念に耐えながら答えた。


「いや、そういうことを言いたいわけじゃないんだ。悪い、本当に気にしなくていい」


 そんな私の様子をすぐに察して、首を振って言う一色くん。たぶん彼は本当に気にしていなくて、ただ私の痛みに気づいたからこうしてまた「悪い」と謝らせてしまっている。


「っ……いえ、ごめんなさい。昔の自分を思い出して悶えることは誰にでもあることでしょ? それがたまたま今だっただけ。気にしないで。どうぞ、続けて」


 これ以上また彼に謝らせてしまわないように少し冗談めかして言いながら、話の続きを促した。


「……まあ、そういうわけでだ。俺は天ノ目の傍にいると誓ったんだが、俺みたいな奴が近くにいれば、あいつの学校生活にマイナスの影響を与えてしまうのは自明の理」

「っ」


 そこまで言った彼の言葉を解釈して、なぜ彼があんな錯乱したようなことを相談してきたのか理解した。

 一色薫の生態、その二。

 常に周囲が見えている。誰かの痛みも苦しみも、悪意も。世界にあり触れた理不尽も偏見も、孤独も。彼にはすべてが見えていて、見えてしまったら手を伸ばしてしまう。伸ばさないなんて選択肢が許されない。そしてそのためならば自分の痛みも苦しみも、それこそ孤独だって厭わない。

 そんな尋常ではない程の気遣いと決して己を認めない彼の在り方を知っていれば、天ノ目さんが転校して来た当初の彼の突き放すような態度や、今こうして傍にいるための資格を得ようとする姿勢にも、すべてに納得がいく。そこにどんな理由や事情があるのかなんて何も分からない私でも、クラスでの彼の様子を知っていれば。修学旅行のバスの車内での彼の様子を知っていれば。さっき廊下で私に話かけてきたときの周囲を気にする様子を知っていれば。

 周囲から誤解され疎まれ煙たがられている彼が教室内で誰かと関わりを持たなければいけない状況になったとき、彼がどんな選択をするのか。すべて分かる。


「難しいかもしれないが、俺は本気でクラスに打ち解けようと思っている」


 彼が言うクラスに打ち解けるとは「打ち解けたい」ではなく、「打ち解けなければいけない」なのだと今になって気づいた。


「……あなたの気持ちは分かったわ。ただ、なんでそれを私に相談したの? いえ、嫌とかでは全然なくて。ごめんなさい、こういう言い方しかできないの。……その、菜月や、それこそ天ノ目……っいえ、彼女にこんなこと頼めるわけないわね。ごめんなさい、無神経で」


 自分の稚拙さに言いようのないもどかしさを覚えた。

 そんなあまりにも恥ずかしい自分に泣きそうになりながら、言葉を選んで尋ねる私に、彼は少し気まずげに目を逸らして。


「菜月は……」


 それから、グッと頬筋を強張らせた彼はすっと真剣な目で私に向き直って、


「お前は、あいつの気持ちに気づいていたか? ……その、信じられないかもしれないが、あいつは俺を」


 それ以上の言葉を彼は飲み込んだ。人の心を勝手に誰かに話すという行為自体、彼にとっては受け入れられない、許せない行為なのだ。

 けれど、それ以上の言葉を聞くまでもなく、私は菜月が彼に想いを伝えたのだと察した。


 今すぐ彼にココアをぶっかけて、

『信じられないかもしれないって、あんた、やっぱり本当に気づいてなかったの⁉ 分かってたけど……っ。もう……っ! この残酷優男! 私の親友を傷つけて、許さない! 嫌い! でも大好き!』

 ……と、怒鳴りつけてやりたかったけれど、この人の本質を知った今なら、むしろ想いを伝えた菜月の方が意外だった。何か、決定的なことがあったのかもしれない。強いあの子がそれでももう堪えきれなくなるほどの、何か――

 そう考えて、すぐに思い至った。

『モモちゃんがついに学校に行けたんだよ!』

 と、本当に嬉しそうに話す菜月の顔だった。

 あの時は菜月と一緒に喜んで深くは考えなかったけど、

 一色薫の生態、その一。

 彼の一番は――……

 あれは桃華さんの喜ばしい成長だけでなく、彼にとってその一番が巣立ったことを意味する、受け入れ難いものなのだと今になって気づいた。

 その瞬間の彼の痛ましさを想像すれば、そんな彼を想像し痛むこの胸の疼痛を知れば、菜月がどんな思いでその長年の想いを告げたのか、痛いほど察することができた。


「っ……ええ」

「……そうか」


 短く答えた私に、彼もまた短く答えた。すっと目を逸らしたのはやっぱり彼の困った時の癖だ。


「……事情は分かったわ。つまり、あなたはクラスメイト達の誤解を解いて、普通にクラスに馴染みたいということね?」


 私しか頼れる相手がいなかったのだと察して妙な嬉しさがこみ上げてくるのを堪えつつ、冷静に彼に尋ねた。


「ああ。……虫がいい話だということも甘えたことを言っているということも分かっている。でも、申し訳ないが、お前しか頼れない」

「っっ」


 泣きそうだった。言葉が溢れ出てきそうだった。「そんなわけない」とか「私たちの方がずっと甘えている」とか、人を頼ることに慣れていなさ過ぎる、……私も大概だけど、そんなレベルではない程に不器用なその姿に言いたいことはいっぱいあったけれど、何よりも私は――

 嬉しかった。頼ってもらえて。

 初めてだった。

 彼に何かを頼られたのは。

 こんなに、誰かの為に何かをしたいと思えたのは。頼ってもらえて、こんなに嬉しかったのは。

 ずっと助けてもらった恩返しをしたかった。

 何か、彼のために出来ることがないかとずっと考えていた。

 彼はいつも強いから、そんな機会は無いかもしれないと思っていた。

 だから嬉しかった。凄く凄く、心から嬉しかった。


「人に頼みごとをするときは敬語が基本よ」


 ふっと緩んだ頬に菜月が大好きと言ってくれた微笑みを携えて、皮肉ぶって言いながら。

 こみ上げてくる喜びも悲しみも怒りも、何もかもを一つの言葉にのせて、私はありったけの想いを形にした。


「お願いだから、私にあなたを助けさせてください」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ