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世界の色は一つでいい  作者: oqutopus
2章 愛しい日々は戻らない
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罪背負う者たちの邂逅(3)

 また来てしまった。

 ありふれた交差点。交差点なんてどこにでもあるはずなのに、この場所だけは特別だった。


「……大丈夫。あの子たちは、きっと私が――っ」

 それ以上の言葉は出てこなかった。言えなかった。その先を言葉にする資格が、私にはないから。


 この場所で、彼は亡くなった。私を庇って車に轢かれた。

 親友の大切な、大切な人だった。私にとっても、大切な人だった。

 一度も直接伝えたことはなかったけれど、私は友人だと思っていた。

 もしもそう伝えていたら、彼のことだから、きっと何か皮肉を返したかもしれないけど。

 それでまた、私は恥ずかしがって、上手に気持ちは伝えられなかったかもしれない。

 だけど、

 それでもやっぱり、私はあなたを友達だと思っていた。


『――古谷!』


「っ……」

 それが彼の最期の言葉だった。菜月でも天ノ目さんでも桃華さんでもなく、私の名前を呼んだのが最後だった。

 あれから三年経った今でも、鮮明に覚えている。

 私の名前を叫んだ彼は、路肩に転がった私の目の前で、テレビのCMで見た衝突実験の人形みたいに、簡単に吹き飛ばされた。黒のミニバンだった。免許を取ったばかりの大学生が親の車を借りて、友人達とイルミネーションを観に行こうとしていたそうだ。雪で凍った道路を慣れない運転で、しかし友人たちの手前ふざけて、調子に乗って、規定をはるかに上回るスピードで賑やかに会話を楽しみながら走行していた。その結果、交差点に差し掛かったあたりで信号が赤に変わり、急ブレーキをかけた拍子、車はスリップし、慣性に従って私に迫って来た。そして、彼が私を助けてくれた。私の代わりに死んでしまった。

 車に乗っていた大学生も重傷を負ったそうだ。特に運転席と助手席に座っていた二人はひどい後遺症が残っていて、片方は今も病院のベッドの上にいるらしい。幸い、彼が緩衝材になったおかげで壁に激突した時の衝撃が多少やわらぎ、誰一人、彼を覗いてこの事故で命を落とした人はいなかった。

 皮肉なことに、彼らの命もまた、彼が救ったのだ。


 ――ごめんなさいっ。ごめんなさいっ。


 何度も何度も――何度も何度も、あの子たちに謝った。菜月に謝った。

 本当に悪いのは彼らだと頭では分かっているのに、どうしても罪悪感が胸の奥からこみ上げて来た。謝らずにはいられなかった。

 それでもあの子は一度も私を責めたりしなかった。いつもみたいに元気よく、アホの子みたいに笑って見せて、


「一緒に、幸せになろうよ!」


 こんな私に手を差し伸べてくれた。私がいなければ、彼はまだ生きていたかもしれないのに。

 誰も言わなかった。


『お前の方が死ぬべきだった』


 なんて。


『お前なんていなければよかった』


 ……なんて。

 そんなこと言う人たちじゃないことは分かっていた。それでも、私は罰を与えて欲しかった。耐えられなかった。

 どうしても考えてしまう罪悪感にも。無責任な人々への怒りにも、憎しみにも。このどこまでも残酷な世界の理不尽にも。

 生きる理由が欲しかった。何をしても笑えなかった。幸せなんて、……もう望めなかった。

 だから、生きる理由を私は探した。それが償いの為でも傷つく為でも何でもよかった。

 そんな私に、菜月は言った。誰よりも彼を見てきたあの子が、本当は誰よりも辛いはずなのに。全部あの明るい笑顔の裏に隠して、いつもみたいに言ってくれた。


「だったら、責任を取ってよ。責任を取って、私とずっと一緒にいてよ」


 私の痛みのすべてを察してくれた。そのうえで、私に生きる理由を与えてくれた。

 嬉しかった。本当に、救われた気がした。

 私はこんなに強い人を初めてみた。こんなに優しい人を見たのは――……

 私は彼に命を救われて、彼女に心を救われた。

 だから、この救われた心に誓った。

 私は――



『――我ながら、どうしようもない人生だったな』


 っ!

 小さく聞こえた声に、驚いて身体が跳ねた。

 まるで何もかもを手放すような、すべてを諦めたような声だった。

 気のせいかもしれないと思いながら、それでもその声音にはどこか聞き覚えがあったような気がして。

 周囲を見回して、歩道橋の上に視線が向いたとき、一人の女性の姿が目に入った。

 手すりに寄りかかって、ずうっとただ真下の車の流れを眺めている。

 具合が悪いのかもしれない。

 心配になり、歩道橋を上って彼女に近づいて――そして驚いた。

 知り合いだった。

 高校の時にお世話になった、安桜先生。彼と触れ合ったあの年に担任だった、とても誠実な、頼りになる先生だ。


 何をしているのだろう?


 そんな疑問はしかし、その悲し気な、寂しげな、もうすべてに絶望したような表情を見て、そして彼女の左手に握られた白菊の一輪を見て消え去った。

 彼女がなぜこの場所にいるのか。何を考えているのか。何をしようとしているのか。

 すべてが最悪の想像なのに、それが最も現実的な予想なのだと分かった。

 その目がそっくりだったから。

 彼を失った後の菜月や天ノ目さんや桃華さんや……私に。

 そして気づいた。


 ああ――……

 きっと先生も私と同じで、ずっと戦ってきたのだ。

 消えることのない罪と、それでも償い方の分からない恐怖と。楽しいことも嬉しいことも、どうしても心から喜べない。あの空虚な冷え冷えとした感情と。苛まれ続ける罪悪感と。

 そして――そう、

 そして彼を失った――……悲しみと。


 あの子たちだけじゃなかった。彼の死ですべてを失ったのは。

 それでもこの人は大人だから、大っぴらにその感情を吐き出すようなことはなくて。

 だから気づかなかった。

 私たちのように寄り添いあって生きる道を選べない先生が、川の流れの中にあって寄る辺なく立つさざれ石のように、ゆっくりとゆっくりと傷つき続けていたことに。


『私の一番は、どんなときでも君だけだった』


 っ!

 これまでのすべての人生を捧げるように、注ぎ込むように彼女の口から形となったその言葉を聞いた瞬間、


「安桜先生?」


 あの時の彼を真似るように、少しも迷うことなく、私は声をかけていた。



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