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世界の色は一つでいい  作者: oqutopus
2章 愛しい日々は戻らない
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罪背負う者たちの邂逅(2)

 大通りから少し離れた、どこにでもあるありふれた交差点。

 歩道橋の近くに佇んで、車が行きかう様子をただ眺める。


『夜遅くにすみません。一色薫さんの担任の先生でしょうか? 薫さんのことで至急お話が――』


 あのクリスマスの夜。残業を片づけて、ケーキでも買って帰るか。今年も一人で過ごすことになるとは、冬の寒さが身に染みるな。などと考えながらこの近くのケーキ屋に向かっていた私に、警察から電話があった。何事かと思い慌てて電話に出て、そして事故のことを聞かされた。事務的なようでいてやっぱり人間なのだと分かる、言葉を選んだ話し方だった。昔、彼に両親の話を聞かされた時、万が一の時の連絡先として、彼の生徒手帳の裏に私の個人的な連絡先を書いたメモを入れていて、それを見て連絡したのだと言っていた。

 話を途中まで聞いて、その事故の現場はすぐ近くだと分かった。

 まだ何かを言っていた警察官の話など耳に入らず、邪魔な電話をぶつ切りしてそのままポケットに突っ込んだ。とても社会人としてはありえない態度だ。しかしそんなことなど心底どうでも良かった。

 真っ白な頭のまま全力で走った。大人になるとなかなか全力疾走する機会もなくなる。少し走ったくらいですぐに息が切れる自分の情けなさに、日頃の運動不足を実感した。

 買ったはずのケーキの箱はいつの間にか無くなっていた。どこかで落としたのか始めから持っていなかったのか分からないが、そんなこともどうでも良かった。


 どうか笑えない冗談であってくれ。間違い電話であってくれ。


 そんな微かな希望に縋りながら、白息を纏って、ゼーゼーと息を切らせて私は走った。

 五分ほどでこの場所にたどり着いた。

 野次馬でごった返す人ごみを蹴り飛ばすようにかき分けて――

 そして、彼に会った。彼は今まさに救急車で搬送されるところだった。

 まだ助かるかもしれないと思った。だってこういう時のための救急隊員なのだから。その為に税金を払っているのだから。

 けれど、そんな微かな希望はすぐに断たれた。


『……我々も最善を尽くしますが、残念ながら、おそらくもう――』


 近くにいた一人の救急隊員にしがみつくように「彼は助かるんですか!」と怒鳴り散らす勢いで尋ねた。お願いだから助けて下さいと、祈るように縋った。

 そんな私に「担任の先生ですか?」と尋ねた彼は、沈痛な面持ちで目を伏せながら、絞り出すように言った。

 そして彼がチラと道路の隅に視線をやった。その視線を追った先で、真っ青な顔をした古谷が放心したように道路にしゃがみこんで、「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返し繰り返し呟いていた。その痛ましい姿を見て、彼が事故に遭った経緯を察した。

 悲しみに染まる雪景色の中。何とも彼らしい最期だと、納得できてしまう自分が可笑しかった。叫びたいほど悲しいはずなのに、笑ってしまう自分が可笑しかった。



 蘇るあの時の記憶をこの景色に当てはめながら、車の突っ込んだ壁は修復されたのかなんて本当にどうでもいいことを考えていると、ふと、横断歩道の隅。白菊の花がそっと目立たない場所に添えられていることに気づいた。


「っ」


  分からない。彼に向けたものかもしれないし、彼ではない別の誰かに向けたものかもしれない。

 けれど、あの場所はたしかにあの日、彼を搬送した救急車が止まっていた場所だ。

 そんな場所の片隅に添えられた菊の花。


 ――っっ!


 そう思うと同時、ツウと胸に痛みがあった。奥深くからジンジンと、波のように畳みかけて来る。

 あの場所で彼は死んだ。その事実だけで、心臓が止まってしまいそうなほど私の胸は締め付けられた。

 痛くて仕方なかった。

 彼のことを思い出すのも、必死に考えないようにするのも。あの日々の思い出から目を背け続けて、こんなどうでもいい世界に自分を溶かして生きるのも。

 ずっとずっと、痛くて仕方なかった。


 ……けれど、今日でそれも終わる。


 私は数本の白菊の中から一輪だけ形が不格好なものをそっと拾って、それを両手に抱えて歩道橋を上った。

 朝七時前の道路はそれほど人気がなく、こんな時間に歩道橋の上に突っ立ているのは私くらいだ。

 手すりに寄りかかって、何となく下を眺めてみる。

 大通りから離れていて人通りは少ないとはいえ、それでもビュービューという一定の間隔で風を切る音を伴って、私の真下を幾台も鉄の塊()が通り過ぎていく。

 自分が何を考えているのか、私には分からない。……そう、分からないのだ。

 ふわふわとした気持ちのままその光景を眺めていると、何とも言えない感覚に包まれる。自分が今何をしているのかも、さっきまで何を考えていたのかも。そんな鬱々とした思考などスウッと抜け落ちたような、快楽にも似た感覚だった。

 そんな気持ちの中にあって、それでも唯一思い出したのは――


『俺の一番は、どんなときも変わらないので』


 嬉しかった。彼に肯定してもらえた気がした。そんなこと、絶対ないと分かっているけれど。

 私は彼に本物を教わった。彼の生き方こそが揺るがない理想の形であるのだと解ってしまった。

 だから、私のこの選択もきっと正しいはずだ。っ……きっと。


「我ながら、どうしようもない人生だったな」


 いつもの調子で皮肉ぶって言いながら、私の心は数年ぶりに高ぶっていた。

 ……ああ、やっと終わる。やっとまた、……君に会える。

 最後まで理不尽で、愛しようもない、どこまでも悲しみばかりの世界だったけれど、最期くらいは笑って別れよう。他でもない、彼に出会わせてくれた、たった一つの世界なのだから。

 歩道橋から身を乗り出した拍子、頬を滴る涙が幾筋も風に流された。


「っ……」


 私は今、笑っているのだろうか? 笑っているのだろう。

 やっと解放されるのだから。

 痛くて辛いばかりの、何も救われないこの世界から。

 ふっと息を吹いて空っぽになっていた空気を肺に送り込み、最期の言葉を口にする。


「さよう――」


 さようならだな。


 そう言いかけて、どうしても最後に一つ言っておきたい言葉があった。

 ……本当に、責任をとってもらいたいものだ。

 思わず皮肉気に頬がひきつる。最後だと思ったら、自分でも驚くほどリラックスしていた。

 そして、

 大きく息を吸い込んで、この命のすべてを注ぎ込むように、大切に大切に、私は自分の心を形にした。


「私の一番は、どんなときでも君だけだった」


 さようなら―――……












































 

「安桜先生?」

「っ!」


 ―――……っ!


 声をかけられた瞬間、びくりと身体が跳ね、のけ反った拍子に寄りかかっていた手すりから身体が離れる。滅茶苦茶な思考と驚いてバランスが崩れたことが相まって、私は何とも不格好にその場に尻餅をついて座り込んでしまった。


 私は今、何をしようとしていた……っ⁉


 正気に戻って、改めてさっきまで私がもたれかかっていた手すりに目をやる。


「っ……」


 今さらになってこの身体は生命の危機を感じとったのか、もしあのまま声をかけられなければと想像して、ドクンドクンと尋常ではないほど脈打つ心臓の音が胸の奥から聞こえて来る。ゼエゼエと荒い呼吸が、先ほどまでの私の愚考の愚かしさをこれでもかと伝えて来る。


「こんなところで、何をしていたんですか?」


 荒い呼吸で涙を拭ってその恐怖に足を震えさせる不様な私に、そう言って手を差し伸べてくれたのは――


「古谷……」


 卒業して以来二年ぶりに会う、私の元教え子だった。


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