罪背負う者たちの邂逅(1)
……はあ。
朝日を浴びながらバーを出て、自然と大きなため息が漏れる。
知らない間に朝日が上がっていた。どうやら夜を明かしてしまったようだ。
昔の――つい数年前のことを思い出して、当時の葛藤や痛みや幸せだった瞬間の愛おしい思い出に浸ってしまい、思いがけず深酒してしまった。幸い昔から酒は強い方なので、二日酔いで千鳥足になるような失態は演じていない……はずだ。
「君はこんな私を見たら、何と言うだろうな」
酔いのせいだと嘯いて、いつも無意識に遠ざけているそれを、溢れて来る思いの波に身を任せたまま、胸の奥深くから響いて来るどうしようもなく寂しくて、悲しくて……。そんな思いを堪え切れず、ポロリと口をついてあふれ出る。
「っ……君はきっと、きっとそれでも、私を受け入れてくれるのだろうな」
漏れ出た声は諦めにも似ていて。けれどきっとそれとは全く逆のものだと分かっていて。
ぽっかりと空いた胸の隙間が切なくて。今の私には何もないのだと分かってしまって。
もう彼を失ったあの日から、君を失ったあの日から、……私の世界は空っぽになってしまった。
何を見ても、何も感じない。
何を聞いても、何も思わない。
楽しかったり悲しかったりする感情も苛立った思いも確かにあるのに、どうしても深い部分が冷めていて、何をしても偽物に感じてしまう。
偽善者の『優しさ』も、嘘つきの『誠実さ』も、押しつけという『支え合い』も、何もかもが社会のありふれたことなのに、その何もかもがどうしようもなく偽物に思えてしまう。
何が正しくて何が間違いで、何を信じて生きていけばいいのかも、もう何も分からない。
子供の様に、受け入れがたい現実を不様に拒む少女の様に、嫌だ嫌だとどこまでも理不尽なそれを否定する。
今見ているこの世界が、まるで偽物のように感じた。こんな残酷なだけの悲しみばかりの世界なんて、偽物であってほしかった。
もうあの日々は戻らない。
笑い、喜び、嘲り、皮肉を飛ばし。無力さを嘆き、正しさを問い、優しさを見つめ、己の弱さと葛藤し、それでも幸せを見据えていた。
そんな日々はもう、戻らない。
私にとってはあの時の世界こそが本物だった。紛れもない、偽りなき世界だった。
だって君に出会ったあの日から、私の世界はずっと君で溢れていたのだから。
それなのに……ッ。
「あんまりじゃないか……っ!」
ポロリと、何かが零れ落ちた。プツリと、堪えていた何かが切れた。
「私のすべてを変えておいて! 私に本物をこれでもかと見せつけておいて! ヒーローがいるなんて……信じさせておいてっ。あんまりじゃっ……ないか……っ」
ぐわんぐわんとした二日酔いにも似た、悲しみの大きさに押しつぶされそうな感覚。何かを言葉にして形にして吐き出さなければ、耐えられなかった。
「君は酷い奴だっ! ヘタレだ! 不良だ! っ君は……っ。君は、」
――君が大好きだった!
「愛していたっ。君だけが本物だった‼ 君の為なら何をしてもよかった!」
もう言葉が止まらなかった。振りくった炭酸の栓を開けたように、押さえつけていた思いが次々に溢れて来る。
人目も気にせず、私は幼い子供の様な、辻褄の合わない支離滅裂な、醜い感情だけの言葉とも言えない思いの渦を、ただ声に出して形にしていく。
そして、
「君の為なら私は――」
――死ねた。
「っ……!」
その言葉を言いかけて、そして気づいた。
私だ。何よりも罰を負うべき人間は、この私だ。
私は彼の先生だった。彼に正しさを教えるべきだった。優しさを教えるべきだった。幸せに、導くべきだった……っ。
初めて会ったあの日から、彼はこの先もきっと傷つき続けると分かっていた。
あんな生き方をしていれば、いつかこんな結末を迎えるだろうことは分かっていた。あの交差点での事故が無くても、それでも彼は本物だった。どこまでもそういう生き方しか出来ない彼は、結局またどこかで同じような最期を迎えていただろう。
彼の死にざまは必然的なものであると、始めから分かっていた。見えていたんだ。
……だから、否定するべきだった。否定しないといけなかった。
いつからだろう。
彼の正しさを否定できなくなったのは。彼の優しさが、救いの様に思えたのは。
いつからだろう。
彼の生き方を否定できない苦しみから目を背けるように、この世界こそが間違っているのだと、そんな初めから分かり切っていた、それでも受け入れるしかない現実を、問い直すようになったのは。
ッ……いつからだろう。
君に甘えてしまうようになったのは。君の優しさを利用して、無力な自分を肯定しようとするようになったのは。
君の生き方こそが理想であると信じて、君を否定することを諦めた。
こんな悲劇がいつか訪れると、心のどこかでは分かっていたのに。どこまでも正しい君の生き方に、すべてを包み込んでくれる優しさに、理想を見出した。
本物だと認めてしまった。どうしても否定できなかった。
「ッ……わたしじゃないかっ……!」
私が彼を殺したようなものだ。私がっ――
……分かっている。それがバカな考えだということは。そんなことを彼が望んでいないことも、私が贖罪の場を求めているだけの、どこまでも愚かしい愚考なのだということも、すべて分かっている。
それでも、それ以外にどうやって彼の死を受け止めればいいのか分からなかった。
誰か教えて欲しかった。
どうすれば、この悲しみばかりの理不尽な世界を、彼なしで生きていける?
何を信じればいい?
エゴに満ち溢れた社会の欺瞞を! 自己満足の偽善者たちを!
そんなものをどうして、優しさなんて呼べるっ⁉ 正しさなんて嘯けるっ⁉
本物を知っているのに。一色薫をっ……知っているのに……っ。
「私には―――無理だ」
彼の死んだ交差点に差し掛かった頃には、もうすっかり酔いは醒めていた。




