優しい彼女は訪れる(1)
「薫ちゃん、モモちゃんって桃好きだっけ?」
スマホのメモアプリで確認しながら今晩の食材をかごに放り込んでいた俺に、後ろから妙に気やすい声がかけられた。どこに行っていたのかと思ったが、両手に桃を掴んだ菜月が、俺の顔の前に両手を突き出して見せてくる。
「好きだったと思うが……。でも桃をそのまま買うってなると高いんだよな」
こいつがホイホイいなくなることも、勝手に変なものを持って来ることもいつも通りなので、そんなことでは一々ツッコまない。幼馴染とは妥協に妥協を重ねた関係なのだ。
主に譲歩しているのは俺だがな!
天ノ目と話した後。いつも通り桃華に頼まれた食材を買うため、通学路近くのスーパーに向かっていた俺に、後から急いで走って来た菜月が、「久しぶりにモモちゃんに会いたいから一緒に行ってもいい? ついでに薫ちゃんのお料理食べたいな~」とかなんとか言ってついて来たのだ。勝手な奴だが今に始まったことでもないので、俺は桃華に連絡し、今日は俺が夕飯を作ることと一人前大目に材料を買ってくるよう指示を受けて承諾した。
スーパーに着いて早々、いつも通りどこかに消えていた菜月は桃を持って現れ、今に至る。
「んも~っ。ふふ、薫ちゃんってそういうところ主夫みたいだよね~……あ。チッ、バレちゃったか」
能天気に笑って言いながら、さりげなく桃を二つカゴに突っ込もうとする菜月。すかさず身を翻し、カゴを菜月から遠ざけると、俺のアホ幼馴染は可愛らしく舌打ちして『てへっ』と舌をだした。もちろんその間も、奴の手は俺の持つ買い物かごを狙っている。
「まったく、お前が桃食いたいだけじゃないか。……というか、二つだけ買っていっても足りないだろ?」
こいつが家に来るのなら三人分必要だ。桃華は小さい割によく食べるし、菜月に至っては俺より大食い。
俺が言うと菜月は、
「なんで? 私とモモちゃんの分で…………あっ!」
「……おい」
俺は久しぶりにデコピンをくらわしてやりたくなった。
「じょ、じょうだんだよ薫ちゃん。あはははははは……」
目を逸らして空笑いする菜月。
「……まあいいけど。桃か。どうしようかな」
俺はそんな菜月から桃を一つ受け取って、値段を見ながら思案する。
「あはは、薫ちゃんのなんだかんだ言ってもちゃんと考えてくれるところいいと思うよ。伸ばしていこう! ……ちょっ! ごめんて、冗談だよ薫ちゃん! ちょっとぐらい贅沢してもいいんじゃない? ほら、きっとモモちゃんも喜ぶと思うよ?」
……桃華が喜ぶ。
「よし、買おう!」
妹の笑顔を思い浮かべた瞬間、菜月のおでこの前でデコピンの用意をしていた指を下ろし、俺は即決していた。
「うわあ。……あはは、相変わらずのシスコンっぷりだねー。学校でももう少し今みたいに愛想よくしてたら、友達できるんじゃない?」
レジへ向かいながら菜月が苦笑いして言う。
「……べつに、そういうことじゃないだろ」
俺は、別に友人が欲しいわけではない。むしろ、いらない。いたらきっと迷惑をかけてしまう。
「あ、この券って使えますか?」
「い、いえ、申し訳ございませんお客様。その商品券の有効期限は先月まででして……」
「……そうですか」
会計中。パートの女性に桃華から預かっていた五百円分の商品券を何枚か見せて尋ねると、女性は明らかにおどおどした様子で、申し訳なさそうに頭を下げた。そんな気まずい空気から逃れるように、俺は視線を逸らして商品券を財布に戻した。
もし俺に友人がいれば、まず間違いなく迷惑をかけることになる。目の前の女性のように、周囲の客たちも俺のこの赤い髪を見て、あからさまに別のレジへと並んでいる。
ほとんど毎日来ているのにこの有様なのだ。どのみち、俺の不愛想は元からだけどな。
「薫ちゃん。こっちこっち~!」
先に外に出て待っていた菜月が、俺を見つけるなり右手をブンブン振って大声で言う。
「おい、もう少し恥じらいをもて。お前、今年でいくつになるんだ?」
「ええ~、私だってちょっとくらい恥ずかしいとか思うよ? というか同い年じゃん私たち」
へらへらと笑って言いながら、自然な動作で俺の隣に並んで歩き始める菜月。能天気な奴だ。
「……モモちゃんは元気してる?」
しばらくして、おもむろに菜月が口を開いた。もう少し行くと横断歩道が見えてくるのだが、話題づくりだろうか。いや、こいつのことだから単純に気になっただけかもしれない。
「ああ。むしろ元気すぎるくらいだな」
昨日のことを思い出し、思わず苦笑が漏れる。
「そっか。ああ~っ、いいなあ~。私も甘えてくれる可愛い妹欲しい~! ねねっ、モモちゃん私にちょうだい?」
茶化すように言って、隣を歩いている俺の肩を揺らす菜月。
「良いわけがないだろ。桃華は俺の妹だ!」
強い意志を持って断る。
「じょ、じょうだんだよ。……てゆか、シスコン怖すぎ」
割と本気で引かれてしまった。さっきまで俺にくっついていた菜月は、今は隣にいるはずなのに一メートルほど距離をとっている。ソーシャルディスタンスのお手本だな。
「……まあ、桃華はやらないけど、桃華の姉を名乗るくらいは許してやってもいい」
桃華はあれ以来、極度の人見知りとなり、家から一歩も出られなくなった。他人から向けられる視線に異常に敏感で、以前、無理を言って連れ出したときは、玄関の前で立てなくなり、その後数日間、熱を出して寝込んでしまったほどだ。菜月のことも始めは拒絶していたが、今では本当の姉妹のように戯れている。もちろん、俺の方が好かれているがな。(俺調べ)
「かっ、かおるちゃん。それ、本気で言ってる⁉」
するとなぜか戸惑ったような、神妙な表情で、ずいっと身を近づけて詰め寄ってくる菜月。
「ん? ああ。お前のことは桃華も気に入っているからな。たぶん桃華も同じように思っていると思うぞ」
「……え? あ、ああ。……さすが薫ちゃん。なんでもかんでもモモちゃん優先なんだね」
何故かテンションががっくり下がった菜月。
「当たり前だろ?」
心底そう思うのでそう返すと、珍しく菜月は大きなため息を吐いた。
「……薫ちゃんはもう、モモちゃんと結婚すればいいと思うよ」
ちょっとよく分からない。
「ねねっ、薫ちゃん! あの人めっちゃタイプなんですけどっ⁉」
横断歩道に差し掛かり、赤信号で足を止めると突然、菜月が少し前で立っている女性を見て興奮気味に言う。発情期の犬を散歩させている気分だ。
「……はあ」
いつものことなのでもう慣れたものだが、それでも白昼堂々そんなことを口走るアホが隣にいるのだから、ため息を吐くぐらいは許してもらいたいものだ。
「って、あれ? ねえ、あの人なんか見おぼえない?」
瞳孔ガン開きで女性を観察していた菜月がふと何かに気づいたようにそう言って、首を傾げる。というか、女同士でもセクハラはセクハラだぞ……。
「お前みたいに美人をみつけては隅々まで観察するような変態の見おぼえなんて、考えるまでもないだろ? 同じようにどっかで見かけたことがあるだけだ」
俺は心底こいつが女であって良かったと思う。もし男だったら、俺は幼馴染としてけじめをつけさせなきゃならなかったかもしれない。……今でも少し不安だ。
「ん~、や、違うと思うよ? それにあの人、私たちと同じ高校みたいだし。なにより私が女の子を見間違えるはずないし」
「………」
確かにそうだなと思えてしまうのが本気で嫌だ。
妙なことを言う菜月を無視して、俺も少し女性の方を見てみた。
前を向いているため顔はあまりよく見えないが、周囲の人々の隙間から覗く肩口は確かに制服のようにも見える。
「お前……。よくあれだけ見て、うちの制服だってわかるな?」
「もっちろん。日頃からいろんな女の子観察してるからね! 服も含めての美少女だから!」
「……そうか」
会話をしつつ女性を見ていると、ふと彼女は周囲を見回すように視線を巡らせた。
「っ」
瞬間、隣で菜月が驚いたのが分かった。
「ねえねえ薫ちゃん、あの人って……」
「ああ。アイツってこの近くに住んでるのか?」
先ほどから菜月が目を付けて観察していた女性は、俺たちのクラスの転校生、天ノ目だった。
「どっ、どうしよ薫ちゃん⁉ 私まだ、ちゃんとメメちゃんと話したことないんだけど⁉ てゆか、話しかけていいのかな⁉」
興奮した様子で俺の肩を掴んで言う菜月。
「まてまて菜月、一旦落ち着け。あと、べつに話しかけなくていいだろ? 知りもしないやつにプライベートで話しかけられるなんて地獄だぞ」
気を抜いているときに話しかけられて嬉しい奴なんていない。外で会った時は目が合っても知らないふりをするのが本当の優しさだろう。
「……それは薫ちゃんに友達がいないからだよ。でも、そだね。私もメメちゃんとはあんまり話したことないし、迷惑だったら悪いしやめとくよ」
落ち着きを取り戻した菜月は残念そうにそう言って肩を落とす。こいつは基本自由人だが、気配りはできる奴だ。
菜月は学校で隙を見つけては天ノ目に話しかけているが、その全てを軽くあしらわれている。
天ノ目は誰にでも表面上は笑顔で愛想よく接するが、決して深くまでは関わろうとしない。転入直後から同級生へ対しての丁寧すぎる言葉遣いや、教科書を見せるときの俺に対しての過剰な遠慮。それはまるで、何かを恐れているようですらある。
しばらく天ノ目の方を見ていると、信号が青に変わった。しかし、なぜかあいつは信号が変わってもなかなか歩き出そうとしない。
周囲の人々が一斉に歩き出し、俺達も同じように信号を確認し歩き始める。
何人かが渡り始めたのを見た天ノ目は一度周囲を確認した後、人ごみに紛れるように横断歩道を渡り終えた。
「どうかした? 薫ちゃん」
隣からそう声を掛けられ、俺はすぐに思考を止めてそちらに目を向ける。
「……いや、べつにどうもしない。……帰るか」
首を振ってそう答え、もう一度、天ノ目を探す。しかしもう既にその姿は人ごみに紛れてしまい、目に入らなかった。仕方なく諦めて帰路に目を向け歩き出す。
……と、俺はここであることに気づいてしまった。
安桜先生に頼まれてしまったため一々その行動を観察してしまっているが、これではストーカーだ。菜月のことをとやかく言えなくなってしまうな。
「どうしたの? さっきからキョロキョロして。あっ、もしかして薫ちゃんも美少女探索ゲームの魅力に気づいちゃった⁉」
…………。
隣を歩く菜月の戯言を無視して、俺は少し歩みを速くした。




