甘い日常とビターな記憶(3)
昔から、妹はよく笑う子だった。
人付き合いが下手な俺にとって、いつも人懐っこく笑顔を絶やさない桃華は自慢の妹だった。
年が離れているためあまり外で関わる機会はなかったが、それでも家ではよく話をしたし、ときどきおこる家庭の不調和も、下手くそな俺に代わっていなしてくれた。
俺が中学に上がった頃からだろうか。
父も母も、その頃から既に顔を合わせる機会は少なくなり、元から放任主義だった二人は俺のことも放っておいたが、それでも桃華の前では取り繕っていた。あの頃の家族は多分、桃華のおかげでギリギリ成り立っていたのだ。
しかし、桃華の髪は白かった。
ただそれだけ。たったそれだけの理由で、桃華は学校でいじめを受けていた。
俺がそれを知ったのは、桃華が学校に行けなくなった後だ。
ある日、両親の離婚が決まった。
――遂にこの時がきたか。
その時の俺の感想はそれくらい淡白なものだった。
しかし、俺はそれまで大きな勘違いをしていた。
両親の不仲は俺にとっては物心ついたころから当たり前のことで、当然、桃華も理解していると思っていた。
だが、それを理解するにはまだ桃華は幼かった。純粋だった。
思い返せば、両親も桃華の前では仲のいいふりをしていたように思う。それを俺は表面上を取り繕っているだけの滑稽なものだと思っていたが、桃華にとってはそれが見えていた世界だったのだ。
離婚の話を聞いて、今までに見たこともないほど心を乱した桃華は、一時期自室に引きこもってしまい、数日間、食事もとらずに泣き続けた。それでも、そんな娘の姿を見ても、両親の考えは変わらず、もともと母親の持ち物だったマンションを父親が出ていく形で話がまとまり、結局、父親は最後まで桃華と顔を合わせることはなかった。俺たちを引き取った母親も、仕事を理由に桃華と家のことを俺に任せ、今では別に部屋を借りて暮らしている。
その後、なんとか桃華を励まし続け、どうにか部屋から出て来た彼女は驚くほど痩せていて、美しかった髪は乱れ、肌は荒れ、思わず俺は涙がこぼれた。
調子を取り戻して学校に通えるようになったあと、それまで耐えられていたいじめに心の支えをなくした桃華がどうなったのか。……もはや考えるまでもないだろう。
だから、俺は誓った。
――俺が桃華を幸せにする。
思い出す彼女の顔はどれも涙に濡れていて、まだまだ俺は弱いままだ。
*
「今日もありがとうございました、一色さん。来週からは教科書をもらえるはずなので、安心してください」
金曜日。
今週中ずっと机をくっつけていた俺たちはそれなりに機会があり、始めこそぎこちなかった天ノ目も、今では普通に話しかけてくるようになった。一々礼を言われるのはむずがゆいので、いい加減やめてほしいところだが。
何を安心するのか謎だが、これでこいつも俺と関わる機会が減って、これまで以上にクラスメイトたちとの交流が増えることだろう。俺もいい加減、チラチラと向けられてはすぐに逸らされる鬱陶しい視線にもうんざりしていたので、安心と言えば確かに安心だ。
「……そうか。まあ、どうせ隣の席なんだし、困ったことがあれば―――……頑張れ」
言ってくれと言おうとして、俺に言うより、それこそ周りの誰かに相談した方が交流も増えて、よっぽど天ノ目のためになるだろうと気づいてやめた。今も羨ましそうに俺の方を睨みつけている菜月のアホで良ければ、すぐにでも仲良くなれるはずだ。あいつはこの一週間、常に天ノ目と席をくっつけている俺に物凄くジェラシーを燃やしていたからな。そろそろ構ってもらわないと俺の身が危うそうだ。
「……え?」
と、俺の言葉になぜかポカンとした表情を浮かべ、珍しく気の抜けたような様子で俺を見つめる天ノ目。
「? なんだ、変な顔して」
俺が怪訝な目で言うと、正気に戻った天ノ目は慌てたように。
「いえ、一色さんがそんなことを言うとは思わなかったので。……って、変な顔とか言わないでください!」
失礼なやつだ。とはいえ、今日までの俺の態度をあらためて客観的に考えると、天ノ目がそう思うのも当然だろう。不愛想の権化だったからな。
「……別に、俺が何かをしてやれるわけでもないけどな」
変に期待されても困るので、先に断っておく。
俺の言葉になぜか頬を緩める天ノ目を無視して、荷物をまとめて席を立つ。そのついでに、思い上がりそうになった恥ずかしいバカを戒めた。
妹一人守れなかったお前に、誰かを助けられるわけないだろ。




