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世界の色は一つでいい  作者: oqutopus
2章 愛しい日々は戻らない
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正しさが揺らいだ日

「まったく、これで何度目だい? ここは君の反省文を書くための部屋じゃないんだが」


 呆れ混じりのため息とともに、少しの皮肉と親しみを込めて言うと、


「まあまあ、俺と先生の仲じゃないですか。あ、コーヒー飲みますか? それともココア?」


 いつの間にか自前で持ち込んでいたらしいマグカップに生徒指導室のポットで湯を入れながら、新しく紙コップを取り出し始める一色。


「どこまで馴染むんだ……。図々しさもここまでいくと、もう逆に何も言う気も起きないな。……コーヒーを頼む」


 始めの頃は真面目に彼が反省文を書いている姿を監視していたのだが、もう二桁を超えた辺りからこの部屋は彼と私の喫茶店と化した。……他の教員にバレたら私が叱られるのだが。


「それで、今回は一体何をしたんだい?」


 彼からインスタントコーヒーの入った紙コップをもらいながら尋ねる。


「なんでしたっけ? えー……ああ、なんか()()()()だかなんだかだったと思います」


 ブーーーっっ‼‼‼


 私は思いきっり口に含んでいたコーヒーを吹き出した。


「ちょっ、汚いですよ先生。確かに先生は美人ですけど、それでも品って大事だと」

「ばっ、……はあ⁉ ち、ちかんとは、あの痴漢か?」

「? ええ、まあ。幸い示談で落ち着いたんで、罪には問わないって話ですけど。それでも一応、警察沙汰になったんだから反省文は書けと言われたので」


 あまりの驚きに席を立って目をまわしながら彼に詰め寄る私だが、彼はキョトンとした顔をして、私がこぼしたコーヒーを台拭きで拭く。


「ききき、君がしたのか? その、だれ……ではなく、ち、ちかんを?」

「いえ、俺がしたのは、」


 そこで一旦、狼狽える私に目をやって、少し考え込んだ後、


「これは実際にやった方が早いかもしれないですね」


 と、何でもないように言って、すっくと席を立った。


「え、な、何がだ? 実際にとは――ま、まさかっ」


 彼がやろうとしていることを想像して、思わず私はぎゅっと目をつぶって自分の身体を守るように抱きしめる。

 しかし、そんな私に彼はキョトンとした顔で、


「? じゃあ、先生が小さな子供だとします」

「…………は?」


 教室のひらけたところで少し考え込んだ後、うんうんと思い出すように何度か頷き、「先生はここに立っといてください」と言って私を定位置に案内する。


「ちょっとしゃがんでもらえますか? あ、そんな感じです」


 意味が分からず目を回す私に指示を出して、ちょうど小学校低学年くらいの目線まで私をしゃがませる。


「いつだったかはちょっと覚えていないんですけど、駅で電車を待つためにつっ立ってたら、俺のすぐ隣に母親に手を繋がれた子供がいたんですよ。で、微笑ましいなと思っていたら、その後ろで大学生くらいの奴がタバコ吸ってて、隣の奴と話し込んでいるわけです」


 状況説明だろうか。記憶を遡って思い出し思い出ししながら淡々と彼は話すが、もう嫌な予感しかしない。


「そいつが話に夢中でタバコを持ったまま腕を下ろした拍子に、運悪く子供の方も顔をそっちに向けて」

「っ」


 話を聞くだけでゾッとして息を吞むような状況なのに、彼は本当に何でもないことのように言う。


「これはマズイと思ってとっさに手を出して」


 彼はしゃがんだ私の顔の前にそのごつごつとした大きな手をさっと差し出す。

 そして、その手の中心部分にはまるで根性焼きのような火傷の跡が鮮やかに――


「ああ、多分これがその時の火傷の跡です。すみません、見苦しいものをお見せして」


 そう言って、彼は開いていた手を握る。言葉通り、本当に私の気を害してしまわないように、そうしているだけなのだと分かる。


「ッ……君はっ」

「ああ、そういえば痴漢の方の話でしたね。まあ、タバコで火傷して、ちょっとアチッてなっちゃいまして。思わず手を振ろうとした拍子に、たまたま近くにいた女性のスカートをめくってしまって」


 まるでテストの問題で穴埋め記述欄をずらして書いてしまったくらいの、それくらいの調子で彼は話す。


「なっ…言ったのか? それは」

「? どうでしたっけ。たぶん言ったと思うんですけど、あんまり覚えてないですね」

「っ……そうか」


 それから、彼は何でもないことのように、


「まあ、そういうことです。……痴漢してしまったのは事実なので、不快な思いをさせて本当に申し訳ないと思っています」


 皮肉でも何でもなく、心からそう思っているのだと、改めて席に戻って反省文の続きを綴り始めた彼を見て分かった。本当に心から反省して、自分を戒めている。


 ………っ。


 マグカップ片手につらつらと反省文を書いていく彼を眺めながら、きっとこの子はこれまでも、ずっとこうやって傷ついて来たのだろうと思った。

 彼と親しくなる中で、両親の離婚をきっかけに彼の妹が不登校になってしまったという話は聞いていた。彼女が色素欠乏症(アルビノ)だということも教えてくれた。そういう特殊な特徴を持った存在が学校というコミュニティが閉鎖された異常環境において、特に義務教育の前半過程において、どんな風に周囲に見られるのか。どのようなリスクが考えられるのか。言葉にされずとも察することができた。

 だから彼はそんな彼女を幸せにすると誓って、そのために生きているのだとも話してくれた。それが彼の心からの本心なのだとも分かっていた。けれど、


「っ……君は――」

「?」


 ――君は間違っている。


 言いかけた言葉はどうしても喉元を過ぎることなく、彼はこれからも傷つき続けると分かっていたのに、私にはどうしてもその救いにも似た純粋な優しさを否定することはできなかった。

 きっと、本当に正しいのは彼の方で、間違っているのは――……


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