赤い髪の新入生
入学式で新入生も在校生も皆が緊張と希望と不安をそれぞれ胸に抱いて体育館に整列する中、その生徒は一人、異様な雰囲気を放っていた。
「随分と初っ端から飛ばしているじゃないか。イエローカードよりレッドカードの方がお好みかな?」
当時、生徒指導を任されていた私は入学式の途中、こっそり彼を生徒指導室に呼んで皮肉交じりにその真っ赤な髪を指摘した。
まったく面倒な生徒だ。高校デビューで気持ちが高ぶってしまうのは仕方ないが、しかし学校にも決まりというものがある。一人の勝手を許してしまえば他に示しがつかなくなってしまう。個性を否定するつもりはないが、ここは自重してもらいたい。
そんなことを考えながら、他の生徒にするのと同じような気持ちで指導したつもりだった。
「ええまあ、どちらかといえばブラックカードの方が俺は好きですけどね。生憎、カードだけもらっても中身が伴わないので困りますが」
私の皮肉交じりの注意に、彼は何でもないように軽口を返した。その冗談交じりの言い方にはどこにも反抗的なものは無く、一見抱いていた『怖い』や『不良』といったイメージとは少しも結び付かない。
「……なんというか、ビックリするくらい緊張感がないな。普通、入学初日に生徒指導室に呼び出されたら、それなりに緊張すると思うのだが」
「まあ、慣れているので。それに先生が飛び切り美人なので、むしろ俺にとってはご褒美ですよ」
本当に何でもないことのように言いながら、適当なことをさらりと宣う。それが本心なのか軽口なのかいまいち判断しかねるが、とぼけたようなその表情は話しかけた時から一向に変わらず、何とも本質の掴みづらい男だ。
「分かっているとは思うが、あまりいい印象ではないよ?」
「ええ、俺がゴミクズのカスに見られることは承知しています。すみません、こんな俺に時間を取らせてしまって」
「ちょっ、誰がそこまで言った。……まったく、君と話しているとつくづくペースが乱されるな」
あまりにも自然な自己否定に、思わず慌てて言葉を訂正する。彼の言葉が教師を嘲ったような軽口であれば一喝指導してやるのだが、何というか……。本当に心から思っているような口ぶりに不安が滲む。
「忙しいなか俺なんかの指導に手間を取らせてすみません。すぐに反省文を書くので、枚数を指定してもらえますか? あ、できればこれからもちょくちょく書くことになると思うので、一気に束で預けといてもらえると助かるんですけど」
………は?
一瞬、彼の言ったことが理解できず、私は自分の耳を疑った。
「いやいやいやいや、……は? 君は何を言っているんだ? たしかに指導の一環として反省文を書かせることはあるが。……というか、君は何故ここに呼ばれたのか理解しているのか?」
本当に自然な動作で鞄からシャープペンを取り出し始めた彼を、一旦落ち着いて(落ち着かせてくれ)話をしようと止める。
「? ええ、このオサレでイカした髪のことですよね? でも俺の一番はどんなときも変わらないので。ご迷惑をおかけしますが、髪の色は変えられません」
「!」
始めからずっと軽口を叩く彼だが、その一言にだけは妙な意志の強さが感じられた。
「いや、そうは言ってもな。集団には規則というものがある。悪いがこの学校に入学した以上、最低限ルールには従ってもらわなければ困るんだよ」
しかし、いかに彼に譲れないものがあったとしても、それを「じゃあ、はいそうですか」と認めてしまうことはできない。どんな理由があろうと、生徒一人を特別扱いすることは他の生徒達にとって理不尽になってしまう。彼の髪に一体どんなポリシーがあるのか分からないが、どうせあと三年もすれば髪なんていくらでも好きなようにできるのだから、ここは受け入れてもらいたい。
そんな風に、私としては誠実な対応をしたつもりだった。けれど彼は、そこだけはどうしても譲れないと、
「……そうですか。でも俺は不良なので従えません。すみません、……本当に。反省文も罰労働もいくらでもするので、これだけは見逃してください」
「っ……!」
なぜそんな舐めたようなことを平然と宣う彼の顔が、他の生徒を指導した時のような不服な感情を瞳の奥に隠して、表面上はすみませんとした態度を装ったようなものではなく、本当に反省しているような、申し訳なさそうな表情なのか分からなかった。そんな風に謝るくらいなら始めからしなければいいじゃないかと思うのに、その何かを抱えるような、悲しみを背負うような、果ては私を気遣うような瞳が、私に言葉を飲み込ませた。
私は今までこんな生徒に出会ったことはなかった。
真っ赤な髪で入学式に参加し、相当気合の入ったヤンチャな生徒なのかと思えば、話していると全くそんな様子はない。常にこちらに気を遣い、一言一言が軽いようで、決して相手に牙を向けない。常にその毒牙は己に向いていて、格好から話すことまですべてが矛盾まみれなのに、深い部分が何か一つのもので一貫している。
けれど、その何かがどうしても分からない。異質で不気味で……それなのにどうしてか温かい。彼と話せば話すほど、言いようのない感覚に包まれる。
「……今日の入学式でも気づいたと思うが、うちの学校はそれなりに進学校だ。在校生にも新入生にも、君みたいな髪をした生徒はまずいない。そんな中で、真っ赤な髪をした君がどんな風に見られるか……分かるな?」
べつに学校のルールとは、生徒を縛り付けるためだけにあるのではない。共通の決まりを設けて共通点を増やすことで、仲間意識や安心感を与える。そういった効果も見込まれる。同じ規則に従う者という雰囲気が、一つの関わり方を生む。しかし逆に言えば、その規則に従わず奇抜なことを行う生徒がいた場合、……集団は数の利をもって異物を排除しようと考えるだろう。
そんな傷つくことが分かりきっている道に始めから足を突っ込むような真似はしてほしくない。そういう心配と少しの打算を含んだ問いかけだった。
中学を上がったばかりの彼にするには少し難しい話だ。もしかしたら伝わらないかもしれない。
そう思いもしたが、彼はすぐに私の言葉の意味を察して、そして―――笑った。
「優しいですね、先生は。心配してくれてありがとうございます。でも俺は――」
そこから一瞬、熱を帯びたようにぐっと見開かれた彼の瞳が、何よりも尊いものに見えた。
「――俺の一番は、どんなときも変わらないので」
私は彼が分からなかった。
*
「今日から一年間、このクラスの担任を務めることになった安桜一美だ。不甲斐ない部分も多いと思うが、どうか君たちの成長を見届けさせてもらいたい」
受け持つクラスの挨拶は最初が肝心だ。彼らに頼りたいと思える大人の印象を抱かせることが、彼らの成長を支える存在として在るためには不可欠であり、この最初に彼らが私に対して抱く印象がそれを決める。
出だしは好調。
平年通りの自己紹介を終え、それぞれ生徒たちの自己紹介に移る。とは言ってももう大方名前は把握しているため、顔と名前を一致させる作業だ。
それぞれがそれぞれの個性に溢れる自己紹介だ。ある者は趣味を、ある者は出身中学を、またある者は入部予定の部を語った。みんな不安や緊張を孕んだ表情ではあったけれど、それでもどの生徒の瞳にも希望の色は確かにあった。
――そして、彼の番が来た。
「一色薫です。よろしく」
『…………』
教室の誰よりも目立つ真っ赤な髪のくせに、誰よりも薄い自己紹介。
そして周囲の反応は見るまでもなく、先ほどまで賑やかだった教室は波が引いたように静寂に包まれた。
「……トイレ行ってきます」
そんな教室の空気を察して、彼はすぐに立ち上がって廊下に出た。
彼のいなくなった教室はさっきまでの静寂を忘れて、またざわざわと賑やかしく、楽し気なものへと変わる。彼の存在など始めからなかったように、空気が上書きされる。
楽し気な話題と不良のような外見をした彼に対する微かな嘲笑。
自分たちの在り方が善であり、彼のような異端な振る舞いこそが悪である。そういう、一致団結した冷たい空気に教室の誰もが己を溶かして、その流れに身を任せる。
そんな生徒たちを眺めながら、ぽっかりと空いた彼の席を眺めながら、心中思う。
……まったく、本当に退屈しないな。




