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世界の色は一つでいい  作者: oqutopus
1章 世界の色は一つでいい
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いつかその色を受け入れられる日がきても

『もうやだよ……っ! 学校なんて行きたくない! 誰にも会いたくない……っ‼』


 二年前。桃華は帰ってくるなりそう言ったきり、自分の部屋から出てこなくなった。

 それまでもちょくちょく体調を崩したからと学校を休むことはあったが、その日はどこか違っていた。


 その日の一週間ほど前、俺達の両親が離婚した。

 もともと放任主義の家で、関わることの少なかった俺にとって、それはべつに驚くことではなかった。

 しかし、桃華にとってはそうではなかった。


 昔から笑顔を絶やさない子だった。


『お兄ちゃん! 今日ね、夏帆ちゃんが私の髪、可愛いって言ってくれたんだ! 他のみんなもきれいだって。えへへ、お兄ちゃんもそう思う?』


『お兄ちゃん、明後日の参観日、お母さん来てくれるかな? お仕事忙しいって言ってたし、……わがまま言っちゃだめだよね?』


 幼い桃華は天真爛漫。誰とでも物怖じせずに話ができ、その笑顔はたくさんの人を笑顔にした。

 ……今思えば、いつからかあれは俺たち家族に心配をかけないようにと無理に作った、偽物の笑顔になっていたのかもしれない。それに俺たちは安心した気になって、知った気になって。その心の奥を、覗こうとはしなかった。救いの手を、助けを、何一つ差し伸べようとはしなかった。

 知らなかった? 気づかなかった?

 ……関係ない。結局、俺は加害者達と何も変わらない。



「おはよ、お兄ちゃん! もう朝だよ~」


 微睡みのなか、ふとまぶたをこじ開けた瞬間、桃華のご機嫌スマイルが目に飛び込んできた。


「あれ? どうしたの、お兄ちゃん。泣いてるの?」


 ぐいっと顔を近づけられる。瞳を覗き込まれ、視線が重なる。


「っ……いや、なんでもないんだ。おはよう桃華」


 彼女の瞳に映った自分の姿を見て、あわてて俺はその場を取り繕いつつ、顔を逸らしてさりげなく涙を拭う。


「そう? ふふっ、おはようお兄ちゃん! 朝ごはんできてるよ」


 不思議そうに首を傾げる桃華だが、すぐにニッコリと笑顔を浮かべると、ベッドから下りて上機嫌に言う。

 あの頃と変わらない、天真爛漫な笑み。


 その笑顔は果たして本物なのだろうか?

 俺は彼女を、心から笑顔に出来ているのだろうか?


 ――どうしたの? 


 黙り込む俺を心配気に見つめる桃華。

 それに俺は大丈夫だと伝えつつ、


「朝ごはんだな。分かった、すぐに行く」

「うん、今日のお味噌汁は自信作なんだ!」


 先行っとくねー。


 くるりと身をひるがえして、ドアノブに手をかける桃華。その拍子に純白の髪がさらりと揺れた。その奥にちらりと見えた笑顔は見とれてしまうほど美しく、まるで天使のようだ。


 ――桃の華と書いて桃華(とうか)


 ふいに、ふと幼い頃、桃華が生まれて間もなくの頃の、母との会話が脳裏をよぎった。

 もうずいぶんと色あせた記憶。

 気持ちのいい春の日のことだ。桃華が生まれて、忙しくてなかなか構ってもらえなかった俺は、わがままを言って久しぶりに母に近くの公園に連れてきてもらっていた。

 ベビーカーを押す母の前をご機嫌な様子で、下手くそな歌を歌って歩く幼い俺。

 ジャングルジムにブランコにシーソー、砂場やトランポリン。楽しくて楽しくて、何よりも今日は母が見ていてくれる。それが何故だかすごく嬉しくて。その喜びを体中で表現するようにあっちこっち走り回って。疲れて母の下に帰って来たときには、疲れ切って眠ってしまっていた。


『ねえ薫、桃の花言葉を知っているかしら?』

「……んん……もも?」


 ベンチに座る母に膝枕されたまま眠たそうに目をこすりながら、でも今眠ってしまうのは凄くもったいない気がして、幼い俺は必死にその温かい声に返事を返す。


『ふふ、……正解は、貴方(あなた)(とりこ)。この子の名前の由来なの』


 ベビーカーの中。気持ちよさそうにスース―と眠る桃華を見守りながら、優しく頭を撫でられる。

 少しだけ外に反った小指。冷え性気味のひんやりとした感触。前髪の近くを撫でられると自然と目を閉じてしまい、おでこに触れる母の手は心地よく、幼い俺の意識は母の話を子守歌にだんだんと遠のいていく。


『あら、眠っちゃったかしら? ……ふふ、いつもは手のかかる子だけど、こうしておとなしく眠ってしまうと、可愛らしいけれど少し寂しいわね』


 ――ねえ、薫。


 どこからか聞こえる温かい声。


『あなたはお兄ちゃんだから、この子のことを守ってあげてね。……ほら、とっても可愛いでしょう?』


 おでこに触れた柔らかい感触。

 もう夢かどうかの区別もつかなかったけれど、俺はきっとその言葉を忘れないだろうと思った。



 ――おーい、おにいちゃ~ん!

「っ!」


 もう一度俺を呼ぶ声が聞こえ、俺は現実に引き戻される。


 ……自分はいなくなったくせに。


 そんな恨み言を言ってやりたい気分だったが、無いものは無い。今さらそんなことを言ったところで、何も変わらない。

 それに、母に桃華を任せろと言ったのは他でもないこの俺だ。無責任な両親に腹を立てたこともあるが、それでも育ててもらったことには感謝している。幸せを願わない理由にはならない。二人の幸せを心から願っている。

 ……だからこそ、俺がその面影に縋ることは許されない。俺自身が、それを許さない。


「どうしたの?」


 自信作だという味噌汁を俺の前に置きながら、すっと俺の瞳を覗き込んでくる桃華。

 青々とした紺碧の瞳は海原の様に美しく、いつまでも見ていたいと思えるほどに惹きつけられる。


 ――果たして、


 俺を虜にして止まない桃の花言葉を持つ純白の少女。

 俺が愛してやまないその色を、きっと彼女自身が嫌っている。


 いつか、彼女がその色を受け入れられる日が来るだろうか。


 俺たちを魅了したそれを、俺を魅了し続けるその色を、彼女自身が愛せる日はあるのだろうか。

 もしかしたら、そんな未来を桃華は望んでいないのかもしれないけれど、何よりも俺が、それを望んでいる。


「……いや、何でもない」


 だから、俺は愛し続けようと思う。

 いつか桃華がその色を受け入れられる日が来たとき、それが間違いではないのだと伝えられるように。


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