エピローグ 『最期まで、その純度は変わらない』
夢を見ていた。
悲しい夢だった。誰もが大切な人の幸せを願っているだけなのに、いつも最後は涙で終わった。
『ヒーローにはなれたかい?』
ふいに後ろから声がした。
振り返ると、目の前に俺と同じ顔をした男が立っていた。真っ赤な髪の、目つきの悪い男だ。
「ここはどこだ? 俺は死んだのか? お前は誰だ?」
疑問が追い付かない。何もない真っ白な空間。現実味のないこの場所は、天国と言われればなるほどなと思える。
『おや、覚えていないかい? 君が幼い頃、一度こうして話しかけたじゃないか』
俺の顔でそんな気持ちの悪い喋り方はやめてほしいところだが、その気持ちの悪い喋り方のおかげで思い出した。
「あの時の似非神様か。てことは、やっぱり俺は死んだんだな」
まあ、そんな気はしていた。死んだからだろうか。思いのほか冷静に受け入れられた。
『驚かないんだね。……君は、ヒーローにはなれたかい?』
「っ……」
言われて言葉に詰まった。さっきと同じ問いかけだ。さっきあえて聞こえなかったふりをして、目を背けた問いかけだ。
『見てみるかい?』
「っ!」
そう言ってそいつはパチンと指を鳴らした。瞬間、ぐらりと視界が揺れて、俺はあの時の交差点にいた。
「一色くんっ! 一色くんっ!」
倒れて動かない俺に、古谷が何度も何度も呼びかけていた。下手くそな心臓マッサージを繰り返して、ためらいもなく人工呼吸をする。
救急車が到着して、俺の状態を確認した救急隊員が沈痛な表情で心臓マッサージを止めるように言った。それを聞いて、それでも古谷は決してやめようとはしなかった。突き飛ばされて擦りむいた膝や肘の怪我も気にせず、いつまでも、力づくで止められるまで、彼女は決して俺から離れようとはしなかった。
『これが君の最後だ』
「っ」
またそいつがパチンと指を鳴らすと、今度は葬式場にいた。俺の葬式だった。
あの日の様に泣き続ける桃華の隣で、随分やつれた顔をした両親が何度も謝っていた。それを見て、そういえば二人に最後に会ったのはいつだっただろうかとふと思った。
クラスメイト達も参列してくれていた。最近になって打ち解けたばかりだというのに、皆の目には涙が浮かんでいた。ほとんどの奴に、棺に向かってごめんねや悪かったと言われた。なぜ謝られたのか分からなかった。
菜月と天ノ目は桃華の背中を撫でながら、悲しみを堪えるようにしてじっと俺の遺影を見つめていた。俺の遺影は以前、京都で天ノ目が勝手に撮った、きもちの悪いやつだった。もう少しマシなものを選んでくれても良かったのになと、場違いな感想が浮かんだ。
古谷は葬式の間、ずっと「ごめんなさいっ。ごめんなさいっ」と呟いていた。菜月や俺の両親に、何度も謝っていた。
「っ……なんっ――」
『ヒーローには、なれたかい?』
そんな古谷にたまらず声をかけようとしたところで、またパチンと指が鳴らされ、パッとまた何もない部屋に戻っていた。
『これが君の、あの日選んだ結末だ。優しいというのは、こういうことだよ』
諭すように、嘆くように、俺の顔をしたそいつは言った。
「俺は……っ、俺は、」
『君は妹を守れなかった。家族を繋げなかった。幼馴染の気持ちを無視し続けて、残酷な運命を背負う友人との約束さえ守り抜けず、文字通り、命を投げ出して助けたはずのクラスメイトに、拭いきれない罪の意識を植え付けた。……それが君の、なりたかったものなのかい?』
「っ……違う! 俺は知っている。俺の弱さも無力さも! 俺はヒーローなんかじゃっ」
『それでも、君はあの時たしかに選んだ。……だから、今度はもう間違えないでね』
「っ……!」
ふっと、男の声音が優しくなった。そして言った。
あの時のやり直しをするように。
『富・名声・力。 この中のどれか一つを君に与えると言ったら、君は何を望む?』
「……それは、新しい人生での選択か?」
『もちろん。始まりがあれば終わりがある。終わりがあれば始まりがある。でも、一度始めたものを、終わったものを。振り返ってやり直すことはできないんだよ』
「………」
なんとも魅力的な提案だ。俺の人生は確かに失敗だった。金も力も何も持たない俺は、誰一人守れなかった。誰も幸せに出来なかった。
もしその中のどれか一つでも選んでしまえば、きっと物語の主人公のような、誰も泣かせない理想のヒーローになれるだろう。
――だから、
「なら……いらない。与えられるだけの力に、意味なんてない」
俺は答えた。幼い頃と同じように。一度だって、そんなものに憧れたわけではないのだと。
『……本当に、それでいいのかい?』
「俺は平凡で構わない。金も人気も力も、特別なものは何もいらない。次の人生もいらない。っ……それでもっ。それでも俺は、あいつらと笑って過ごせる日常が欲しい……っ」
死んだのだから、強がっても仕方ない。湧き上がる感情の正体も分からないまま、声をしゃくって本心を告げた。すると、そいつは笑って、
『ふふ、やっと素直になったね。――よかろう。その願い叶えるよ』
「え……」
男は俺そっくりの顔に深い深い微笑みを張り付けて、まるで世界の理さえ容易に捻じ曲げてしまえるような、慈愛に満ちた声で高らかに言った。
『あの日あの時あの場所で、君は古谷友美を助けなかった。そう上書きをしよう。無限の悪夢を夢幻に変えて、この悲しみに彩られた結末を喜劇にしよう!』
………え? それは、つまり古谷を――……
「――っ! やめろっ!」
その言葉の意味を理解した瞬間、俺は全力で叫んでいた。
『? なぜだい? こんな結末は誰も望んでいない。君の願いは、あのクリスマスからも続いていくはずだった普通の日常だろ――ッ』
それ以上の言葉を遮るように、首を傾げる男……いや神を、俺はぶん殴った。
『いた……くはないけど実体はないから。……どういうことだい?』
「たしかにそれは一つの救いだ。けど、……悪いが、俺は死んでもリセットボタンは押さないと決めている」
俺の人生は後悔ばかりで、何度もやり直したいと思った。そして、その度に言い聞かせて来た。一度でもやり直してしまえば、それはもう本物ではないのだと。
それにたとえ何物であったとしても、それを選ぶくらいなら、俺はもう一度車に突っ込む選択をする。古谷を見捨てて訪れる偽物の日常なんて、それこそ誰も望まない。
だから俺はきっぱりと答えた。一瞬でもそんな偽物に心惹かれた、弱い自分を殺すように。
「あの日の選択に、後悔はない!」
――だから古谷友美に罪はない。そう、この世界に宣言する。
これからいくら古谷が自分を責めようと、この言葉がある限り、真実は一つだ。
俺の意志で俺は死んだ。だから古谷は関係ない。
真偽に関係なく、この事実は揺るがない。
『………』
「……それに、」
そう言って、俺はぐっと菜月や天ノ目の顔を思い浮かべた。すると数舜のぐらつくような感覚の後、二人が海岸で話している場所にいた。
――一緒に、幸せになろうよ!
………。
その光景を見て、思わず頬が緩んだ。その拍子にツウっと緩んだ頬を雫が伝った。
「今、あいつらは始めたんだ。俺はもう過去だ。あいつらなら、俺なんかがいなくてもきっと乗り越えていける」
もし……だ。もしも誰かが死を選ぶような決断をしていたら、俺の選択は違ったかもしれない。けど、信じてよかった。あいつらなら、どんな悲しみにだってきっと負けない。
っ……いや、それは傲慢だ。そもそも、俺の生死一つになぜ、そこまでの価値があると思いあがっているのだ。何も守れなかった。救えなかった。そんなお前に、何で――……
――……ッ!
「……俺の幸せを、願ってくれていたのか……?」
思い至った思考を言葉にした瞬間、喉が震えた。生まれて初めての価値観だった。
俺だったのだ。俺自身が、俺のことを蔑ろにしていたから、みんなはいつも泣いていた。大切な存在が、いつも傷つけられていたから。他でもない、俺自身の手によって。
『……やっと気づいたみたいだね。そうさ、君は間違っていた。誰も傷つけないと言った誰もの中に、君自身は入っていなかったから。君の痛みを背負う優しさは、本当に大切な人ほど傷つけてしまうんだ』
「お前……」
『君ならその選択をしてくれると、僕も信じていたよ。本当のことを言うと、現実を変えるなんてことは僕にはできない。どんな悲劇や理不尽も見守ることしかできない僕には、富も力も名声も、幸せだって与えることはできないんだ』
「……なら、お前は何のために」
俺の問いかけに、そいつは答えた。慈愛という言葉が何よりも似あう瞳で。
『ただ、知っておいて欲しかったんだ。誰よりも優しい君が、誰よりも悲しみに満ちた生を歩むことは始めから分かっていた。そして、それでも君は、彼女たちの本当の願いに気づけないまま死んでしまうことも分かっていた』
何もない空間で、徐々に俺たちの身体は透けていく。終わりが近いのだろう。
『だから、最後に君にどうしても気づいてほしかった。君は――』
ぎゅっと、抱きしめられた。そいつの顔が俺じゃなくて、桃華や菜月や天ノ目や、古谷、美華さん、先生、父、母、クラスメイト達………様々な温かさに包まれる。
「っ」
『君は誰よりも優しい理想のヒーローだった。そんな君が、皆は大好きだった。だけど、皆は君に幸せになってほしかったんだ。強くなくていいし、優しくなくていいから、君に傷ついてほしくなかったんだよ』
「……ああ。今やっと、分かったところだ」
死んで初めて気づくなんて、流石は俺だな。
きっと、優しさっていうのは一つじゃなくて。幸せを願い、一緒にその痛みや苦しみを乗り越えていける。そんな―――菜月みたいな優しいヒーローに、俺はなりたかったんだ。
片頬引き攣らせていつものように笑って見せると、残りの涙がこぼれて枯れた。
ぼんやりと視界が薄らいできて、身体がふわふわとした感覚に包まれる。
もう、俺の人生の反省タイムも終いだろう。補習が入るような不出来な生徒で申し訳ない。
「なあ、一つ聞いてもいいか?」
『ん?』
だから、俺は最期に聞いておこうと思った。俺とよく似たそいつに。
「何で、お前は俺をそんなに気にかけてくれたんだ?」
すると、そいつはふっと笑って――
『――優しくて不器用な君が、少しだけ僕に似ていたから、かな』




