いつか終わりがあるのなら(3)
『今夜は全国的に冷え込みが厳しくなり、地域によってはホワイトクリスマスとなるでしょう。美しい雪景色を楽しむ一方で、道路の凍結や積雪が予想されるため――』
桃華を送り出して、ソファーでしばらくぼーっと天気予報を眺めていたら、いつの間にか時計は十八時を回っていた。
そろそろ料理の下処理に取り掛かるかと思ったところで、そういえばケーキやお菓子の類を何も用意していないことに気づいた。菜月と天ノ目は一旦、天ノ目の家で落ち合った後、二人で食材を買ってから来るらしい。ついでに頼もうかと思ったが、任せろと言った手前、やはり自分で行くのが筋だろう。
街に出て辺りを見回すと、そこはもう俺の知らない世界だった。聖なる夜とはよく言ったもので、イルミネーションに彩られた街の中、しんしんと降り積もる雪がライトを反射して輝く光景は凄く神秘的で、まるで神の奇跡を見ているような夜だ。
「メリークリスマース。クリスマスケーキ売ってまーす」
「……小さいの二つ。ショートケーキの丸いのと、これ」
「モンブランですねえ。少々お待ちください」
髪を黒に戻した辺りから、店員に怯えられることも少なくなった。変に距離を取って歩かれたり、顔を逸らしてひそひそされたり。そういうことも減った。おかしな話だ。たかだか髪の色一つで。いや、その髪の色一つで、桃華は二年も苦しんだんだ。
……二年?
「……そうか。たった二年だったんだな」
「あら、一色くんじゃない?」
ケーキを受け取って家に帰ろうと歩き始めたところで、知っている声に引き留められた。
「古谷か。お前もクリスマスの買い出しか?」
「ええまあ。家族で毎年やってるから」
「そうか」
それは何とも羨ましい話だな。
「あなたは……って、聞かなくても分かるわね。あんたのおかげで菜月とパーティー出来なかったんだから」
「うっ……悪い。来るか?」
「冗談。……覚悟決めたんでしょう? シャキッとしなさい。言っとくけど、私の親友を泣かせたら許さないわよ?」
パンと背中を叩かれる。
「……ま、もしもの時は私が全力で励ましてあげるわ」
そう言って古谷は笑った。
しばらくして、交差点に差し掛かった。俺はそのまま真っすぐ進もうと正面の信号に並んで、古谷は右に曲がるためそちらの信号に並んだ。
「では、また」
「ああ。じゃあな」
信号待ちしながら、冬だしケーキ冷やすやつは頼まなくて良かったよな、なんてどうでもいいことを考えていると、ふいに足元から子供の笑い声が聞こえた。
「ジングルベール、ジングルベール♪」
無邪気な声に思わず頬が緩む。
こんな雪の中を一人で。滑って転んでも知らないぞ。
「おい――」
楽し気なところ申し訳ないが、一つ窘めておこうと声をかけようとして、
――始まりがあれば終わりがある。
「危ないっ!」
ふいに脳裏をよぎった言葉を気に留める暇もなく、全力で叫んだ。声よりも先に身体が動いていた。
よほど浮かれていたのだろう。信号が赤だというのに、その少年は横断歩道へ足を踏み出していた。人通りの少ない交差点。しかし、運悪く左折してきたトラックが、子供に気づかないまま速度を上げ、スピードに乗り始めていた。
足音も意識も追いつかないほどの勢いで駆け出し、少年の腕をつかんだ。そのまま抱きかかえるようにして路肩へ転がる。ゴツゴツとしたアスファルトの衝撃が、転がるたびに全身へ響いた。ふと目を開けると、顔の僅か十センチ先を、耳を裂くような轟音とともにトラックのタイヤが通り過ぎた。アスファルトを削る音が頭にこびりつき、風圧が頬を叩く。恐怖で滲んだ涙が、その風で乾いて消えた。
「ハアッ…ハアッ……っ。バカ! あっぶねえだろ!」
「っ! ……ひっ、ひぐっ……うわぁぁん! ごめんなさいっ……! こわかった、こわかったよぉ……!」
「っ……たく」
そんな風に泣かれてしまっては、それ以上何も言えなかった。恐怖で泣きじゃくる子供の頭を撫でていたら、いつの間にかさっきまでの恐怖が消えていた。
「ちょっと大丈夫!」
路肩に転がる俺達に、酷く慌てた様子の古谷が駆け寄ってくる。
「ああ。少し擦りむいたくらいだ。着込んどいて助かったな」
見たところ、少年の身体にも傷のようなものは無い。
駆け寄って来たトラックの運転手に少年と一緒に謝って、通行人たちを見世物じゃねえぞと追っ払った。
念のため一緒に横断歩道を渡り切ったあと、情けない顔をしたガキにポケットに入っていたアメ(黒糖飴だ)を渡し、彼と別れた。
「……ハア。久しぶりに死んだかと思ったな」
本当にさっきのは危機一髪だった。俺の『人生危機一髪ランキング TOP5』中、5にランクインだな。
「ふざけないで……っ!」
少年の背中を見送って、軽い調子で言った俺に、古谷が目を真っ赤にして叫んだ。
「あなたっ…今、……分かってるの⁉」
駄々をこねる子供みたいに、いやいやと首を振って詰め寄って来る古谷。
「いや、でも今のはああしなかったら、あのガキは」
「分かってるわよ! 分かってるけど……っ。死んじゃってたかもしれないのよ⁉ 見ず知らずの子供のために、あなたが!」
「古谷……」
ずっと堪えていてくれたのだろう。抑えていた感情が堰を切ったようにあふれ出る。
「まあ、そうかもしれないが、結果的にどうにかなっただろ? それに、俺なんて」
「やめてっ!」
ついいつもの癖で言いかけた言葉は、古谷の絞り出すような悲痛な叫びに遮られた。
「聞きたくない! もううんざりなのよ! あなたがあなたのことをどう思おうと勝手だけど、あなたを本気で心配している人がいることにもいい加減気づくべきだわ!」
激情をぶつけられる。本気で言ってくれているのだと分かった。
「それにっ……あなたがいなくなったら、菜月はどうなるのよっ⁉ 天ノ目さんや桃華さんは⁉ あなたのいない世界で、どうやってあの子たちは生きていくのよ!」
「っ」
泣きじゃくる古谷の顔が、三人の女の子と重なった。もしあいつらの前で同じことをしていたら、こんな風に泣かせてしまっていただろうか。そんな顔をさせたくないのに。いつだって笑っていて欲しいのに。何で俺には、それができないのだろう。
「わ、わるい。……まあ、次からは気を付け――」
不幸とは畳みかけてくるものだ。そんなことはもう二年前から分かっていた。
一瞬前に死にかけたからだろうか。降りかかる危機に対して敏感になっていた。
「古谷!」
全力で突き飛ばした。怪我をさせてしまうなんて考えている余裕もなかった。
『道路の凍結や積雪が予想されるため――』
迫りくる黒のミニバン。金縛りにでもあったみたいに、身体はその場から動かない。ふと家を出る前に観た天気予報が脳裏をよぎった。……ったく、こんな時に限って的中とはな。
「――え?」
ドンッ!
体の芯に響く衝撃とともに一瞬の浮遊感に身を包まれた。痛みを感じる暇もなく、ただその衝撃と軽い物が吹き飛ばされる音だけが耳に残った。
目の前で起きた状況が理解できず、突き飛ばされて転んだままの古谷。その悲しみに染まった表情を見て、俺も今自分の身に起きた状況を理解した。
死にかけているくせに、不思議なほど頭はクリアだった。走馬灯とでも言うのだろうか。今までの失敗や挫折や後悔が……どうしようもない人生だな。
ああ、こんなところで俺は死ぬのか。
二人に向き合う勇気を持てて、クラスメイト達と打ち解けられて、これからってときに。
ああでも、
『桃華を幸せにする』
その誓いだけは、どうにか果たせそうだ。俺がいなくなっても、きっとあの二人が――
「――一色くん!」
後は頼んだ。
人生最後に見たのが泣き顔だなんて、我ながら実に俺らしい締めくくりだ。




