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世界の色は一つでいい  作者: oqutopus
1章 世界の色は一つでいい
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隣人の役目(1)

「そう。紗月ちゃんは君に話したのね」


 天ノ目のお姉さん――美華(はるか)さんはそう言って、向かい合う俺に微笑を返した。

 嘘を吐いてしまった。俺は今日、中村先生と面談があると嘘を吐いて菜月と天ノ目に桃華のことを頼んで、こうして天ノ目の家を訪れている。


「話したのは病気のことだけ? 他に何か言ってた?」

「いえ、月影症という病気のこと以外は特に聞いていません。今日はそれを伺いたくて」


 天ノ目に聞けば教えてくれるかもしれない。けれど、あれ以来妙に気を遣ってしまって話しかけづらく、今日も少し躊躇いながら桃華のことを頼んだ。


「……こんなこと言うのは失礼かもしれないけど、私は紗月ちゃんほど君のことを知らないから、完全に信用しているわけじゃない。それは分かってる?」

「はい。俺も、俺が信用してもらえるような器じゃないことは十分自覚しています」

「いや、そこまでは言ってないけど。単純に一回しか話したことないってだけだから」


 少しだけ空気が和んだような気がする。以前話したときと同じ親しみやすい口調だが、あの時とは違い、美華さんの目に冗談の色はない。


「それでも紗月ちゃんが君を信頼して話したのなら、ここから先の話を聞く資格が君にはある。でも忘れないでね。どれだけ君が紗月ちゃんにとって大事な子でも、万が一にもあの子を傷つけるようなら――」

「っ」


 ――私は君を許さない。


 息ができないほど真剣なその目を見て、この人は俺と同じだと思った。俺が桃華を想っているように、この人も天ノ目のことを何よりも大切に想っている。

 だから俺も、精いっぱい誠意を込めて頷いた。



 *



「ちょっと想像しにくいかもしれないけど。子供の頃の紗月ちゃんは今みたいに聞き分けが良くなくて、結構わんぱくな子だった。いつもわがままばかり言って、お母さんやお父さんを困らせてて、それは中学生になってもあんまり変わらなかった」

「あいつがですか? それは、確かに想像できませんね」

「ふふ、そうかもね。……あの日も、そんな何でもない日常の一つだった。私とあの子は六つ年が離れているんだけど、その日は私の二十歳の誕生日だった」


 ゆっくりと落ち着いて、あるいは自分を落ち着かせながら話す美華さんは、まるで昔を懐かしむと同時に、その記憶が呼び起こす疼痛(とうつう)に耐えているようだった。


「あの子は私にサプライズを仕掛けようとして、お父さんに頼んでこっそり、お店を予約していたの。……まあ、二人とも本当に不器用だから、私はすぐに気づいてしまったけど」


 美華さんの目が一瞬、遠くを見るように揺れた。まるでその瞬間だけ過去に戻ったかのような、柔らかな表情が一瞬浮かんだ。しかしすぐにそれは消え、目の奥に沈黙の重みが戻る。


「でも、当日になって突然、雪が降った。お店は営業していたけど、雪が想像以上に積もってて……危ないから今年は諦めて家で祝おうって話になったらしいの。私はそれを知らされていなくて、大学が終わったら駅で待つように言われていたから、その時は駅にいたけど。雪が降っていることは知ってた。でも、まさかあんなことになるなんて思わなかった……っ」


 美華さんはそこで言葉を詰まらせ、しばらく黙って目を伏せた。息が詰まるように、その苦しみを堪えているようだった。


「だから、止められなかった。何もできなかったんだ……っ」


 過去を悔いるように唇を噛み締める美華さん。身を抱くようにして震えを堪えるその姿を見て、心の中に浮かぶ痛みの深さを知った。


「結局、どうしてもそのお店じゃなきゃいけないって言う紗月ちゃんのわがままを聞いて、三人で私を迎えに来ようとしてたの」

「っ……まさか」

「その道中、信号待ちしていた交差点で、スリップしてきた車に激突されてっ」

「っ!」

「運転席と助手席に乗っていた父と母はその事故で亡くなった。幸い、後部座席に乗っていた紗月ちゃんは怪我だけで済んだけど、その後が問題だった。病院で目覚めた紗月ちゃんは事故のことを聞かされて、それで――」


 それ以上の言葉が出てこず、美華さんは再度言葉を詰まらせた。


「自分があの時わがままを言わなければ。……体の傷は消えても、そういう思いがどうしても消えることはなくて。それが積もり積もってある時、風邪を引いたの。普通の風邪だった。けど、一週間経っても良くならなくて。……熱が引いてきた頃、不思議とあの子の瞳が陰っているように見えた。あの頃は少し何かあっただけでも怖くて、気になって病院で診てもらった。きっと気のせいだろうって思ってたけど、いきなり検査が必要だと言われて――」


 月影症と診断され、その過酷な運命を告げられた彼女は心を乱し、そんな彼女を支えるために美華さんは大学を辞めてリモートで働ける企業に就職し、悲しみから逃れるようにこの町に越してきたのだと、絞り出すように語った。


 美華さんの話を聞き終えてしばらくの静寂の後、美華さんは俺の目を見て言った。


「……薫くん。君はあの時ただのクラスメイトって言ったけど、病気のことや慣れない土地で不安だったあの子を助けてくれたあなたには、すごく感謝してるの。最近は君たちのおかげで笑顔も増えて来て。君たちのことを、いつも楽しそうに話してくれる」

「そんな。……俺の方が、あいつには助けられているし、感謝しています」

「もしっ、もしそう思ってくれるなら、どうか学校や外で、あの子の傍にいてあげてほしい。この一年で、あの子の病気は更に進行してしまった。このままだと、そう遠くないうちに、あの子は完全に目が見えなくなってしまう。もう時間がない。私の手の届かないところであの子に何かあったらと思うと……っ」


 美華さんの声は切なげで、今にも泣きだしてしまいそうな脆さがあった。おそらく、初めて会った日の美華さんのあの探るような視線は、その相手を探していたのだ。学校や外で、自分の代わりに天ノ目の傍にいてくれる存在を見極めていた。


「あれ以来、あの子は私に一度だってわがままを言ったことがない。私じゃ、あの子を救えないっ。幸せに出来ない……っ」


 美華さんが泣いている姿なんて、初めて会った日には想像もしなかった。

 何度も何度も、きっとこの人は自分を責め続けて来たのだろう。天ノ目のために大学を辞めて、自分の将来まで曲げてこの町に越してきた。それでも、あいつの病気は決して治ることはない。彼女が何を犠牲にしても、その残酷な運命は変えられない。ただ幸せになってほしいだけなのに。いつも世界は理不尽に、()()()から大切なものを奪っていく。


 痛いほど彼女の気持ちが分かった。

 この人は姉で、俺は兄。互いに大切な妹を持ちながら、それを守れなかった者同士。


 俺は俺の弱さを知っている。俺は妹一人守れなかった最低な人間だ。もう二度と繰り返さないように、桃華だけを見ていくと誓った。……けれど、大切な妹を理不尽な世界に弄ばれた、憎しみにも似た彼女の怒りを、俺は知っている。

 無力な自分に苛立ち、失望し、吐きそうになって駆けこんだトイレで、歯を食いしばって涙を流した夜を、俺は知っている。


「任せて下さい。……あいつの世話を焼くのは、隣の席の特権ですから」


 姉の心が分かるのは兄だけだと思うから。この選択に、迷いなどなかった。



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