修学旅行 二日目(4)
「――ごめんなさい。……わたし、他に好きな人いるんだ」
遠くて、何と答えたのかはよく聞き取れなかった。
けれどその後の二人の様子から、きっと菜月が断ったんだろうってことは分かった。
「断ったのか。もったいない気もするが、まあそれもあいつの勝手だからな」
まるで他人事のように言って、帰って来る菜月に手を挙げる一色君。その様子から、本当に気にしていないのだと分かった。
あの遊園地の一件で、彼は優しい人だと知った。優しいけれど不器用な人で、桃華さんのことを何よりも大切に想っているのだと分かったつもりだった。
けれど、今日彼を見ていて本当の意味で理解した。
彼は凄く優しいけれど、凄く残酷な人だった。
一色君にとってはどんなときも桃華さんが一番で、それ以外は菜月や天ノ目さんですら二の次なのだ。
私は勘違いしていた。
彼は本当に気づいていないのだ。分からないのだ。
あれほど分かりやすい菜月からの好意に。天ノ目さんの気持ちに。
優しいくせに。困っていれば助けるくせに。
一色薫は誰の気持ちにも気づかない。彼にとっては桃華さんが世界のすべてで、彼女の幸せだけを願って生きているから。
鈍感だとか天然だとか、そんなんじゃなくて。彼の見ている世界には、そもそも桃華さん以外の誰かの気持ちなんて始めから存在しない。
それは優しさという皮を被った―――……暴力だ。
**
「ふうー……きもちいーねえ」
「……そうね。何も考えたくなくなるわ」
ホテルの露天風呂。他に人がいなかったから調子に乗って足を広げて脱力する私に、トモちゃんは注意することなく同意してくれた。いつもならはしたないからやめなさいと言って怒られるのに。気を遣ってくれたのかな? それにしても……うーむ、やっぱり美少女とお風呂に入るのはたまりませんね~。
しばらくお互い無言で温泉を楽しんだ私たち。それから少しして、トモちゃんは緩んでいた頬を引き締めて、珍しく気を遣うように何か考えるような仕草をして、言った。
「ねえ、……その、今日は悪かったわね。覗き見みたいなことしちゃって」
「あー、私は全然かまわないけど、彼には悪いことしちゃったね。フラれたとこ見られたわけだし」
「うっ……ごめんなさい」
言うと、トモちゃんは申し訳なさそうな何とも言えない表情でもう一度謝った。
「まあ、薫ちゃんとかまったく気にしてなくて、隠れてすらいなかったから今更だよ」
私がそう答えると、トモちゃんは少し心配そうに、
「あんた、大丈夫? ……その、」
それきり、視線をあっちこっちさまよわせて、濡れた髪の毛の先をにぎにぎするトモちゃん。そんなトモちゃんの様子から、なぜそんな心配をしてくれているのか分かった。
ああ、きっと今日のことで、トモちゃんも気づいたんだね。
薫ちゃんは凄く優しい。けど、誰の心にも気づけない。
だって彼には人の痛みしか見えていないから。
悪意と痛みに敏感で、どれだけ些細な苦しみにだって手を伸ばせる彼だけど、それは誰よりも痛みを知っているから。
知っている感情だから気づけるの。
誰よりも優しいくせに、あったかいくせに、薫ちゃんは自分に向けられる心を知らない。……知らないっていうか、いつからかモモちゃんの心しか見なくなった。
だからどれだけ願っても、今の彼がモモちゃん以外の、私たちの気持ちに気づいてくれることはない。
「あはは、大丈夫だよ。小さい頃からずっとあんな感じだったから、もう慣れちゃった」
「あんた……っ」
私のその答えが意外だったのか、トモちゃんは目を見開いて驚いていた。
「……いいんだ。それに、こういうのは自分の口で言うべきでしょ? 気づかない薫ちゃんが悪いんじゃなくて、伝えない私が悪いんだもん」
そう。もう覚悟は決まってる。
昔願った、笑顔の素敵な女の子にはまだまだ遠いかもしれないけど。桃華ちゃんが兄離れを始めたこれから、薫ちゃんも自分のことを考えないといけなくなってくる。
平凡な日常も変わらない毎日も必要なくなって、薫ちゃんは自分の人生を歩きはじめる。
だから私も彼に好きって伝えて、私の想いに気づいてもらうの。
気づかないなんて言わせない。分からないなんてもう許さない。
「私は明日、薫ちゃんにこの十年分の想いを伝えるんだ!」
決意とともに立ち上がった私は、大好きな友達にありったけの笑顔で笑いかけた。




