遊園地(3)
菜月と知り合う前、中学二年の春。
「大丈夫ですか? ハンカチ、落としましたよ」
街を歩いていた私にそう言ってハンカチを差し出してきた人がいた。
今の私よりいくつか年上の、さらさらした髪の爽やかな青年。
「あ、すみませ……あれ? いえ、それ私のじゃありませんけど」
「え? あっ、すみません。じゃあこれはさっき君の隣を通り過ぎて行った人のものかな」
ポケットのハンカチを確認した私に、男性はちょっとだけ慌てたように言う。
「後で交番に届けておかないと。そういえばこのハンカチ、よく見ると結構上等なものだし、流石にまだ君には早いよね」
周囲からは大人びて見えると言われる私だけど、それでもせいぜい高校生と間違われるくらいだった。
「ごめんね、呼び止めちゃって。急いでたかな?」
男性の声は穏やかで、初対面の相手なのに、話しているとだんだん警戒心が薄れていく。
「いえ、……母に買い物を頼まれていて。遅くなったので近道しようとこの道に入ったんですけど、迷ってしまって」
人通りの少ない小道。同じ道を何度も通って不安になっていたところで声をかけられて、むしろ安心していた。
「そうなんだ。大変だったね。のど渇いてるでしょ? これ、ちょっとぬるくなっちゃったけど」
「あ、ありがとうございます」
心配そうに言って、男性はポケットから紙パックのジュースを取り出し渡してくる。
「家の住所分かる? 僕このあたりの道くわしいから、案内してあげるよ」
そう提案してくれた男性の笑顔に、私はほっと安心していた。やっと帰れると言う安堵と、こんなに優しい人がいるんだという感動。
「ありがとうございます。本当に助かりました」
「いえいえ、僕の方こそ」
「?」
「じゃあこれに住所書いて」
優しい笑顔のはずなのに、一瞬ゾクリと感じた悪寒。きっと気のせいだと思いつつ、私は差し出された紙に家の住所を書いた。
「オッケー。それじゃ行こう――」
「なになに………なんだ、このビルの反対側の通りじゃねえか」
「「っ」」
突然割り込んで来て、男性から住所を書いた紙を奪い取った黒髪の男が、言った。
「な、何だ君は!」
「何だちみはー……ってか? お前に用はねえよ」
「っ」
憤る男性を軽くあしらって、男性と私の間に強引に入ってきたその男は私に向き直った。線の細い男性と違い、背が高く体格のいいその男は、鋭い目つきと真っ黒な髪をしていた。
「っ……な、なんなんですか、あなたはっ」
「なんだお前も好きなのか? なんだっけ? なんだかんだと……いや違うな」
そんなことを言いながら、男は私と男性をじわじわと引き放していく。
「……また妙なことやってるな、俺は。何してるって、あれだ。ナンパだ」
「っ! ふざけてるんですか!」
へらへらといつまでも適当なことばかり宣うその男に叫ぶ。
信じられなかった。あんなに優しい人がいる一方で、こんなに酷い人もいるんだ。
「いい加減にしろ! 警察を」
「呼びたければ呼べばいい。歓迎するぞ。ただその場合、このジュースの中身も調べてもらうことになるだろうな」
男はまだ口を付けていない紙パックのジュースを私の手から奪い取って、言った。
「っ……クソガキが」
男の背が高くて、後ろの男性の顔まで見えない。
男と視線が重なる。目つきの悪い瞳。その奥には、確かな怒りの色が見えた。
「っ…あ…ああっ……」
「……本当に、気持ち悪いな」
恐怖で足がすくんで動けない。そんな私を見て吐き捨てるように言った男は、ぎゅっと私の肩を掴んで、
「うっとうしいんだよ! 二度とここに近づくな!」
「っ!」
その後は、男の声から逃れるように無我夢中で走った。
このビルの反対側の――
幸いにも、男がうっかり漏らしたその言葉が記憶に残っていて、気付いたときには私はいつもの見慣れた通りにいた。




