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世界の色は一つでいい  作者: oqutopus
1章 世界の色は一つでいい
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天ノ目紗月と一色桃華(1)

 菜月が家に来た翌日。俺は暑い日差しに顔をしかめながら、中学の校門を後にした。

 …………。

 中学からの帰りと言うと少し誤解が生じる恐れがあるが、正確には桃華の通うことになっている中学校からの帰りだ。

 家から出られない桃華に代わって、月に数回、俺は桃華の中学の担任と授業進度や今後の進路などについて面談している。担任の中村先生はおっとりとした年配の女性で、俺達の家庭事情や桃華が不登校になってしまった事情などを酌み、いつも親身になって相談に乗ってくれるいい先生だ。

 今回もできる範囲で構わないからと言って渡してくれた桃華のための特別課題は中村先生の手作りで、俺も桃華の勉強をみるときに大変お世話になっている。


『次は緑和公園前、緑和公園前です』


 夏休みだからだろうか。普段より一層混んでいる車内。鞄を前に抱えて吊革にぶら下がっていることしばし。お決まりの車内アナウンスが流れて少しして、バスが停止すると、身体が慣性に従ってぐっと前に引っ張られたため、吊革を握る手に力が入る。


 プシュー


 人が密集した車内は空調が効いていても暑く、また空気も重い。あの独特な音を立てて扉が開いたと同時、俺も周囲の人々と同様、せっせと外の新しい空気を吸い込む。しかし今は夏まっさかり。気休め程度とはいえエアコンが機能している中の方が涼しいのは当然だ。

 暑いからさっさとしまってくれと顔をしかめていると、思いのほかここで降りる人が多いようで、車内の三分の一ほどが下車した。

 人口密度が減って涼しくなった車内。やっとまともに呼吸ができた気がする。

 そして俺はこの砂の代わりに人間の汗が敷き詰められた車内で、オアシスを発見した。空席だ。人が減ったことで座席に余裕ができたため、これ幸いと座らせてもらう。

 学校を出て以来立ちっぱなしだったため、結構な疲労感だ。

 ふと、そんなことを思いながら早く閉まってくれとドアの方を眺めていると、数人が乗車してきた。車内は空いているが座席の空きは微妙で、全員が座れるかはかなり怪しい。

 目を合わせないよう下を向いていると、女性だろうか。彼女は入り口近くに座っていたちょうど俺の前で、吊革につかまって立っている。大袈裟にならない程度に伸びをするふりをして周囲を見回すと、見える範囲の席はすべて埋っていて、車内で立っているのは彼女一人だ。


「……どうぞ」


 すぐに降りるかもしれないが、このまま知らないふりをして座っているのもなんとなく気まずい。どうせあと二駅ほどで最寄りのバス停なので、立っていてもあまり変わらない。


「あ、いえ、大丈夫です。あと二駅なので」


 ありがとうございます。そう言った声にはどこか聞き覚えがあった。というか、つい何日か前まで隣で聞いていた気がする。


「って、……一色さん⁉」


 思い当たる顔が少ないとこういうとき助かるもので、どこか確信を持ちながら顔を上げると、相手も俺に気づき、俺が何か口を開く前にぱっと目を見開いた。



 *



「べつにいいと言ったのに……」


 渋々といった表情で椅子に座わった天ノ目は、吊革にもたれかかる俺に不満げな視線を向けて来る。若干頬を膨らませているのが天然ならば、可愛いことこの上ない仕草だ。


「勇気を振り絞って席を譲ったのに、大丈夫ですとか言われたら、その後けっこう気まずいんだぞ? 生憎と俺はまあいっかなんて割り切れないし、笑い話にできるほど話し相手もいない。いいから黙って座っとけ」


 暑さからか、俺の思考もだいぶ茹っているようで、饒舌にギャグまで言ってしまった。


「え、ええと? わ、分かりました」


 俺のギャグは伝わらなかったようで、天ノ目はどこか怪訝な表情を浮かべつつも、再度礼を言って微かに笑った。明日はきっといい日になる……ことを祈りたいものだな。


「……何の用事だったんだ?」

「えと、……図書館の帰りです」

「そうか、図書館か」

「はい。……一色さんは?」

「俺は野暮用だ」

「そ、そうですか……」

「「………」」


 それきり続かなくなってしまった会話。学校の外では何となく普段と勝手が違う。

 何とも言えない空気の中、お互いに話題を探ることしばし。しかし一向に会話の種は見つからず、気まずさを紛らわすように視線をさまよわせていると、次のバス停を通り過ぎた辺りから、妙に空模様が怪しくなり始めた。


「雨、ですかね?」


 外に視線を向けている俺に気づいたのか、同じように車外に目をやった天ノ目は不安げな表情で言った。



「雨、だったな」


 最寄りのバス停で降りた後。一緒に下りた天ノ目に、俺は先ほどの問いかけの答えを告げる。

 最初はパラパラと狐の嫁入り程度だったが、次第にその雨脚は強くなり、俺達がバスを降りる頃には結構な大雨へと変わっていた。天気予報では今日は午後から曇りの予報ではあったが、雨だとは言っていなかったはずだ。


「まあ、お天気お姉さんを恨んでも仕方ないな。それよりお前はどうするんだ? 俺の家はここから百メートルもないが、お前の家はもう少しあるだろ?」


 近いとは言っても、天ノ目の住んでいるマンションまでは三百メートル以上はある。俺は別に問題ないが、女の子がこの雨の中、傘もささずに走って帰るには結構な距離だ。


「はい。……姉さんは今日仕事ですし、私はもう少しここで雨宿りしていきます」


 幸いバス停にはささやかではあるが屋根がある。少しの間雨を凌ぐくらいはわけないだろう。


「ですので私のことは気にせず、一色さんはどう――クシュッ!」


 …………。


 ぶわっと顔を真っ赤にした天ノ目はそれっきり俯いてピクリとも動かなくなってしまった。

 夏場で薄着なのは当たり前だ。想定外の雨に濡れて、身体が冷えてしまったのだろう。よく見ると俯いたままベンチに腰掛ける天ノ目の肩は微かに震えている。


 ……これは緊急事態だ。自分に言い聞かせる。


 このまま天ノ目を放置して帰れば、雨が止むまでの間、天ノ目はここで待ち続けることになる。傘があっても多少濡れることは覚悟しなければならないほどの雨だ。横からの風にあおられた雨水はバス停の中にも入って来るだろう。ただでさえ体の強そうにない天ノ目は、最悪の場合、風邪を引いてしまうかもしれない。そして夏風邪はとてもしんどい。

 これから天ノ目に提案することの言い訳は十分なはずだ。


 俺は一つ深呼吸して、そして緊張を悟られないよう普段通りの声で言った。


「あまっ、うちで雨宿りしていくか?」


 ……慣れていないのだから仕方ない。


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