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世界の色は一つでいい  作者: oqutopus
1章 世界の色は一つでいい
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一色薫は分からない

 

 天ノ目が転校してきて一月が経った。

 季節は七月に入り、日に日に上昇し続ける気温に顔をしかめながら耳を澄ますと、セミたちの声に混じって教室の至る所から妙に浮足立った会話が聞こえてくる。クラスメイト達の話題も夏休みの話題で持ちきりだ。

 そんな夏の暑さをスパイスに更に青々と茂る青春の若葉たちを眺めながら、その熱気に当てられた俺は頬杖ついたまま、暑さを誤魔化すようにシャツの襟元をぱたぱたと仰ぐ。


「暑いですねえ」


 休み時間の終了を告げるチャイムが鳴り、机の周りから友人たちが去ったあと、教員が来るまでの短い時間に俺に話しかけてくる声があった。つい先日席替えがあり、俺は教室最奥窓際の席から二つ前の席へと移ったが、同じように二つ前に移動しただけの天ノ目は未だ隣の席のままだ。安桜(あさくら)先生の計らいだろう。

 転校してきた当初はどこか遠慮がちに接していたクラスメイト達も、一月も経てば慣れてくるようで、今では休み時間には天ノ目の机に男女問わず数人の生徒が集まって談笑する光景が見られるようになった。男子相手にはまだ緊張するのか表情を強張らせることも多いが、女子には数人固定の友人のような存在ができたようで、相変わらず丁寧で嘘くさい態度ではあるが、それでも少しずつその表情も以前、天ノ目の家で見たような柔らかいものへと変わってきている。この様子では、もう少しすれば安桜先生に頼まれた役目も必要なくなるだろう。

 そのことに、俺に特別抱くような感情はない。

 これからクラスでの人間関係を築いていく天ノ目にとって、俺のような人間が傍にいることは足かせ(マイナス)にしかならない。彼女のためを思うなら、今すぐにでも関わりを絶つべきだ。

 所詮、俺にとって天ノ目とは安桜先生に頼まれただけの縁だ。彼女にとっても、俺は席が隣だったというだけの縁。

 その時がくれば、俺は自然と天ノ目の周囲から去るだけだ。机はいずれ隣ではなくなるだろうし、俺から話しかけることはおそらくもうない。そうして時間とともに空気の様に俺は天ノ目紗月の中から完全に消えて、また穏やかで平凡な、少し風当たりが強い日常へと戻る。


 ――ただ、それだけのことだ。


 そんな俺の心中などお構いなしに、未だにこいつは俺にこうして話しかけてくる。まあ、俺が勝手に思っているだけなのだから当然なのだが。

 人は人を知らないうちは優しいことも酷いことも平気で言える。付き合いができて、関わる機会が増え、その人のことをだんだんと知ってくると。なかなかどうして優しくしたいのにできなかったり、嫌なところばかりが見えてきてしまったり。離れたいのに離れ難くなったり。

 天ノ目紗月のことを深く知らない今のうちに、情を抱いてしまうその前に、できるだけ早く離れたいと思う俺は、……きっとこの教室で一番ダサい臆病者だな。


「暑いな」


 とはいえ、席が隣のうちはあまり過度な対応はできない。俺が目指すのはあくまでも空気だ。天ノ目が話しかけてこなくなって、自然と俺との関わりは薄くなっていく。それが俺にとっても天ノ目にとっても一番良い選択のはずだ。

 そんな考えの下、空気を目標に掲げる俺は、暑いですねといった天ノ目に暑いですねと返す。


「そう言う一色さんの反応は冷たいですね。夏の暑さには快適です」


 しかしそんな俺の反応が不満だったのか、天ノ目はいけずなことを言って、周囲の視線を気にしたのかジトリとした目だけで不満をアピールしてくる。

 相手の言ったことを繰り返すという行為は効果的にコミュニケーションをとるコツだと聞いたことがあったが、どんな場面でも当てはまるわけではないようだ。

 そんな視線に根負けした俺はさっと目を逸らして、頬杖ついて窓の外を眺めるふりをして適当なことを言って誤魔化す。


「……よかったな。省エネエアコンが今なら隣だ」


 そんなことを宣った俺に、ふっと天ノ目は口元をほころばせた。


「暑いですねえ」


 授業開始の号令の直前、もう一度繰り返したその声に、


「暑いな」


 聞こえても聞こえなくても構わない独り言のような声で、俺もまた繰り返した。



 *



 夏休みに入ると、エアコンの効いた家の中から中々出たくないものだ。


「ねえねえ、薫ちゃん聞いてよ! モモちゃん絶対ズルしてるよ⁉ だっておかしいもん! なんでさっきから私ばっかりビンボーになるの⁉ 運さえよければ勝てるんじゃないの⁉」


 せっせとキッチンで昼食の準備をしていると、リビングのソファーから顔を乗り出した菜月が、ゲームのコントローラを振り回してワーワーわめいているのが聞こえてくる。


「違うよ菜月ちゃん。たしかに運も大事だけど、ちゃんと考えてやらないと」

「わーん! モモちゃんが難しいこと言ううう‼」


 人差し指を立てて子供に言い聞かせるように言われ、菜月は頭を抱えてどたばたとこっちに逃げて来る。


「運も実力のうちだ。それに、お前の運の悪さは今に始まったことじゃないだろ?」


 毎度毎度、家を訪れては桃華にゲームでボコボコにされている姿は同情に値する。少しくらいは励ましてやろうと、切り終わった野菜をボールに移しながら言う。


「それぜんっっぜん励ましになってないよ薫ちゃん! それに私の運が悪いのは、ずっとビンボー神の近くにいるからだよ! 責任とってよ薫ちゃん!」


 たたたっとこちらにやってきた菜月は、キッチンの台をバシバシ叩きながらそんなことを宣う。中々の暴論だ。


「俺が貧乏神であることは否定しないが、別にお前に傍にいてくれと頼んだ覚えはないぞ」


 下処理が終わった食材たちを火にかけ、早速加熱し始める。

 今日の朝食はチャーハン。それと適当にカットした野菜をサラダ風にして並べる予定だ。メイン料理のチャーハンは調理工程も簡単で、冷蔵庫の掃除にもなる俺の得意料理だ。まあ、まともに食べられるものになるまで随分と菜月に苦労を掛けたものだが。

 そんなことを思いながら言った、何でもないいつも通りの冗談。俺にとっては何の含みもない、いつも通りのただの軽口だ。……だから分からなかった。


「……うん、そだね」


 そう言った菜月の表情が、転校してすぐの天ノ目の、あの貼り付けたような笑顔に重なってみえた理由(わけ)が。


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