アメ色の世界(7)
「それじゃあ俺はこれで失礼します。夕飯ごちそうさまでした。すげえ美味かったです」
天ノ目の手料理をごちそうになった俺は、桃華のこともあるためさっさとお暇しようと椅子を引く。
「でしょう? さっすが紗月ちゃん♪ ただ、初めて家に呼んだ男の子への手料理が肉じゃがって、ちょっとあざといよねえ~」
「んなっ⁉ あざとくなんてありませんっ!」
さすが美華さん。帰ると言って席を立っている俺の都合など完全に無視して、自分の言いたいことをニコニコと話す。
食事中も美華さんの気まぐれは続き、俺たちは終始翻弄されていた。
天ノ目の学校では見せない、慌てたり怒ったり、その表情豊かな様子は新鮮で、それを見られたのはまあ、役得だと思った。
「……まあ、少し」
「いっしきさんっ⁉」
長い物には巻かれる精神の俺は、「薫君もそう思うよね~?」と美華さんに言われてはどうすることもできない。せめてもの抵抗として直接的な表現を避けたところは評価してもらいたいところだ。
「――すみません、妹に留守番させているので、今日はほんとこれで失礼します。またな天ノ目。美華さんもお邪魔しました」
時計を確認すると、そろそろ十九時をまわろうとしていた。いつもなら桃華と夕飯を食べた後、昼間のうちに桃華がやっていた宿題を採点している時間だ。
俺は今度こそ強い意思を込めて立ち上がる。
「ありゃ、薫君って妹がいたんだねえ。それなら仕方ない! 急いで帰ってあげないとね!」
妹と聞いた途端、美華さんはぱっと席を立って早く早くと俺の背中を押して、急かすように玄関へと連れて行く。
「ちょっ、ちょっと姉さん!」
後ろからは慌てた声の天ノ目がそんな俺たちを追ってバタバタと駆けてくる。そして美華さんの隣まで来た天ノ目は俺の手に荷物がないことを確認し、「ああっ、もう……っ!」と珍しく声を荒げてリビングへと駆け戻っていった。
「……美華さんは、天ノ目のことが大好きなんですね」
「ふふ、もっちろん♪」
ちらと後ろを振り返りつつぼそりと言うと、美華さんは柔らかい微笑とともにはっきりと肯定した。
「君も、妹は大事にしなきゃだめよ?」
そしてすっと真剣な表情をつくり、俺の肩をしっかりとつかんで正面を向かせると、俺の目を覗き込んで言う。今日何度目かの探るような、試すような視線。
俺は一つ呼吸を整え、
「言われるまでもなく、世界で一番愛しています」
力強く答えた。美華さんの視線が何を意味していようと、俺の答えは変わらない。
人様の前で言うことに気恥ずかしさはあったが、俺の一番はどんなときも変わらない。
「あああ、あのっ。いいっ、いっしきさん……⁉」
…………。
かっこつけて言った後、にんまりと唇をゆがめた美華さんを見てなんとなく嫌な予感はしたが………最悪だ。
ドサ。
何かが落ちたような音が聞こえ、美華さんの後ろの廊下へと目をやると、頬を朱に染めた天ノ目が俺と美華さんを気まずそうに見つめている。
「……狙ってましたね?」
「ふふっ、私も愛してるよっ‼」
⁉⁉⁉⁉
苦々し気に言った俺を見て楽しそうににやりと笑みを深めた美華さんは、未だ俺の肩に置いている手をそっと俺の首筋にまわすと、思わず見惚れてしまうような所作で俺の耳元に不敵に歪む唇を近づけて、猫なで声で言ってふうっと吐息を吹きかけた。
「ッ⁉ あ……ああああああいっ…あいしてっ、ねっ、姉さんっ‼」
先ほどまでの赤い顔をさらに真っ赤に染めた天ノ目が、今にもショートしてしまいそうなほど狼狽えながら強引に美華さんを俺から引き放す。
「あっははは。……それじゃあこれ以上は紗月ちゃんがやきもち妬いちゃうからまた今度ね♪ これからも紗月ちゃんのことよろしくね、薫くん! またいつでも遊びにきてね~」
言うだけ言った美華さんは最後ににこりと微笑んだあと、ひらひらと手を振ってリビングの方へと去って行った。
「「………」」
台風の去った玄関ではきまずい空気が流れていて、お互い視線を合わせづらく、ただただ立ちつくす。
「あー……それじゃあ俺はこれで。晩飯どうもな。すげえ美味かった」
何も言わずに黙って帰るわけにもいかないので、先ほどまでのことをまるっとなかったことにした俺は、今日何度目かになるさよならの挨拶をする。
「い、いえ、今日は本当に姉さんがすみませんでした。……一色さんは妹さんがいるんですね? もしよろしければ、今日の夕飯の残りですが」
俺と同じくいろいろなことから目を背けた天ノ目は、気を取り直すように言って、さっき俺の荷物と一緒に床に落としていた包みを開き、タッパーを差し出してくる。
「……これさっき床に落としてなかったか?」
「だっ、大丈夫です! こぼさないようきちんと蓋、閉めてますから!」
…………。
「そうか。いや、冗談だ。わざわざありがとな。きっと妹も喜ぶ」
ついいじわるなことを言ってしまったが、冗談抜きで天ノ目の作った肉じゃがはこれまで食べたものの中で一番と言っていいくらい美味しかった。あの腹立たしいことに無駄に多才な菜月よりも料理の腕がいいとは。桃華が餌付けされたらどうしようか。
「一色さんも、そんな顔をするんですね」
「? 何がだ?」
「……いえ、なんでもありません」
ぽつりと漏らした声がうまく聞き取れず聞き返すが、天ノ目はなんでもないと首を振る。
「あの、最後にひとつだけ……」
天ノ目から荷物と肉じゃがの入った包みを受け取った俺が玄関のドアを開け、外に出ようとした瞬間、意を決したようにおそるおそると言った様子で声をかけられた。
「先ほどの姉さんとの話は――」
「忘れてくれ」
人生で一番うまく微笑んだ。
*
家までの帰り道。気持ち急ぎ足になりつつも、俺は今日の天ノ目の家でのことを思い返す。
桃華にはマンションを出るときにメールを送っているため、今から帰る旨は伝えてある。
「……まあ、人それぞれいろいろあるか」
ぽつりと独り言が漏れる。今日は雲もなく、美しい三日月が夜空に輝いていた。
天ノ目の家では美華さんの印象が強すぎてあまり考えることがなかったが、ちらりと見たキッチンやリビング、洗面所など、驚くほど整頓された家中の家具にはそれぞれの家具や収納している棚などにその家具の色が書かれたシールが貼られていた。前々から違和感はあったが、筆箱の中身程度ならまだしも、流石におかしい。そして何よりリビングで待たされているときに見えたカレンダー。なぜかその後もう一度そちらに目をやると、そのカレンダーは裏返されていた。今考えると、美華さんのあの印象的な目を引く所作は、俺の意識を何かから遠ざけるためだったのかもしれない。
――北原総合病院。
カレンダーとともにいつの間にか見なくなった病院のパンフレット。
洗面所に大量にあった市販品とは違う目薬。
安桜先生が俺に彼女を気に掛けるよう言った理由が、何となく分かった気がした。




