アメ色の世界(6)
「す、すみません一色さん。呼んでおいて待たせてしまって………え?」
急いでリビングのドアを開けた私は、そのわけのわからない光景に一瞬思考が停止した。
「それで薫君、紗月ちゃんは学校ではうまくやってる? もお、あの子ったら不器用で不器用で、姉としては心配なのよお。あの子から入学以来あなたにずっとお世話になってるって聞いたけど、どう? あの子、君に迷惑かけてない? 見かけはあんな感じだけど、本当はとっても不器用で繊細な子だから、あなたにたくさん甘えちゃうこともあると思うの。でも、根はとっても優しいいい子でね。むかしからお姉ちゃんお姉ちゃんって私の後ろを――」
「そ、そうですか。……まあ、俺は言うほど何もしてません。あいつは俺なんかとは違って、クラスの奴らにも好かれてますよ」
「そうなの? うふふ、それはお姉ちゃんとしてはすっごく嬉しいわ♪ それにしてもあなた、結構紗月ちゃんのこと分かってるわねえ。具体的には二人はどれくらいの関係なのかしら? 紗月ちゃんは友人と言っていたけど、いいのよ? お姉ちゃん怒らないから正直に――」
「なっ、何言ってるんですかさっきから! というか、姉さん帰ってたんですかっ⁉ それならさっきまで一体どこに」
リビングに入ってすぐ、ソファーに腰かけている一色さんに早口に詰め寄る姉と、そんな姉に詰め寄られ、戸惑った様子の一色さんを目にした私は、あまりの驚きに声を荒げて姉さんを一色さんから引き放す。
「あら、お帰り紗月ちゃん。この子が昨日言っていたお友達でしょう? 少し話してたけど、いい子そうでお姉ちゃん安心したわ」
私に両脇を羽交い絞めにされた状態の姉さんは、とぼけたように言って上機嫌に笑う。
そんな姉から距離をとった一色さんは、ホッとした表情で「ようやく来たか」と安心していた。うちの姉がすみません……。
「そ、それよりなんで姉さんがここにいるんですかっ⁉ さっき玄関を見た時は姉さんの靴は」
「ああ、実は今日、紗月ちゃんがお友達連れてきてくれると思ったから、驚かそうと思ってそこのカーテンの裏に隠れてたの」
「か、隠れてたって」
いたずらっ子のような笑みを浮かべて言う姉さんに、私は絶句する。
「俺もソファーに座っていたらいきなり後ろから声をかけられて、心臓が飛び出るかと思ったぞ」
そんな私を見て、気の毒そうに一色さんが言った。本当にうちの姉がすみません……。
「というかっ、なんでそんな面倒なことをっ」
憤る私に、姉さんはきょとんと首を傾げると、
「なんでって。だってあなた、私がいたら薫君に合わせてくれないかもしれないでしょう? 私がいないと分かって、急いで傘をとりに行ってたみたいだし」
「うっ、それは……」
さすが姉さん。私の浅知恵などお見通しのようです。
「で、では一色さんの傘は」
「あっ、それならはいこれ。ちょっとあなたの部屋の机の引き出しから借りて来たわ」
言って姉さんはロングスカートのポケットから紺色の折り畳み傘を取り出した。
わ、わたしの罪悪感は……。
「……すみません一色さん、姉さんがご迷惑を。それとその、昨日は傘を貸していただきありがとうございました」
「ああ……いや、何度も言っているが本当に気にしないでくれ。……それじゃあ、俺はこれで。お姉さんも、お邪魔しました」
私から傘を受け取った一色さんは、用事は済んだとばかりにそう言って玄関の方へと身を向ける。心なしか疲れたような顔をしていた。それに私は別れの挨拶を返そうとして、
「そうだわ! せっかくなんだし、薫君も晩ご飯食べて行って! もっと学校での紗月ちゃんのこととか聞きたいわ!」
…………。
やっと解放されると思っていた後のその一言に、一色さんの表情が青ざめたのが分かった。というより、小さく「げっ」と声を漏らしていた。
そんな姉さんの姿に、我が姉ながら本当に人の話を聞かない人だなと心底思った。
……本当に、うちの姉がすみません。
**
「――それで、さっきの話の続きだけど、具体的に二人はどこまでの関係なのかしら? 紗月ちゃんからはただのお友達だとしか教えてもらってないけど、薫君は紗月ちゃんのこと、どういう関係だと思ってるの?」
天ノ目の家に入ってすぐ一人にされた俺は、リビングのソファーに腰かけ、慣れない他人の家ということもあり緊張した面持ちで姿勢を正して座っていた。
「ん? これは」
あまり人様の、それも女子の家の家具などをじろじろと見るのは失礼だと思ったが、ふと目に着いた壁にかけられているカレンダーが気になり、もう少し近くでそれを確認しようとソファーから腰を浮かそうとした――その時。
「――ばあっ! うふふ、あなたが紗月ちゃんのお友達?」
…………。
そこからは美華さん――天ノ目のお姉さん――からの怒涛の質問攻めに目をまわしながら、ひらすら聞かれたことに答え続けた。美華さんと呼んでいるのは、「紗月ちゃんと紛らわしいから、どちらかは名前で呼んでほしいな♪」と言われたからだ。今さら天ノ目を名前で呼ぶのは何となく気恥ずかしいので、「ちなみに私のことはお義姉ちゃんって呼んでくれてもいいのよ?」と言う美華さんの申し出を丁重にお断りし、慣れないなとは思いつつ名前で呼んでいる。
名前は? 趣味は? 好きな食べ物は?――
天ノ目との関係から終いには服のサイズまで、美華さんの質問は止むことがなく、途中からはもう無心でただ己の心のままに思ったことを答えていた。
そのため、正直自分でも途中から何を言ったのか覚えていない。調子に乗って適当なことを口走っていないか、俺はここに来てから気の休まる時がない。
夕飯を食べていくよう言われた俺は、その申し出を遠慮がちにではあるが承諾した。というより、承諾せざるを得なかった。
てっきりお姉さんが料理をするのかと思っていたが、どうやら家事は二人で分担して行っているらしく、今日の料理当番は天ノ目らしい。
そして現在。
エプロン姿でキッチンに立つ天ノ目を新鮮な気持ちで眺めていた俺は、お姉さんがお茶を淹れて戻って来きてすぐに、またしても先ほどの地獄の質問攻めを受けている。
「お友達……というか、俺たちは別に友人でもなんでもありません。当然、美華さんが思っているような関係でもないですし、俺たちは席が隣ってだけの他人です」
先ほどから紗月ちゃんのお友達お友達と言われているが、俺がいつ天ノ目と友人になれたのだろうか? 俺と友人だと思われるなんて、天ノ目が気の毒だ。
「そうなの? でも、紗月ちゃんがその傘はお友達から借りたって言ってたけど……。君だよね? 入学以来紗月ちゃんがお世話になってる隣の席の男の子って」
あれ? と首を傾げる美華さん。いくつなのか分からないが、なかなかイタイそのポーズも、流石は天ノ目の姉だけあってとてもよく似合っている。
全体的に天ノ目を少し大人っぽくしたような彼女は、誰がどう見ても清楚な美人だ。目鼻立ちやプロポーションなどは言うまでもなく、天ノ目とは違い肩あたりで切りそろえられた黒髪が、彼女が動くたびさらさらと揺れ、その拍子に香る甘い香りが俺の深層心理を誘惑する。その所作や立ち振る舞いに至るまで、自由なようで品があり、洗練されている。
自由にふるまっていても美しいのか、自由にしているようで、その一つ一つの立ち振る舞いにまで気を遣っているのかは分からないが、若しくはそのすべてが彼女に染みついていて、それが『天ノ目美華』という女性なのかもしれない。
俺ごとき愚人が、そんな彼女からの下命を断れるはずもなかったな。
「天ノ目が何て言ったのか知りませんが、たぶん俺が勝手にあいつの鞄に傘をツッコんでいたなんて言えないから、とっさに友人に借りたとかなんとかって説明したんでしょう。俺はべつに友人でもなければなんでもない、ただたまたま席が隣で、教科書がそろうまでの間それを見せていただけの関わりです。だから安心してください」
こちらを気にしつつも料理を続ける天ノ目にチラと視線を向けつつ言うと、お姉さんは一瞬目を見開いたあと、なぜかにこりと頬を緩めた。その微笑の意味は分からないが、それは今日見た中のどの微笑みよりも優しいものだと思った。
「あら、そうだったの? でも、君が紗月ちゃんを助けてくれていたのは本当なんでしょう?」
お互いの視線が重なる。
「……まあ、隣の席の人間の役目ですから。隣人愛って言葉もありますし」
年上の、それも美人なお姉さんにそんな風に見つめられては、思春期男子としては緊張を隠しきれるわけもない。
俺は第一印象とは違う美華さんの優し気な瞳からそっと視線を逸らし、ぼそりと答える。
そんな俺の様子に、何が面白いのか美華さんはさらに上機嫌に笑みを深めた。
「……あの、ひとつ聞いてもいいですか?」
一通り話したところで、俺は先ほどから気になっていたことを尋ねてみることにした。
「? いいよいいよ、なんでも聞いて! 紗月ちゃんのアルバムなら私の部屋の――」
「いえ、それはまた今度で。あの、……俺を見て、なにか思うことってありませんか?」
「薫君を見て? んん~、顔はけっこう好みだよ?」
結構真面目に質問したのだが、美華さんはあまり気にした風もなく答える。
「それは光栄ですね。……いえ、そういうことではなくて。俺のこの髪とか見て、不良だとかは思いませんか?」
俺は正直、今日ここに呼ばれたのは妹の友人がどんな奴なのか確認するためだと思っていた。そして連れて来たのは真っ赤な髪をした俺。きっといい印象は持たれないだろうなと思っていたのだが、予想に反して美華さんは好意的に接してくれる。
「そう? まあ、ちょっぴり個性的なヘアスタイルだとは思うけど、でも今時髪くらいみんな染めてるし、君の髪が赤いくらいで不良だとは思わないよ」
「っ……そうですか」
見透かすように頬を緩める美華さん。それから、彼女はその微笑みのまますっと瞳を鋭くして。
「君は、人が少し普通と違っていたら、その人のことを何も知りもしないのに否定するの?」
試すような視線。
しかし、その問いかけの答えならば既に持ち合わせている。
だから何の気負いもなく、
「それをするくらいなら、俺は常に否定される側でいることを選びます」
「――うんっ! 合格っ!」
彼女の瞳に安心の色を見て、少しだけ姉の心の内を知れた気がした。




