アメ色の世界(5)
――ピロン♪
『ねえっ、薫ちゃん⁉ メメちゃん家に行くってどういうこと⁉ 浮気⁉ 浮気なの⁉』
――ピロン♪
『ずるいよ薫ちゃん‼ いつの間にそんなにメメちゃんと仲良くなったの⁉ 私もメメちゃんと仲良くなりたい~~! おうちに招待されて、いちゃいちゃしたい~~』
――ピロ―――プッ
…………。
……うるさい。
先ほどから休みなく鳴り響くスマホの通知音。
未読なのにどんな内容のメールなのか察してしまえる自分が優秀すぎて辛い。
『あのっ、きょっ今日、うちに来てくれませんか……っ⁉』
放課後。いつも通りさっさと帰宅しようとしていた俺は傘を返したいけれど家に忘れてしまったという天ノ目にそう言われて、一旦、電話で桃華に帰りが遅れる旨を伝えた。べつにあんな傘など捨ててくれて構わないと言ったのだが、そういうわけにもいきませんという天ノ目に、女子の鞄に勝手に私物をツッコんだ男であるところの俺としては逆らうことなどできなかった。
そして現在。その俺の傘がある天ノ目宅へと向かっているわけなのだが。学校から出るとき菜月に見つかり、なぜだとかずるいだとか代われだとか……まあ、いろいろとお察しである。
「……あの、一色さん。なぜそんなに離れて歩くのでしょうか?」
先ほどから居心地悪そうにこちらをちらちら振り返っていた天ノ目が、もう限界といった様子で尋ねてくる。
「俺と一緒に歩いているところなんて知り合いに見られたら、お前に悪いからな」
言わせるなよ恥ずかしい。
一度は言ってみたい台詞ではあるが、俺は今恥ずかしいというより虚しい気持ちだ。
「それに、女の子と並んで歩いているところを友達に見られるのは、思春期男子にとっては恥ずかしいことなんだぞ?」
「っ! ……な、なるほど。分かりました」
よく分かっていなさそうな天ノ目にそう説明すると、新たな価値観に戸惑った様子でそう言って、ぎこちなく歩き始めた。嘘も方便。そもそもお友達のいない俺が言ったところで、説得力があるかは怪しいところだ。
住宅街をさっきより少し俺から距離を取って歩く天ノ目の後ろをストーカーすることしばし。見慣れた交差点を曲がり、大通りから離れた天ノ目は少し歩いた後、小綺麗なマンションの前で足を止めた。
「ここがお前のマンションか? 小綺麗なもんだな。……というか、めちゃくちゃうちの近所なんだが」
以前、菜月と帰る途中、横断歩道で見かけた時になんとなくそうかもしれないとは思っていたが、それにしても駅一つ分どころか同じ地区に住んでいるとは。
「そうなんですか? 一月ほど前に引っ越してきたばかりなので、あまりこの辺りのことには詳しくなくて」
ああ、そういえばこいつは転校生だったな。だからこそ、安桜先生に気にかけてやってくれと頼まれていたのだ。……いや、まあそれはいいのだが。
「……今更だが、俺に家を教えたりしていいのか? 一応、俺は男なんだが」
本当に今更ではあるが、いざ家の前までくると無性に怖くなってきた。もうここに来る途中から手汗が凄かったからな。深く考えないようにしていたが、ちょっともう限界だ。
「? 今日来ていただいたのは私の姉の勝手ですから。むしろ、こちらこそ面倒をおかけしてすみません」
あまり分かっていない様子の天ノ目。
……まあ、本人がいいと言っているのならいいか。
「た、ただいま」
「……お邪魔します」
たどり着いた部屋の前。心なしか声を押し殺すようにしてドアを開ける天ノ目に続き、俺も緊張しつつ中に入る。声が裏返っていないか気になるところだ。
「と、とりあえず、姉はまだ帰っていないようですし、すぐにお借りした傘を持ってきますね」
こそこそと中の様子を確認した天ノ目は安心したように言って、急いで廊下の奥の部屋へと駆けていく。
「あっ、おい」
女子の家に入って早々に一人きりにされてしまった俺はあわててその背中へ声をかけるが、天ノ目はそれどころではないのか、こちらに振り返ることなく部屋に入って行った。
…………。
まあ、だからと言って俺が何をすることはないし、そんな度胸も甲斐性もない。これまで人の家自体あまり入ったことがないため、どうしていいか分からないだけだ。
とりあえずリビングのソファーに腰かけ、バッグを脇に置いて姿勢よく座る。
そういえばお姉さんと二人暮らしだと言っていたな。
…………。
菜月や妹で慣れているはずだが、やはり気心の知れた相手と他人とでは違うものだな。年頃の異性の生活している空間。甘い香りや、どことなく上品な家具。
……考えないようにしよう。
とはいえ、未知の領域に足を踏み入れた時、生物がとる行動は安全確保、つまりは周囲の観察だ。ここが自分にとってどのような場所で、どのような危険が潜んでいるのか。視覚、聴覚、嗅覚、触覚、持てうる限りの操作能力を駆使し、徹底的に情報を集める。それは生物としての本能であり、習性であり、つまり不可抗力だ。
なので俺の目がついあっちこっち動いてしまうのも、ああ、やっぱ綺麗に掃除されてんなあとか、日当たりいいなあとか、洗濯もの乾くの早そうだなあ、とか、一々感想を思い浮かべてしまうのも、すべては生物的見地から見て俺自身ではどうにもならない不可抗力と言えよう。
「ん? これは――」
**
良かった。
一色さんを家に連れて来たのはいいけれど、いざ姉さんと会わせるとなると大変な迷惑をかけてしまうことになるのは明白。幸いにもまだ姉さんは帰っていないようなので、一色さんに借りていた傘を返したら、せっかく来ていただいて申し訳ないけれど、今日はそのまま帰ってもらい、姉さんは渋るかもしれないが、姉さんがいなかったから仕方ないと言って誤魔化そう。
そう思い、私は急いで自室へと向かい、机の中に大切に保管しておいた彼の傘を探す。
「……あれ? たしかここに入れておいたはずなのですが」
一色さんの傘をしまっていたはずの机の引き出しを開けるが、彼の傘が見当たらない。
念のため他の引き出しや机の周り、タンスやクローゼットの中もすべて探すが、見つかったのは一色さんのものではなく、同じような色をした私物の折り畳み傘のみ。
「ど、どうしましょう……」
申し訳ないという不安と、どうしていいか分からない恐怖に自分の顔がサアっと青ざめているのが分かった。
「ま、まずは一色さんに謝らないとっ」
部屋中を探しまわったが結局見つからず、私は急いでリビングに向かった。




