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世界の色は一つでいい  作者: oqutopus
2章 愛しい日々は戻らない
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憧憬の波紋

 十月二十日

 ――ピロン♪

『おはようございます、先生。今日はいい朝ですね』

『おはよう。生憎こちらは朝から雨だが、君のモーニングコールのおかげでいい朝になったよ』

『さすが先生。朝から口説き文句もキレキレですね。それとやっぱり、こっちも雨でした。おはようございます』

『……とても嬉しいが、まずはカーテンを開けて目を覚ましてから、メッセージを送ってくれ。おはよう、古谷』


 十月二十一日

 ――ピロン♪

『おはようございます、先生。今日はこれから朝食を作ります。サプライズなので、みんなに喜んでもらえるか緊張しています。……菜月にはキッチンに立つなと言われているので、別の意味でも緊張しています』

『おあよい、、、ひるよ』

 ………。

『先生?』

『すまない、寝ぼけていた。おはよう、古谷。……朝食を作るために早起きするのは素晴らしいが、何も朝五時前から起きる必要はないんじゃないか? それから、君の緊張は正しい。お願いだから考え直してくれ』


『できました! 会心の出来です!』

 画像をアップ(おそらく……カレー?)

『……会心の一撃だな。いろいろな意味で朝からダブルパンチだ』


 十月二十二日

 ――ピロン♪

『おはようございます、先生。今日から小児看護学実習なので、少し緊張しています。あまり子供と関わった機会がないので、何かアドバイスをもらえると嬉しいです』

『おはよう、古谷。私もこの年で独身の身なので子供と触れ合った経験は少ないが、とにかく笑顔だ。……君の場合、そもそも子供っぽ……失礼。君はどちらかというと子供達に近い感性を持っていると思うから、きっとその子たちの気持ちを分かってあげられるはずだ。子供たちが何を望んでいるのか、君なりに考えて接してあげるといい』

『ありがとうございます、先生。とても参考に……あの、そこはかとなく子供扱いされているように感じますけど』

『気のせいだ。あれだ。困ったら杉原の振る舞いを参考にするといい。彼女の真似をしていれば大体間違いない』

『先生、私らしくと言ったじゃないですか⁉ ……でも、なんだかそれが最適解な気がしてきました』

『……とにかく、君なら大丈夫だ。頑張りたまえ』


 十月二十三日

 ――ピロン♪

『おはようございます、先生。先生のアドバイス通り笑顔で接したら、子供に泣かれてしまいました。保育所の方には「目が笑っていない」と笑われました。子供受け、悪いです』

『おはよう、古谷。……すまない。正直、君の不器用を甘く見ていたよ。そんなに要領よくこなせるのならば、始めから苦労はしなかったな。私のアドバイスが間違っていた。取り繕わなくていいんだ。君の心からの笑顔は本当に素敵だ。君の心は誰よりも純粋だ。笑いたいときに笑い、君なりの言葉をかけてあげればいい。相手が大人であろうと子供であろうと、君は十二分に人を惹きつける魅力のある素敵な女の子だよ』

『……さすが先生。朝からイケメンですね。もう文章から滲み出ています。……ありがとうございます。先生にそう言ってもらえて、とても嬉しいです。頑張ってみます』

『ああ、頑張れ』

『……あの、先生の笑顔も心も、凄く魅力的です。いえ、その、どうしても伝えておきたくて。……失礼します』

『……ふいうちだな』


 十月二十四日

 ――ピロン♪

『おはようございます、先生。おかげさまで少しずつ子供達との接し方も分かって来た気がします。「お姉ちゃん面白いね」と言ってもらえました。ちょっとその言い方は気になりましたけど、とにかく凄く嬉しかったです。あの、それで、急なお誘いなんですけど。久しぶりに夕飯でも一緒にどうですか? 菜月たちも一緒なんです』

『おはよう、古谷。君のおかげで早起きになったよ。まだ今日が始まって四分の一も経っていないが、せっかちさんだな。おそらくそれはどちらかというと「面白いお姉ちゃんだね」だと思うが、とにかく君が楽しそうで良かったよ。それから夕飯の件、……とても嬉しいよ。楽しみにしている』



 *



 古谷と再会して連絡先を交換したあの日から、彼女は日に一度は必ず連絡をくれるようになった。それはもう、……ちょっと愛の重たい恋人くらい、毎日必ずメッセージが飛んでくる。

 相変わらず、そういうところは変わらないな。

 毎朝のラインのやり取りを見返していると、ふと懐かしい日々を思い出し、立派に成長した彼女のそれでも変わらず愛らしい一面に、思わず頬が緩む。

 昔、彼女たちの担任だった頃。杉原に「トモちゃん、ああ見えてすっごいチョロくて愛が重たい子だから、進路相談の時はその理由を聞いてあげてね!」と念押しされたが、改めてその言葉の意味を実感した。……いや、それだけ彼女はとても愛情深く純粋な子なのだがね? その、少々心配でもある。

 そういえば、彼女はその進路に『看護学校』を選択していたのだったな。彼女の不器用伝説を知っている身としては正直、正気を疑ったが……まあ、その理由を聞いてしまえば「応援する」という言葉以外出てこなかった。


『……もしまた、あんなことがあっても、医療関係者なら何かできることがあるかもしれないと思ったからです』


 唇を噛み締めながら言ったあの時の彼女を知っていれば、いつかきっと立派な看護師になるのだろうと思えた。つくづく、若者が夢を追いかける姿勢というのは応援したくなるものだ。


「安桜先生? どうしたんですか、スマホを見てニヤニヤして。ちょっと不気味というか、気持ち悪いですよ? あっ、いい意味で! 先生は美人なので、オタクっぽいとかそういうわけじゃないですよ!」

「……相変わらずド失礼だな、君は」


 昼食のお弁当を食べながらスマホのラインの画面を眺めていた私に、そんな私を見ていたらしい坂本先生が相変わらず正直に、言葉を選ばず言ってくる。


「お弁当ですか? 珍しいですね、いつもはコンビニ弁当とかばっかりなのに。手作りですか?」


 もういろいろ諦めた私の呆れ交じりのジト目をさらりと無視して、私のお弁当の中身を図々しく観察する坂本先生。……この子はこの子で、いろいろな意味で心配なのだが。


「ああ、まあ。友人……が料理に挑戦すると言っていたので、私も始めて見ようかと思っただけさ。……というか、コンビニ弁当ばかりで悪かったな。君に私の食生活に対してとやかく言われる筋合いはない」


 古谷のことを他人に話そうとした時、自然と『元教え子』ではなく『友人』という言葉を選んでいる自分に驚きながら、あまり自分のことを他人に話す機会のない私は気恥ずかしさを誤魔化そうとして、少々きつい言い方になってしまった。


「いえいえ、安桜先生はその年でもすっごいお綺麗で、私憧れていたんですよ! だから杜撰な食生活ばっかりで心配してましたけど、そのお弁当なら安心ですね!」

「っ」


 坂本先生は特段気にした風もなく、そんな照れくさいことを堂々と、ためらいもなくはっきりと言う。

 彼女に苦手意識を持っていた私としてはその言葉は驚きで、思わず言葉に詰まった。


「お、おべっかは結構だ。大体、杜撰な食生活で悪かったな。私が何を食べようと」

「ええ~、おべっかじゃありませんよ。この前の合コンの時だって、あの人たちにきっぱり言い捨てた先生、すっごいカッコ良かったです!」


 素直に褒められ、照れくささを誤魔化すように言おうとした私の言葉を遮って、キラキラとした目で言ってくる坂本先生。その目には確かに憧憬の念が見て取れる。

 良くも悪くも、この子の言葉には裏表がない。嘘は嫌いで正直に生きているというのは本当にその通りだ。


「っ……あれは、自分でも少々言い過ぎたと思っている。せっかくの出会いの場を壊してしまって申し訳なかった」


 先週の土曜日のことについては、あの後のことがあってあまり覚えていないが、毒島一色という男のあまりにも人間らしい本性につい抑えが利かなくなり、言葉も選ばず帰ってしまったあの日の行動については、やり過ぎたという自覚がある。


「いえいえ、ぜんっぜんですよ! 先生のおかげであの後、みんなあの男どもの本性に気づいたんですから。あの人たちがあんなにクズだとは思いませんでした。あのままだったら騙されてましたよ! ほんと、先生のおかげです!」


 思い出して怒りが湧き上がって来たのか、プンプンと興奮した様子で眉間に皺を寄せ、頬を膨らませて胸の前で両手を振る坂本先生。


「そ、そうですか」


 彼女がそう言うのであれば、あの時の私の行動はきっと間違ってはいなかったのだろうと思えた。少し気がかりだっただけに、ホッと胸をなでおろす。

 すると、短く言ってデスクに視線を移した私に、坂本先生は彼女に似合わない、申し訳なさそうなしゅんとした顔をして、


「……だから、先日はすみませんでした」


 普段より幾分か弱弱しい声音に彼女に視線を戻すと、眉を八の字にした坂本先生が頭を下げていた。


「強引に誘った合コンで嫌な思いをさせてしまって。先生にもいい出会いがあればと思ったんですけど……」

「っ!」


 驚いた。まさか私を気遣ってくれていたとは。

 その気遣いは余計なお世話というかいらない心配というか、お節介と言って切り捨てられるべきものだけれど、それでも彼女は嘘を吐かない。彼女なりに、私のことを考えてくれていたのだと思うと、抱く印象は変わる。


「その、先日の件で私も学びました。世の中、個性だけを重視して、自分だけの世界でものを見るのは怖いことなんだって。好きなことしか見ないでいると、本当のところには気づけないこともあるって、安桜先生から教わりました!」


 言いながら、彼女は私に尊敬の眼差しを向けて来る。


「いや、私は」

「安桜先生みたいなカッコいい大人に、私もなりたいです!」

「っ……!」


 その不相応な期待に何か言いかけて、けれどその純粋な瞳を見ていると何も言えず。

 きっとこれがこの子の、大人の階段への始めの一歩なのだ。

 ………。

 いやはや、困ったものだ。

 若者の夢を追う姿というのは、やはりどこまでも眩しく美しい。


 ……分かっている。

 私なんかに憧れ目標とするのは間違っている。私はそんな大した人間じゃない。弱くて小賢しくて醜くて、甘えてばかりの半端者だ。大切な生徒たちに何もしてあげられなかった愚か者だ。本当に憧れるべきは()()()()のような、本当に優しく正しい、尊い存在だ。

 本物にこそ、憧れるべきだ。

 それが本当に目指すべき――


「先生は私の、理想の女性です!」


 彼女が言った。屈託のない、笑顔だった。

 ――嬉しかった。

 そんな言葉、私には不相応で間違っていて、一欠けらも相応しくないと分かっているけれど。それでも嬉しかった。


『優しいですね、先生は』


 っ……。


『先生にだって、返せていない恩はいくらでもありますから』


 彼の言葉だった。彼が私に、かけてくれた言葉だった。


『先生の笑顔も心も、凄く魅力的です』


 彼女の言葉だった。彼女が私に、くれたメッセージだった。


 ……ああ、そうか。


 私は天ノ目紗月を救えなかった。病気に苦しむ彼女に何もしてあげられなかった。

 私は杉原菜月を傷つけた。彼女の気持ちを知っているのに、彼の優しさを利用してしまった。天ノ目と彼を引き合わせた。

 私は一色薫を否定できなかった。彼の優しさや正しさに本物を教えられ、その在り方こそが理想であると信じてしまった。彼を否定してあげられなかった。

 そんな私は大人としても教師としても、一人の人間としても半人前だ。誰かに憧れられるような器じゃない。

 けれど、そんなことは当たり前のことだった。間違わない人間なんて、存在しない。だって私にとって理想のヒーローである彼でさえ、間違い続けていたのだから。

 一色薫でさえそうなのだから、私なんかに出来るはずもない。そんな、間違わない生き方なんて。

 だから、

 本当に大切なのは間違わないことではなく、理想を追い求めることそのものだった。

 今のこの子の様に。


「……君は私に、憧れてくれるのか? こんな私に」

「はい! 先生は私にとって理想の大人です!」


 坂本楓は嘘を吐かない。この子の言葉には裏がない。

 私が理想の大人か。

 そのあまりにも的外れな期待に、思わず笑ってしまいそうだった。

 けれど、この子は本気でこんな私に憧れてくれているのだろう。


 ――教師とは、子供に生き方を示す存在(者)である。


 昔、校長になる前の、中島先生に言われた言葉が脳裏をよぎる。

 その彼女の言葉に憧れ、私は教員を志した。


 果たして、私にできるだろうか?

 彼のように優しく。

 彼女のように強く。

 あの不器用で愛おしい友人のように――……


 ……それはまだ分からない。人に誇れる生き方なんて、随分と前に諦めた。教師のくせに生徒たちに教えられてばかりの、どうしようもない人間だ。そんな私になんて……と、思わないわけではない。

 けれど、幸いなことに、私の周りは理想(憧れ)で溢れている。

 だから――


「では、君が全力で手を伸ばせるような理想の大人で在れるように、私も全力で理想を追い求めるとしよう」


 彼らが優しいと言ってくれた、魅力的と言ってくれた、カッコいいと言ってくれた、そんな先生(私)を装いながら。悲しみの色に染まった世界で、それでも微かに輝く灯に縋るように、彼らが与えてくれた希望(憧れ)を纏って、私は言った。


「やっぱり先生カッコいい~! てゆうか、イケメン過ぎて足が震えてきました」


 ……まったく。

 相変わらず軽い、けれどやっぱり裏表のない可愛らしい坂本先生の声を聞きながら、私はそっと目を閉じる。

 ―――……

 浮かび上がるのは遠い日々の軽口ばかり。泡沫のように(まぶた)の裏に輝いては、パッと始めから何もなかったみたいに消えていく。

 嬉しくて、楽しくて、悲しくて寂しくて。もう決して戻らない、幸せな日々。

 輝き続ける、愛しい思い出。


 っっ……ふふっ。


 心中でさえ、思わず笑ってしまう。

 我ながら、何とも遠い目標を持ってしまったものだ。私にとってはこの大空に手を伸ばして雲を掴もうとすることと大差ない。それほどに、その背中は果てしない。

 ……けれど、生憎もう手遅れだ。

 投げ出してしまえればさぞ良かっただろう。楽だっただろう。世界の理不尽を無力な子供の様に嘆いていれば、きっと傷つかなくて済んだだろう。最後の涙で終われただろう。

 それでも、私はもう逃げないと決めてしまった。

 彼らに誇れる先生で在りたいと思ってしまった。こんな私を助けてくれた、大切な友人の助けになりたいと思ってしまった。この後輩が憧れてくれるような、理想の大人で在りたいと思ってしまった。

 だから、私は――


 心からの敬意を込めて、今は亡き彼に心の中で手を伸ばす。

 悲しみばかりのこの世界で、いつまでも輝き続けるその遠い背中に、もう二度と君のくれた光を消さないようにと。

 いつかの未来を、そっと誓った。



「それで先生、さっきから見ていたラインの相手は恋人ですか⁉」

「っ……まあ、そんなところさ」


 恋人だろうと生徒だろうと、友人だろうと後輩だろうと。

 愛しいことに、変わりはない。

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