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きみが未来を知らないなら  作者: 鷹雄アキル


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第3話 予知、雨、事件


◇TIME: 18:15


 雨は、まだ降り続いていた。

 細かくて冷たい粒が車の窓を斜めに叩き、無数の透明な筋を描いては落ちていく。

 ひんやりと湿った空気が、夜の匂いと一緒に車の中までそっと忍び込んできていた。


 先輩は、手元のスマホから目を離さないまま、不意にぼそりと呟いた。


「この社長、ちょっと変わってるらしいぞ。霊感商法とかの噂もある」


「……じゃあ、報道っていうより、情報バラエティ枠ですね」


 軽く返したつもりだったが、先輩は何も言わず、ただ画面を見つめていた。

 そして、ダルそうに言葉を重ねる。


「占い師からのメッセージ。……本当は、気にしてるんだろ?」


「いえ。全然、気にしてません」


 即答すると、先輩は「へえ……」と気の抜けた声でこっちを見た。


「あのさ。女っ気ゼロだった奴が、突然いい女からメッセージもらうと、浮かれて、ロクなことにならない。これ、俺の予言。けっこう当たるぞ?」


 あまりにも唐突で、つい呆れたような声が出てしまった。


「お願いですから、そういう変なフラグ立てないでください。それに、浮かれてなんかいませんから」


「なら、いいけどな」


 信号で車が止まる。

 窓の外を、色とりどりの傘の群れがゆっくりと横切っていく。


 昨日届いた、ルーシーからのあの不可解なメッセージが、頭の奥でざらりと引っかかっていた。


《70まで生きるつもりなら、今日は、会社を休んだ方がいいよ》

《信じられないかもだけど、今日、あなたは仕事で事故に遭います》


 その言葉が、雨の音よりも冷たく、深く、胸の内に染みこんでいく。


◇TIME: 18:20


 社長宅に着く頃には、雨脚はさらに激しさを増していた。

 白い外壁と、鉄製の無機質な門構え。高級住宅街にふさわしい静けさの中で、群がる報道陣の数だけが妙に目立っている。


 三脚を立て、照明の角度を直し、レンズに雨がかからないように手で覆う。

 ただそれだけの作業なのに、指先がひどく重く感じた。


「変だな……この緊張感、テレビっぽくねぇな」


 傘を畳みながら、富田先輩が顔をしかめる。


 現場に漂っているのは、いつもの会見前の慌ただしさじゃなかった。

 もっと深い場所にいるような、不穏で、息苦しい沈黙。


 やがて、玄関の重厚な扉が、音もなく開いた。


◇TIME: 18:41


 現れたのは、仕立ての良いスーツに身を包んだ男──インテグラサービスの社長だった。


 傘も差さず、雨に打たれることも厭わずに、ゆっくりと報道陣の前へ歩いてくる。


「お集まりいただき、ありがとうございます。本日は、皆様にお伝えしたいことがあります」


 その声は、激しい雨音に溶けるように、ひどく柔らかだった。


「私は、未来の断片が視えます。正確には──未来に起こることを、映像のように視る力です」


 誰も反応しなかった。

 あまりに突飛すぎて、かえって深い沈黙が場を支配する。

 社長は一息置いて、さらに言葉を重ねた。


「その断片というのは、未来の一部がぼんやりと浮かぶ現象。夢と記憶の間にあるような、不確かで曖昧な映像です。意味も順序も、まったくない」


 語られる内容は狂気じみているのに、彼の口調には奇妙な説得力があった。


「たとえば、傘の色。時計の数字。人の立ち位置や名前……。それらは視えた瞬間には散らばっていますが、現実で再現されるとき、それは『確定された未来』になります」


 ざわめきは起きない。

 ただ、目に見えない静かな圧力が周囲を包み込んでいた。


「断片は、未来を構成する“素材”になるんです」


 誰も口を開かない。彼が紡ぐ次の言葉を、ただじっと待っている。


「インテグラが急成長したのは、この能力を使って未来の兆しを読み取り、対策を打ってきたからです。市場の揺れ、訴訟の気配、競合の動き──すべて、断片の中にありました」


 社長の目が、ゆっくりと報道陣を見渡す。


「この力を、超能力と笑う人もいるでしょう。ですが、これは事実です。そして、私だけが視えるわけではない」


 雨音が、徐々に大きくなっていく。


「この国には、一定数、未来を視る力を持つ人間がいます。その多くは特定の組織に所属し、予知情報は厳しく管理されている。……今日この瞬間も、すでに視えていました。この雨も、あなた方の立ち位置も、昨夜の断片に記録されていた通りです」


 照明の光を受けて、社長の瞳が一瞬だけ、ぎらりと光った気がした。


 息をのむ。

 それは恐怖というより、運命に抗うことを諦めたような、絶対的な諦念の沈黙だった。


◇TIME: 18:43


 そのときだった。


 右手の方から、空気を引き裂くような轟音が響いた。


 信号を無視したダンプカーが、猛烈な勢いでこちらへ突っ込んでくる。


 ブレーキ音は──ない。


 暴力的なヘッドライトの光が、雨の幕を真っ白に染め上げた。


 照明スタンドが吹き飛び、富田先輩が腕をぐいっと引っ張った。


 けれど──間に合わない。


 激しい衝撃。

 金属が砕け散る濁った音と、跳ね上がる水飛沫。

 誰かの悲鳴。


 世界が、飴細工のようにぐにゃりと歪んだ。


 ふわりと、身体が重力を失う。

 視界が真っ白なノイズに塗り潰され、音も、熱も、時間も……すべてが遠ざかっていく。


 その瞬間、確かに“今”が途切れた。


◇TIME: 18:56


 気がつけば、瓦礫の下にいた。


 潰れた傘。砕けた照明機材。濁った水たまり。


 遠くで、まだ雨が降っている音がする。でも、それが信じられないほど現実味を欠いていた。


 富田先輩の顔が、ゆがんだ視界の中に現れる。


「……藤堂、動けるか?」


 喉が震えるだけで、声にならない。

 頭はぐっしょり濡れているのに、内側だけがひどく乾いていくような違和感。


 意識の混濁の中で、社長の言葉だけが呪文のように繰り返されていた。


『この構図を、昨夜の断片で視ました』


 ──予知。断片。再現。


 これは、偶然じゃない。

 社長は、事故を“知っていた”のか。

 それとも、未来を“確定”させたのか。


《信じられないかもだけど、今日、あなたは仕事で事故に遭います》


 脳裏で、ルーシーの透き通るような声が響く。


 何かが、動き出していた。

 いや──もう、終わっていたのかもしれない。


 止まない雨が、すべてを知っているように、ただ静かに降り続けていた。


 

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