第14話 なくした未来
◇TIME: 20:05
高架下を抜けた瞬間、風の質が変わった。
嫌な予感だった。
雨雲でもない。
追手の気配でもない。
もっと根本的な何か。
まるで、この先の景色そのものが「ここで終わりだ」と告げているような圧迫感。
五叉路へ出た瞬間。
俺は思わずブレーキを握った。
「……っ!」
ルーが息を呑む。
交差点を囲むように、人が立っていた。
黒いレインコート。
無表情な顔。
一人や二人じゃない。
十人。
二十人。
三十人。
高架の上。歩道橋。ビルの屋上。
視界に入るだけで数十人。
逃走経路は、すべて塞がれていた。
そして、その中心。
点字ブロックの上に富田が立っていた。
傘も差さず。
まるで最初からここに存在していたかのように。
雨粒が肩を濡らしているのに、その姿だけが不自然なほど静かだった。
「来たな」
穏やかな声。
怒りもない。憎しみもない。
ただ確認するような口調。
「予測誤差、〇・〇二パーセント」
富田は端末を見た。
「優秀だよ、君たちは」
大型ビルの壁面が光る。
次の瞬間。
俺たちが捕まる映像が映し出された。
逃げる。
捕まる。
転倒する。
拘束される。
何度も。何度も。何度も。
別角度から。別経路から。別時間から。
すべて同じ結末。
まるで死刑宣告だった。
「な……」
言葉が出ない。
富田は淡々と言う。
「三千四百二十六通り」
「君たちが逃走した場合の未来だ」
端末を操作する。
映像が切り替わる。
高架下。地下通路。河川敷。高速道路。
あらゆるルート。あらゆる選択。
その全部が捕縛で終わっていた。
「人は自由を信じたがる」
富田が微笑む。
「だが実際には違う。選択肢が存在するように見えるだけだ」
ルーの身体が震えた。
「そんな……」
彼女の声はかすれていた。
「全部……視えてるの……?」
「もちろんだ」
富田は即答した。
「君たちが次に話す言葉も」
「次に選ぶ道も」
「その後の行動も」
「すべて」
その瞬間。
ルーが小さく息を呑む。
「……っ!」
俺には分かった。
彼女が予知を視たんだ。
そして、視てしまった。富田の言葉が真実だという未来を。
背中に回された腕が震えていた。
「わたし……」
ルーが掠れた声で言う。
「予知の中に引き戻されてる……」
雨が強くなる。
空が唸る。
「彼は……未来を読んでるんじゃない」
ルーの瞳が揺れていた。
「未来そのものを……閉じてる……」
◇TIME: 20:37
「視えない現実に、意味などないんだよ」
富田の声は静かだった。
けれど、その一言だけで空気が凍りつく。
「お前たちが選んだのは自由じゃない」
雨が肩を叩く。
「ただの誤差だ」
富田が手を上げる。
ビル壁面の映像が再び切り替わった。
そこには、俺とルーの姿。
離ればなれになる未来。
俺が記憶を失う未来。
ルーが独りになる未来。
何百通りもの絶望。
「未来とは可能性ではない」
「淘汰の結果だ」
「意味のない分岐は消える。だから消去する」
その瞬間。
周囲の追跡者たちが一斉に前へ出た。
逃げ場はない。
完全包囲だった。
ルーの身体が震える。
「だめ……何も……視えない」
雨に濡れた指が俺の服を掴む。
「未来が……なくなっちゃった……」
予知者である彼女にとって。
それは死より怖いことだった。
泣きながら背中にしがみつく彼女を、富田がおかしそうに見て、笑った。
俺は、彼女の震える手を握り、そっと伝えた。
「……意味のないもので、いい」
「え……?」
「意味なんて、あとから俺たちがつければいい。ルーがここにいてくれる。それだけで、俺にとっては十分すぎるほどの意味があるんだ」
ルーが、ヘルメットの下で小さく息を呑む。
涙で声が滲んでいた。
「……こわかった。だから、あなたの背中だけを見ていた。きっと“終わり”が視えてしまうって、思ってたから」
言葉が、涙を越えて溢れ出てくる。
「でも、今わかった。未来に書かれてなくても、記録されなくたって、あたしは……あなたを愛してる。それが、あたしの選択」
背中に、彼女の熱い吐息を感じた。
その瞬間、俺たちの未来は、確かに“今”この場所に存在していた。
「……俺もだ」
俺は短く、けれど力強く返す。
「断片に残らなくてもいい。記録にならなくてもいい。予知に測れなくても、俺は──今、君を愛している」
◇TIME: 20:43
富田の腕が振り下ろされる。
「終了処理を開始する」
その声を合図に。
追跡者たちが一斉に動いた。
前方。左右。後方。
すべて塞がれる。
終わりだった。
誰が見ても。どんな未来を視ても。
ここで終わる。
――そのはずだった。
「ルー」
「……うん」
俺はアクセルを握る。
前には富田。
左右には追跡者。
後ろには封鎖車両。
逃げ道はない。
だから。
前へ行く。
「しっかり捕まってろ」
エンジンが唸る。
富田が眉をひそめた。
「無意味だ」
「そうかもな」
俺は笑う。
「でも、それを決めるのはあんたじゃない」
アクセル全開。
バイクが弾丸のように飛び出した。
富田へ向かって。
真正面から。
「馬鹿か!」
追跡者が叫ぶ。
富田だけが動かなかった。
いや。
動けなかった。
予知に存在しない。
その選択だけが。
彼の理解を一瞬だけ置き去りにした。
次の瞬間。
ルーが叫ぶ。
「右っ!!」
俺は反射で車体を倒した。
横から飛び出した追跡者の腕が空を切る。
スレスレだった。
ガードレールを擦る。
火花が散る。
転倒寸前。
それでもアクセルは戻さない。
「掴まってろ!!」
雨。
轟音。
水しぶき。
心臓の鼓動。
全部が混ざり合う。
そして。
富田の横を通り過ぎる瞬間。
ビル壁面に映っていた未来の映像が砕けた。
ノイズが走る。
捕まる未来。失う未来。決められた未来。
そのすべてが崩れていく。
「あり得ない……」
富田が初めて表情を変えた。
「そんな未来は――存在しない」
「だからだよ」
俺は振り返らずに叫ぶ。
「存在しない未来を選ぶために、俺たちは走ってるんだ!」
雨の向こうへ。
誰も知らない夜の向こうへ。
俺たちは駆け抜けた。




