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きみが未来を知らないなら  作者: 鷹雄アキル


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第12話 閉ざされた未来の、その外へ


◇TIME: 16:12


 雨に濡れたガラスの壁が、沈んだ空気を映していた。

 潮の匂いをかすかに含んだ風が、都市の隅にあるこの古びた建物の廃れた鉄の匂いと交じり合って吹き抜ける。


 俺たちが辿り着いたのは、監視の網をすり抜けて、地図にないルートを繋ぎ続けた果ての場所。


 忘れられたような研究施設。

 電力も遮断され、人の気配も絶えていた。


 俺はバイクを降り、思いっきり空へ向けて伸びをした。

 ルーはそんな俺を見て、小さく笑った。


「……俺たち、どこに向かってるんだろうな」


 ふと、口をついて出た言葉。

 

 逃げ続けているだけなのか。

 それとも——まだ誰にも“視られていない”道を辿っているのか。


 足元の濡れた芝に、蝉の亡骸が時間軸からはずれたように落ちていた。

 ルーが玄関脇の古い認証ロックに指をかざす。


「ここなら……予知の網から外れてる。はず、だったんだけど」


 彼女の声には、微かな震えが混じっている。

 何かが外側からではなく、“内部”からこちらを見つめているような圧力が空間に漂っている。

 

 扉が静かに開く。

 

 湿った空気がわずかに流れ込み、俺は懐中電灯を点けながら一歩踏み出した。



◇TIME: 16:19


 ホールの奥に、埃をかぶった機材が整然と並んでいる。


 まるで誰かがここで何かを成し遂げようとしたまま、時だけが止まってしまったみたいだった。


 その機材の向こう――壁際に、ひとつの影。


 フードを深く被った男が、無言で壁に凭れ掛かっていた。


 背が高く、彫りの深い顔立ち。


 その横顔を見た瞬間、なぜかルーを連想した。


 もちろん似ているわけじゃない。


 髪の色も、年齢も、性別も違う。


 それなのに、目元だけが妙に引っ掛かった。


 説明できない違和感だった。


 男は感情の見えない瞳で、俺たちを見つめている。


 目が合った瞬間。


 床に薄く発光する断片映像が浮かび上がった。


 事故現場。


 倒れたバイク。


 濡れたアスファルトに散った血の色。


 ――それは昨日、ルーが視た“未来の断片”のひとつだった。


「……凍結者」


 ルーが低く囁く。


「視た未来を、現実として再生する人。触れられたら、それが“確定”される」


 男がこちらへ歩き出した。


 ルーは一歩も動けず、その場に立ち尽くしている。


 肩が細かく震えていた。


「止められない……触れられたら、もう変えられなくなる……」


 俺は咄嗟に彼女の腕を掴む。


「こんなもんが未来かよ! ただの可能性じゃないか!」


 脇の通路へ身体を引き寄せ、そのまま走り出した。


 背後では光が波打つように広がり、映像の断片が現実の空間へ染み出していく。


 過去に見た記憶が、未来として再生される。


 それが凍結者の力だった。


 

◇TIME: 16:28


 非常階段を駆け上がる。


 足音が鉄の段を叩く音に混じって跳ねた。


 扉を押し開けた先は屋上。


 雨が静かに、しかし確実に降り始めていた。


 灰色に染まった都市の空。


 空気そのものが、濁った未来の重さに引きずられているみたいだった。


「……私、もうダメかもしれない」


 ルーの声は、風と雨に紛れるように細く弱々しい。


 その表情はどこか、自分自身を責めているように見えた。


「予知が視えた瞬間、誰かにそれを“記録”される……そしたらもう、自分の未来すら変えられなくなる……?」


「違う」


 俺は彼女の手を取り、強く握った。


「拒否するんだろ? “未来に喰われない”って、あのとき言ってたじゃないか」


 ルーが震える指先を胸元へ当てる。


 まぶたを閉じ、静かに息を整えた。


 彼女の中で、“再生”を断ち切るイメージが膨らんでいくのが伝わってくる。


 数秒後。


 風の音だけが残った。


 空間の揺れが止まり、凍結された映像は雨粒に溶けるように消えていった。



◇TIME: 16:33


「……もう、私は未来に喰われない」


 その言葉は風に溶けてしまいそうなほど小さいのに、不思議なほど力強かった。


「断片に選ばれるんじゃない。あたしが選ぶ。自分の意思で――誰かのためじゃなく、自分のために」


 凍結者の足音が止まった。


 その姿が、ぼんやりと雨の幕の向こうに佇んでいる。


「未来は、また君を探すだろう。そのとき、“視えることのない痛み”を拒めるのか?」


 低い声が雨音に溶ける。


 影はゆっくりと雨の奥へ沈んでいく――かに見えた。


 だが次の瞬間。


 フードの影に隠れていた男の口元が、わずかに吊り上がるのが見えた。


◇TIME: 16:36


 雨音に混ざって、低く静かな声が届く。


「君たちは……未来の特異点だ」


 その言葉に、空気が張り詰めた。


「視えた記録すべてが揺らぐ中心。君たちが未収束のまま動き続ければ、未来は確定されずに崩壊する」


「……だから、凍らせようとしてるの?」


 ルーの問いに、男は短くうなずいた。


「そうだ。もう一方の特異点は処理済みだ」


「処理……って、誰を……インテグラサービスの社長か!?」


「あの男は記録から除去された。未来には、もう存在しない」


 その言葉は冷たく、乾いていた。


 ルーの目が大きく揺れる。


「……存在自体が、消された……」


 唇が震え、言葉にならない。


 彼女の中に積もっていた痛みが、今、静かに噴き出していた。


 目の前には、以前見たイメージの記録が広がっている。


 俺があの場所で記憶を失い、ルーとは二度と会うことはない。


 そんな未来。


 今にも、それが現実を覆い尽くそうとしていた。


 俺は震える彼女の肩を引き寄せ、強く抱きしめる。


「ルー。あんなことは起きない」


 冷たい雨に濡れた肩は驚くほど細かった。


 互いの体温を確かめるように身体を寄せる。


「あれは誰かが都合よく描いた未来だ」


 俺は言葉を重ねた。


「未来なんて決まっちゃいない。これから俺たちが行く先も、まだ何も決まってない」


 強く抱き締める。


「何も考えなくていい」


 そして。


「俺と一緒にいてくれ」


 ルーが俺の胸の中で小さくうなずく。


 存在しないイメージ。


 選択されない未来。


 それは、未来から外れてしまった者同士が、それでも一緒にいるということだった。


 俺は彼女を抱きしめる腕に力を込める。


 彼女もまた、俺の背中へ回した腕を強く握り返した。


 絶対に離さない。


 それは誰かに与えられた未来じゃない。


 紛れもない、俺自身の気持ちだった。


 俺はそっと彼女の唇に、自分の唇を重ねた。


 その瞬間だった。


 俺たちへ覆い被さろうとしていたイメージの奔流が止まる。


 まるで海の波が一枚の写真になったように。


 すべてが静止した。


「その未来は正しくない」


 凍結者が無機質に呟く。


「そんな未来は許されない」


 俺は真っ直ぐ男を見返した。


「これが俺たちが選んだ“今”だ」


 ルーの手を握り直す。


「走るよ」


 彼女が小さくうなずいた。


 俺たちは雨の中を駆け出した。


◇TIME: 16:41


 屋上を離れ、二人で階段を下る。


 廊下には、もはや何の断片も反応していなかった。


 冷えた空気だけが静かに漂っている。


 でも、それでいい。


 何も決まっていない。


 ――それこそが、俺たちにとっての自由だった。


 雨に濡れながら敷地の外へ出る。


 バイクの元へ戻ると、ルーが無言でヘルメットを手に取った。


 言葉は交わさない。


 ただ――視線だけで通じ合う。


 

◇TIME: 17:08


 監視の気配が、いたるところに増えていた。


 凍結者たちだ。


 このまま二人で逃げ続ければ、いずれ捕まる。

 そして未来の中へ組み込まれてしまう。


 だから俺たちは、あえて別々のルートを選んだ。


「いったん別れて逃げよう」

 俺は言う。

「そうすれば、新しい未来が書き換えられるはずだから」


 ルーは少しだけ黙り込み、


「……うん」


 そう答えた。


 再び会う場所を告げる。


 そして彼女は走り出した。


 俺も反対方向へ駆け出す。

 高架下を抜け、雨に煙る街へ。


◇TIME: 18:21


 渋谷駅。


 雑踏の中で、俺はふと立ち止まった。


 ずっと隣にいた彼女。


 ほんの少し別れただけなのに、胸の奥がひどく軋む。

 予知なんて、最初からどうでもよかった。

 未来がどうなろうと構わない。


 必要だったのは――


 彼女の声。


 彼女の瞳。


 彼女の唇。


 ただ、それだけだった。


 無性に抱きしめたかった。


 ただ、それだけだった。


 真夏の太陽と夜が混ざり合う時間。


 湿った空気。


 熱を残したアスファルトの匂い。


 彼女のいない風景が、ひどく切ない。


 人混みの向こうに、何度も彼女の姿を探してしまう。


 胸の奥で名前を呼ぶ。


 届くはずもないのに。


 それでも俺は走っていた。


 ただひたすらに。


 彼女を探して。


 

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