第六十四頁
木々の間からは星空が顔を覗かせている。
うっすらだが、境虹も見える。
いくつかの七護がやられてしまったからか、その色は七色ではない。
そう言えば、エレメスが幻魔にやられてしまったのは俺がこの世界に来た直後辺りだったらしいから、メグルと始めて見た境虹も、すでに完全な物ではなかったということなのか。
一体、境虹は本当に何からこの世界を守っているんだろうな。
魔物以上に危険な何かが、存在するとでもいうのか。
「スグルー、なんか食べたーいー」
「メグルのやつ、さすがに遅いよな……」
あれから、メグルがこの場へ戻ってくる気配はなかった。
魔物に教われてやしなければいいが……。
「そうだ」
魔物といえばアクセだ。
外してくれとは言ったが、一人で離れる時ぐらい着けていったはずだよな。
メグルのリュックを漁ってみる。
「……あった……」
見つけたくはない物を見つけてしまった。
メグルは、アクセを着けずに水汲みに行ってしまったのだ。
魔力の無いメグルなど、魔物にとって格好の餌にしか過ぎない。
だが、それは最悪の場合だ。
ここはあくまで冷静に行こう。
山にのようなこの場所で慌てるなど、俺もどうなるか分からない。
「ララン、メグルを探しにいこう」
「あいさ」
俺はランプに火を灯し、ラランと共に夜の雑木林を歩き出した。
川まではそう遠くはない。
迷う心配は無いが、木のせいで月明かりもあまり届かないため、慎重に歩を進めていく。
斜面をゆっくりと下りる。
水の流れる音だ。
どうやらこの下は河原のようだな。
これまでよりもさらに慎重に下りていく。
うっかり足を滑らせ、河原の石にでも体を打ち付ければ大変なことになる。
「ララン、大丈夫かー」
「へーきだぞー」
ランプの明かりだけでは、足元ぐらいまでしか視界は広がらない。
こうした地形になれているラランに、俺は先導してもらっていた。
猫科だからか、暗闇でもそれなりに目が見えるそうなのだ。
先ほど暗い中で目を合わせたが、野生動物の目と同じようにラランの目も輝いていた。ちょっと不気味だったのは、ラランが傷つくから言わない。
それにしても、川で水を汲んで戻って来るだけだってのに、メグルはどうしてしまったんだろうか。
「あ、スグル待つのだ」
「え? ああっ!?」
突然ラランが止まったと思いきや、吸い込まれるように俺の足は滑落していった。
な、何か掴むもの……。
滑り落ちる直後、俺は気を掴むべく視界に移った物をすぐに摑まえた。
「ぎにゃ!?」
何か掴んだが、体が滑り落ちるのは止まらなかった。
「うわあああああ!」
一体、どれほどの高さから落ちてしまうのだろう……。
なんて嗜好を巡らせるまでに俺の尻は固い石にぶつけられた。
「いてぇ……。でも、案外低くてよかった……」
しかし、左手にはランプ、右手には何かを握っていたために手を付けず、
俺の尻へのダメージは絶大なものだった。
中心部じゃなかっただけマシだが。
「ララン、大丈夫か?」
まだ上に居るのかと思えばいない。
ラランは俺の隣で尻を突きだして伸びていた。
「うにゃにゃ……」
「だ、大丈夫か?」
そこでやっと気が付いた。
俺の握っていたのはラランの尻尾だった。
「あ! ごめん! 痛かったな!」
尻尾でまくられたスカートを直し、お尻を隠してやる。
ランプを一旦置いて、すぐに起こしてやった。
「顔とかぶつけてないか……? 怪我はしてないよな……?」
「うっ……うっ……」
頑丈なラランのことでもある、どうにか怪我はしていなかったようだが……。
「ぶえええん! じゅぐるがいじめだ~!」
「うわわ……。わざとじゃないんだって……。ごめんよお」
何とか泣き止んでもらおうとラランの尻尾を擦ってやるも、強く握り過ぎたためかなかなか効き目が無い。
「ほらー、悪かったなー」
ついでに頭も撫でてやる。
そんな時、河原の石を踏む音がした。
「ラランちゃん!?」
「メグル?」
ランプを手に取り照らすと、やっぱりメグルだった。
「ラランちゃん、どうして泣いてるんですかぁ」
「あんな、スグルがな……。スグルがな……」
ラランは飛び起き、メグルに抱き着いてしまった。
「スグルさん! ラランちゃんをいじめちゃ駄目じゃないですか!」
「いや、いじめてなんか……。ていうか、メグルは何処に行ってたんだよ。探しに来なければこんな事には……」
「だって……」
メグルの態度が一変した。
ラランを抱きながら、視線を下に落としている。
ランプの明かりだけでは、その表情を確認できない。
「だって……! お水汲んでも高くて登れなかったんでしゅよぉ~……!」
すると、メグルはラランと一緒になって泣き出してしまった。
「どーしてもっと早くに来てくれなかったんですかぁー……。私、暗くなってから怖くて怖くて……! フクロウがほーほー鳴いててぇええ! お化けが出そうでえぇぇぇん!」
「スグルが尻尾引っ張ったぁ! ばかー! びえええん!」
「わ、わかったからさ。二人とももう泣くなよ……。飯にしようぜ?」
「「うえええええん!」」
「……俺も泣きたいよ」
しかしまあ、メグルが無事で何よりだ。
俺が落ちてきたところの高さはそれほどでもないが、確かに水の入った入れ物を片手に登るには、林特有の湿った土は滑るし、巣の身体能力のままのメグルには無理だったろう。
それから二人が泣き止むまで、俺はどうにかあやすのに必死だった。
ラランはまだしも、メグルはもう少しだけ成長してほしいものだ。
肝心の水汲みだが、俺が踏み台になってメグルを斜面の上に乗せ、水の入った入れ物を渡す。その次に俺が自力で登るという方法で解決した。
ラランは難なく飛び越えていたから心配ない。
テントのある場所まで無事に戻ると、その日はさっそく保存食用の食料を消費して終えた。
二人のハプニングにはとことん疲れさせられるが、まあこれも旅の楽しみの中の一つだと思うことにしておこう。
◇◇◇
翌朝。
ラランはいつも早い目覚めだ。
いまだに固い地面で寝る事には慣れず、俺の方が早く起きることもあるが、大抵はラランがテントの外で一人遊びをしていたりする。
今日も、俺が起きた時にはラランに荒らされた後のメグルが変な態勢で寝ていた。
「ララン、起きたのか?」
テントから出ると、秋らしい涼しげな、少し冷えるような朝だった。
雑木林には薄い霧も出ている。
辺りを見渡してもいないから、木の上を見てみる。
ラランは、また木の上で遠くを見ていた。
「仲間いたか?」
本当にいたなどとは思っていないが、とりあえず聞いてみた。
「あっち」
ラランは視線の向こうを指さした。
その方向は、俺たちが向かおうとしている川の上流だった。
もしかして、水の国とやらにラランの仲間がいる?
けど、ラランの種族はバステリト領の森に住んでいたはずでは。
「ララン」
「なんだー」
気の抜けたような返事が返ってくる。
「その仲間のいる所に行ってみるか?」
「いいのー!?」
ぱあっと表情を明るくしたラランが、不意に俺を目掛けて飛び降りてきた。
「ぶわっか! 危ないだろ!」
飛び降りてきたラランは俺にしがみ付き、背に回ったり顔の前に来たりと動き回っている。
「行っていいのかー!?」
「や、やめ、いいから、いいから退いてくれって……。うわあ」
バランスが上手く取れずに倒れてしまった。
馬乗りになったラランが顔を近づけてくる。
「スグル、好きだー」
そんなことを言っては、俺の胸に顔をすりつけたりしてごろごろしていた。
まあ、たまたま行く先が同じだからってだけなんだけどな。
そんなに感謝されてしまうと、申し訳なくなってしまう。
「じゃあ、そうと決まれば出発だな。メグルを起こしに行ってくれないか」
「らじゃ! おねえ起きろぉ~!」
ラランはすっかり元気になっていた。
それにしても、本当にラランの仲間はこの先にいるのだろうか。
確信を持っているからこそ、あそこまで元気なのだとは思うが。
「おーねーえー!」
「ひゃい! な、なんですかぁ!?」
さて、テントを畳まないとな。
◇◇◇
俺たちは、霧の掛かった雑木林を早朝から歩き出した。
「にゃにゃー!」
またいつもの様に、ラランは跳んだり跳ねたりしている。
「ラランちゃん、元気になりましたね」
「なんだ、メグルも気が付いてたのか?」
「わかりますよ~。私、スグルさんよりもラランちゃんが好きですからねっ」
メグルは得意げな顔をしている。
「まあそうだな。なら、どうしてラランの元気がなかったか知ってるか?」
「ひぇ? スグルさん知ってるんです?」
「いんや? ララン愛はメグルに敵わないからなぁ」
知らないならそれでよかった。
ラランが家に帰りたいだなんて、メグルに伝えたところでどうにかできるわけでもないのだから。
ただ、同じ旅をする仲間ということを考えれば、教えてやった方がよかったのかな、なんて気持ちも湧いてきた。
しかし、ラランの知らない所で勝手に話すのもそれはそれで後のいざこざに繋がったら嫌だ。
やっぱり、ここは知らないふりをしておくのが一番だろう。
ラランのためにも、メグルのためにも。
それから、俺たち三人は先の見えない雑木林を歩き続けた。
たまに河原に下りては水を飲み、そのまま河原を歩いてみたりもした。
しかし、一向に広大な林を抜ける気配はない。
木々が深まり森になるでもなく、ずっと同じような細い木が並んでいるだけだ。
そんな空間を歩き続けてから、もうどれぐらいの日数が経っただろう。
それほどでもないかな。
これまでもそうだったが、同じような風景をずっと歩いていると時間が長く感じられるのだ。
夜を迎えた回数で言えば、約一週間ほどだろうか。
魔物が現れたりしない限り、ごく退屈なこの世界。
そんな暇になった俺がやることと言えば、何かにつけてものの数を数える事だ。
空の雲を見ては一つ二つ。さっきの雲は消えてなくなったからマイナス一つ。落ち葉がひらひらと舞っているのを見ては、一枚二枚。そして夜になり星が出れば、あの辺りからここまでは数十の星。大きく見えるのはいくつだとかそんな感じだ。
我ながら何をやっているんだとは思う。
だが、それでも元の世界にいる奴らに教えてやりたい。
人間動かなさすぎると逆に動きたくなるように、座っているといつかは立ちたくなるように、退屈が過ぎると自ら大変な思いをしに行くようになっていくのだと。
そんなもの数えももう飽きた。
そろそろ街や何かにたどり着いてくれないと精神が崩壊しそうだ。
まともな物を食っていないから、腹も減っている。
身も崩壊しそうだった。
「お腹減ったー!」
我慢の限界が来たのか、ラランが喚きだした。
「本当ですね……。痩せちゃいます」
まったくだ。
まともに食べていないのにこんな山登りまがいのことをしていては、痩せない方がおかしいというもの。
新手のダイエットとして雑誌に掲載できるぞ。
異世界に行って絶食雑木林!
……流行らねえな。
二人がお腹減っただのなんだの言っていても、俺はそれに答えることはしなかった。
答えられなかったのだ。俺自身も腹が減り過ぎていて。
体力も精神も限界。
こんな荒行をするつもりじゃなかった。
これじゃあ、旅人というよりは放浪者じゃないか。
棒のようになった足を引きずりながら、もう何度目かの丘を越えた。
そんな時だった。
「スグルさん……!」
先にラランと丘を越えたメグルが、何かを発見したようだった。
どうせ、また丘を降りて川岸に近いから水が飲めるとかそんなものだろう。
「ん…………」
聞こえるか聞こえないかの声で返事をし、とりあえず俺も丘を上がった。
「はあ……」
「見てください!」
「……川はもういいって」
首が重い。
が、どうにか丘の下の光景を目に入れた。
「お…………」
そこには、もう雑木林など広がっていなかった。
見えるのは、金色の絨毯のように輝く稲の様な植物。
しかも、ただ群生しているのではない。
ちゃんとした区画があり、綺麗に整列して生えているじゃないか。
これは人為的に植えられたものだという何よりの証拠。そしてそれが意味するものとは――。
「人が住んでるかも知れない……!」
ということだった。
「スグルさん、着きましたね!」
「ああ……!」
やっとだ。
どうやら求めていた水の国ではないようだが、それでも十分すぎる程だ。
ああ、旅は辛いなあ。
しかし、そんな辛さがこうした幸せを倍増させる。
今日も腹をすかせながらも、朝早くから歩いて良かった。
「うおー!」
雄叫びを上げながら、ラランは一足先に林を抜けていた。
「メグル、俺たちも行こう!」
「はい!」
俺は足の支え代わりに使っていた枝を捨て、メグルの手を取った。
恋人というよりは、兄妹みたいに丘を下っていく。
やっと枯葉だらけの斜面から平地へと足を付けることが出来た。
もちろんコンクリートなんかじゃあないが、稲田の脇にはしっかりと道らしい道が作られていた。
こんなにゴツゴツした石が散らばっているのに、ただの平地がこんなに歩き易いだなんて思わなかった。
ただ、しばらく上がったり下がったりを繰り返し、しかも空腹まであるために、今はふらふらとして歩きづらい感じではある。
すると、メグルもそうなのかよろめいた。
「おっと、大丈夫か?」
倒れそうなメグルを受け止めた。
「は、はい。何とか」
「でも、その様子じゃ歩けそうもないな。俺が運んでやるよ」
「え、え、そんな。恥ずかしいですよぉ……」
「大丈夫だって。ほら」
俺は背負っていたリュックを前に掛け直し、メグルに背を向けた。
「抱っこが恥ずかしいんだろ?」
「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて……」
メグルは俺の背に乗った。
「う……」
メグルが乗って気が付く。
そういや、メグルもリュックを背負っているんだったな。
重い……。
格好つけた手前、物凄く言い出しづらいのだが、というよりも言えないのだが、俺の足も限界だったということもあり、歩けるかどうか不安だった。
「スグルさん、大丈夫ですか? 今、うって聞こえましたけど……」
「い、いや、大丈夫だ! 村まではもうすぐだからな。そこまでは運んでやるって。あー、早くお腹いっぱい食べたいな!」
足が生まれたての子鹿だよぉ……。
一歩、試しに俺は足を出した。
足は上がらない。
擦る様に進んだだけだ。
進めればいいか。
どうにか、俺はすり足で一歩一歩進んでいく。
「スグルー! はーやーくぅー!」
向こうでラランが呼んでいる。
「ま、待ってろー。もうすぐ行くからなー!」
「あ、あの、スグルさん? やっぱり私降ります……」
「なに言ってんだ。は、運んでやるって……。言ってるだろぉ……?」
もうやけだった。
意地だった。
とにかく前へと、俺はすり足を繰り返す。
そして後悔した。
「あ、もう動かないや……」
「え、え、スグルさん!?」
「スグルー! 寝るなー!」
俺が覚えているのは、前にリュックを掛けていたから怪我をしなくてよかった、というところまでだった。




