第六十三頁
どうやら、この世界は本当に緑が多いようだ。
地面を見渡せばそこらを埋め尽くすように雑草が生えているし、山や森に川まである。
水の国へ向けて北の方角を目指す俺たちだったが、どうにも川沿いを歩いているからといって、そんなにうまくいくわけでもないらしい。
俺たちの目の前に現れた雑木林を、川は突っ切っていた。
そのため、単純に川を追うことすら難しくなっていく。
「はあ……。どうしようか。このまま進むか?」
林の中は丘陵があり、歩くのが容易とは言い難かった。
ラランは気に登って上の方をはしゃぎながら伝っているが、メグルには少々疲れが見える。
「でも、戻ってもこの林が広がってるだけでしたよ」
「そうなんだよな……」
結局、辛くともこの先に進まなくてはならないということなのだった。
一応、川はまだ見えているが、丘陵に出来た小さな谷の下の方を流れているのが確認できる程度だ。
このままでは、いつ見失ってしまってもおかしくはない。
方向感覚がなくなる林や森で、川を見失うことは絶対にしたくなかった。
何にせよ、川は生活に必要な水が流れている。
ただ単に、この川が流れてきている方向を目指すのではなく、そう言った面もあるのだ。
「きゃほほい!」
「ラランちゃん、楽しそうですね~」
疲れたとはいえ、ララン大好きなメグルは、その姿を見るだけでかなり癒されているようだった。
俺も、ラランが子供らしい意味で可愛いと思ったりはするが、それでも疲れが言えるかと言えばそれはまた別の話。
「おーい。あんまりはしゃいで落っこちるなよー」
数時間前まで、川で魚を獲ってくれたために着ているワンピースが水の重さでだぼだぼになっていたが、それももう乾いたようだ。
「にゃはっ! あたい、お猿みたい~。あ、違う。あたいはお猿じゃないのだ!」
「何言ってんだか……」
枝から枝へと飛び移る姿は、人型ということもあり確かに猿に見えないことも無かった。ララン自身が自分で間違えてしまうのも仕方ない。
種族自体は猫科らしいのだがな。
「あーー!」
不意に、ばきっという枝の折れる音とラランのただならぬ叫びが頭上から振ってきた。
見れば、本当にラランが降って来るじゃないか。
どうやら、慣れないワンピースの為、枝に引っかかってしまったのだ。
「ラランちゃん!」
「何やってるんだ……!」
秋の初め。
積もり始めた枯葉に足を滑らせながらも、俺はラランの落下地点に向かう。
「にゃ」
ラランが軽くてよかった。
何とか、その身が地面に落下するのを防げた。
「だから、あんまりはしゃぐなって言ったのに……」
「わははい! 面白かった!」
「面白いじゃないだろー。こっちは冷や冷やもんだってのに」
「でもスグル。あたい、だいじょぶだったぞ。ちゃんと着地できた」
「そうなのか」
「にゃんにゃんだからなーー! にゃんにゃん、にゃんわん、にゃあ」
「今、犬がいたな」
俺は、抱えていたラランを地面に下ろした。
その後、飽きたのか俺に言われたからか、ラランは気に登ることはしなかった。
そこらに生えているきのこを選別しては、食べられるものだけメグルのリュックに詰めていた。
林の中を歩いていて思う。
俺たちはずっと北に向かっていると思って歩いているが、川はうねり、どうしても真っ直ぐではない。
もちろん、流れている方向へと歩いているのだから、道を戻ったりなどしている心配は無いだろう。
けど、辿るだけではとんでもなく遠回りをしているのではないのか、と考えてしまう。
もう、かれこれ林の中で一、二時間は歩いたはずだ。
そう簡単に出られない事は分かっている。
それでも、進んでいる方向に確信が持てない以上、不安は募るばかりだった。
「メグル、疲れただろ?」
「大丈夫ですよー……」
うん、疲れてるな。
「無理するなって。メグルだって、もっと自分の事を考えた方がいいぞ。身体のこととかなんかは特にさ」
「でも、旅に出たいって言ったのは私ですから」
「だからって、体を壊していい理由にはならないだろ? 出来るだけ楽しい旅をしたいじゃないか」
「そうですね」
「じゃあ、こんな所だけど、今日はここにテントでも張るか」
「私、川でお水汲んできますね~」
「ああ、気を付けろよ。その辺滑るからな」
リュックから取っ手の付いた空き缶の様な物を取りだすと、メグルは川に向って行った。
「あ!」
俺もテントの準備をすべく、リュックから引っ張り出しているとそんな声が聞こえてきた。
「どうした?」
「ひゃーーーー!」
何気なく顔を向けると、メグルがお尻で斜面を滑っているではないか。
「だから気を付けろってぇ……」
しかし、メグルの滑る勢いが速すぎて、今から俺が追いかけても追いつきそうにない。
それほど危険も感じなかったから、俺はその様子を眺めていた。
「あうっ」
無事、木に激突して止まったようだ。
「えううぅ……。お顔とおまたが痛いですぅ~……」
正面衝突したメグルは、体の中心部を痛めたようだ。
「メグルー、水汲み代わるか?」
「いえ~……。行ってきましゅ~……」
「……まったく」
どうして、ラランもメグルもこう落ち着きが無いのだろうか。
注意力散漫というか。
いや、メグルの魔物を察知する勘というものが凄いのは俺も知っているけどな。
「そこから先は川だから本当に気を付けろよ~」
メグルが行ってしまうのを見送ると、俺はやっとテントを張る作業に入ることが出来た。
しかしまあ、我ながら良い判断をしたかな。
今はまだ日も出ているし、暗くなってから準備をするより断然良い。
水汲みだって、真っ暗の時とそうでない時では危険度が格段に違うだろう。
「さて、杭はっと……」
今日は平地ではない。
しっかりと四隅の杭を刺しこまないと、テントはすぐに崩れてしまうだろう。
ラランは寝相が悪いから、寝ている間に崩れて眠りを妨げられるなんてこともごめんだ。
「ラランー。ちょっと手伝ってくれ」
こういう時、ラランは何でも楽しくやってくれるから有り難い。
始めは怖がっていたが、今ならテントを張るのもなんてことはないだろう。
だが、いつもは呼べばすぐにやって来るラランが、どうしてか返事すらしない。
「ララン?」
辺りを見渡してもいない。
「ララン?」
かさ、と上から草木が落ちてきた。
見上げると、ラランはまた木の上に登っていた。
それも、随分と高い所まで登っている。
先の方は細いから危ないっていうのに……。
「おーい。またそんな所に登ってるのか。危ないぞー」
「…………」
何も応えてくれない。
ラランは、枝に座って足をぶらぶらとさせていた。
視線はどこか遠い目をしている。
「どうした。何か見つけたかー?」
「んー、何でもないぞー」
とは言うが、どうも何もないようには見えない。
「まあ、何もないならテント張るの手伝ってくれよ」
「んー……。わかった」
やはり何か気がかりな様で、ラランはもう一度だけ遠くを見つめ、すぐに下へと下りてきた。
「じゃ、俺が打つから押さえててくれ」
「んー」
槌を持って、俺はテントの固定を始めた。
◇◇◇
しばらく格闘して、やっとのことでテントを張り終えた。
夏も終わったためか、日はすっかりと落ちてきているし、涼しい風が吹くようになった。山ではないからそこまで冷えることはないだろうけど、それでも早めにテントを張っておいて良かったというものだ。
それにしてもメグルの帰りが遅い。
水を汲むだけだというのに、何をしているのだろうか。
「メグル遅いなあ?」
「…………」
テントが張り終わってからも、ラランはなんだか気の抜けたようにボーっとしている。
いつものようにはしゃぎ回らないのは、ちょっと心配だ。
「ララン、どうしたんだよ」
俺も同じように、土の上に座って肩を並べる。
「んーと」
「言っていいんだぞ?」
「うーん」
ラランはなかなか語ろうとはしない。
嫌なら特に聞き出す必要もない。
ただ、ラランが何かを悩んでいたとして、それを話す踏ん切りがつかないだけかもしれない。それならば話を聞いてやりたい。
俺は、話を切り上げるでもなく、ただ隣に座って待っていた。
どんどん辺りは暗くなっていく。
秋の虫が鳴き始めていた。
「あんね」
前置き鳴く、ラランが口を開いた。
何も言わず、俺はそれを聞き入れる。
「あたい、もっかいお家に帰りたい」
「…………」
何も言わないのではなく、何も言えなかった。
「さっきな、仲間の声がしたからそれでな」
「そうか……」
仲間の声。
はたして、それは実在する仲間の声なのだろうか。
ラランがいなくなった仲間に会いたいがために聞いた、幻聴なのではないだろうか。
ラランはまだ子供だ。その気持ちが強くなればなるほど、そういった現象を引き起こしてもおかしくはない。
そんな自分の気持ちを述べるのに、どうしてかラランは言いにくそうにしていた。
「ララン、言いたいことがあったらもっと言ってもいいんだぞ?」
「うーん、でも」
「あんまり自分の事を言うのは嫌か?」
ラランはそういう性格には思えないけど。
「そーじゃなくって、あたいが帰りたいって言ったらスグルとおねえ困るから」
「なんだ……。ラランまで俺たちに気を遣ってたのか?」
「木を使う? う~ん?」
ふざけているのか、そうでないのか……。
「とにかくな、ラランはそんなこと気にしなくていいんだ。困ったことがあったら俺とかメグルに言うんだぞ?」
「うん、そうする」
とは言ったものの、ラランが家に帰りたいということについては何の解決も出来ていない。
帰るったって、どこにも帰る場所はないんだし……。
俺はラランにどうしてやればいいのか。
「ぐおー!」
「な、なんだ!?」
突然、静かな山の中で地響きのような音が聞こえた。
まさか、食料の少ない季節だから、熊でもやって来たとか……。
「ララン、動物の気配はするか……!?」
こういう時こそ、ラランの野性的な能力の出番だ。
匂いかなんかで、いち早く敵の位置を教えてくれるだろう。
しかし、ラランは不満げに口を尖がらせたまま俯いていた。
やはり、話を聞くだけで解決してやれなかったからだろうか。
ただ、今はそれどころじゃない。
「……ララン、敵は? 動物は近くにいるのか?」
「そんなのいないぞ……」
「じゃあさっきの音は何だったんだ。ラランも聞こえただろ?」
依然として、ラランは俯いている。
その時だ。
「ぐおー!」
まただ。
またあの音が聞こえてきた。
腹を空かせた猛獣が吠えているのか。
「ほら、ララン! 今度は聞こえただろ! 腹を空かせた獰猛な野生生物が……」
「うん、お腹減った……」
よく見ると、俯いているラランの視線の先では、小さな手がお腹を押さえていた。
「ぐおー!」
「…………」
「おねえ遅いのだ……」
「そうだなぁ。でも、入れ違いになったらいやだからもう少し待ってようか」
落ち着いて、俺はもう一度ラランの隣に座った。




