第六十二頁
バステリトを出て、ちょうど一日が経った。
滞在期間が長かった所為で久しぶりの旅になってしまったが、それでもたった一日で、体はその感覚を思い出してきていた。
茶色くなりかけている猫じゃらしを片手に、先頭を楽しげに歩くララン。
夏も去り、ポカポカとした日の下で最後尾を歩く俺、そんな俺とラランの間を歩くメグル。
つい一、二カ月ほど前の旅が戻ってきた感じだ。
ふと、メグルの後姿に目を向ける。
やはり、旅をするのに最適な格好をと、アイルズにはドレス以外の服を用意してもらった。そのため、今のメグルの服装は、短めのスカートに綺麗な模様の入ったシルク製の上着といった感じだった。上着の前部分は、いくつかのボタンで留めるようになっていて、スカートの所為もあってか学校の制服のようにも見えなく無い。
一見、草むらなどに入ると足を傷つけてしまいそうなミニスカートだが、どうにも旅をするには一番適した服装らしい。
どうしてなのかは教えてくれなかったが。
まあ、目の保養にもなるから俺にとっても都合はいいのだ。
「スグルさん? このまま歩いてるだけでいいんですか?」
「そうだなぁ」
バステリトを抜けて一日しか経っていないが、さっそく街道らしき道は薄れていっていた。
「北の方に水の国があるらしいから、そっちの方に行ってみたいんだけどな」
「方角が分かるんです?」
「…………」
そう言われると困ってしまう。
分かるか分からないかのどちらかで言えば、まったく分からないからだ。
太陽の位置を見て方角が分かる、ような話を聞いたことはあるが、初心者の俺がそれをするには経験が足りなさすぎる。
変に知ったような行動をして迷うのはごめんだ。
だから、こうして街道沿いに歩いていたのだが……。
そろそろその街道も草に覆われてなくなりそうだ。
どうやら、バステリトは北の方へは領土を伸ばしていなかったらしい。
北の方へ向かえば自然と寒くなるから、生活環境が厳しくなる。それを考えれば当然のことか。恐らく、レイ王の先代はそれなりに考えて国を動かしていたのだろう。
でなければ、あんな欲望に塗れただけのガキにここまで国を広げることなど出来なかっただろう。
まあ、欲望に塗れていたからこそ、広げられた領土もいくつかはあったらしいが。
「スグルさん?」
「ああ、これから行く先だったな。どうしようか……」
「あ! お魚いた!」
先の方で、今まさにラランが川へと飛び込んだ。
「ララン……」
「捕まえたどー」
様子を見に来てみれば、ラランの手には魚が握られていた。
「あーあ……。せっかくもらった服がびしょ濡れだ」
「これ食う!」
「マッチがあるから後で焼きましょうか!」
「お、そうだな」
アイルズに貰った、兵士が遠出する時用の保存食であるクッキーやらはまだとっておきたいし、そろそろ腹も減った頃だ。
「じゃあ、ラランにもっと獲って来てもらおうかな」
「いいぞー!」
ばしゃばしゃと、浅い川で暴れるようにラランは魚を追い始めた。
遊んでいるように見えなくもない。
「……って、そうじゃないだろ!」
「どうしたんです? 大きな声を出しちゃって」
川岸では、すっかりキャンプムードのメグルが魚を焼く準備を始めていた。
「これからどの道に進むか決めないと……」
「そうですねぇ。でも、そんなに焦らなくても大丈夫です。のんびり行きましょう。お魚でも食べながら一緒に考えましょう!」
笑顔のメグルを前にして、俺も何だかのんびりしなければならないと感じてしまった。
しかし、どうにもメグルの一言が気がかりを生んだ。
焦らなくても大丈夫。
そんなことは十分に承知しているはずだった。
別の世界に渡り、時間はたっぷりあることも分かっている。
それなのに、俺は焦っているのか?
いや、そんなはずは……。
でも、メグルにはそう見えたということなのだろうか。
焦ってはいない。焦ってはいないと思っている。だが、そんな俺には焦る原因があることもしっかりと理解していた。
アクセを付けたこの右腕。
もう、アクセを外すことは出来ない。
恐らくは俺の腕がルーンストーンに寄生され始めているからだ。
腕だけじゃない。
寄生し始めたアクセは、いずれ俺の体内中から体力および生命力を吸い出し尽くしてしまうだろう。
そして最終的に、俺は魔物ならぬ魔者へと姿を変えて……。
だから俺は無意識的に焦っていたのだろう。
このアクセの外れない現象が、どう考えても身体への寄生だから。
「とれたー!」
もう二匹の魚もラランが捕まえてきてくれたようだ。
火を起こせる場所を作るため、俺もメグルを手伝うことにした。
「スグルさん」
「なんだ?」
「また、考え事してましたね」
「……まあな」
「スグルさんがちょっと悩んでるだけでも、もうすぐに分かっちゃいますよ」
「別に、悩んでるとかじゃ……」
「そんな事言って、いつも私に隠しますね~」
「…………」
そりゃあ隠しもするさ……。
メグルは、いまだに魔物化の事を知らないはず。
出来れば、この先も知らずにいて欲しい。
だが、知らないままメグルが魔物になってしまうのだけはごめんだった。
「お魚刺せました?」
「……メグル」
「あ、もしかして出来ませんでした? 私がやってあげますよー」
俺は、メグルが伸ばしてきた手を取った。
その左手には、俺と同様のアクセが備わっている。
「そうじゃないんだ。これから約束してほしい事がある」
「約束、ですか?」
「ああ、これからアクセをあまり着けないでほしいってだけなんだけどな……」
「アクセをですか……。どうしてです?」
「いや、それはだな……」
メグルが魔物化の事を知ったらどうなるだろう。
どうなるだろう、じゃないな。
俺はメグルを危険に晒させたくはない。
そのためにアクセを外すというのも矛盾を招きそうなものだが、アクセを付けていたって魔物になってしまっては元も子もない。
魔物化のこと自体も知ってほしくはない。
俺は、誤魔化すことにした。
俺自身の魔物化が、少なからず進行しているということも知られて、余計な心配はかけたくはない。
「で、出来れば、メグルには魔物と戦ってほしくないんだ」
「今までずっと戦ってたじゃないですかぁ」
「それはそうなんだけど……。せめて戦う時だけ着けるようにしてほしい、かな?」
「ふふふ」
「ど、どうして笑ってるんだよ」
「いえ、スグルさん、もしかして私の事心配してくれてるのかな、なんて思っちゃったので」
そうだよ。俺はメグルが心配なんだ。
安全とは言えないこの世界で、いつどうなるか分からないのだから。
メグルは、そっと俺の手から魚を取って木の棒に刺す。
「大丈夫ですよ。私、寝てる時なんかはいつも外していますし。というよりも、ずっと着けていると邪魔じゃありませんか? スグルさんも、たまには外した方がいいですよ~。手首が楽になります」
「そ、そうだな。俺も寝る時ぐらいは外しておくさ……」
「そうですよ~。着けっぱなしだと疲れちゃいますしね。ほら! お魚を焼く準備が出来ましたよっ」
集められた木屑を囲むようにして魚を並べ終えると、メグルはパッと立ち上がった。
「ラランちゃ~ん!」
もう必要ないというのに、ラランはまだ川で魚を獲っていた。
「スグルさん、これからは私のことなんかであんまり悩んじゃ駄目ですよ?」
「メグルのことなんか、だなんて……」
俺は、俺の意思でメグルを守りたいんだ。
それなのに、つい最近までだってメグルを攫われたりなんかしていたんだ。
これが心配せずにはいられない。
「もう食っていいかー?」
「あ、お魚に触っちゃ駄目です! あっちっちですよ」
「あっちっちかー」
ラランは、メグルに魚を刺した枝の部分を持たせてもらっている。
「スグルも食べろー。あたいが獲った魚だぞー」
「どれどれ、ラランは上手い魚を獲ってきてくれたのかな?」
こんな風に、平和な日々がいつまでも続けばいいんだけどな。
◇◇◇
ちょっとした腹ごしらえも終え、俺たちはまた歩き出すべく立ち上がった。
だが結局、食べている間は雑談やらなんやらで行く先の予定など決めていなかった。
「さて、どうしましょうか」
「どうするったってなー」
ここから先は街道もなくなる。
どの方角へ向かうかを決めなければ、進むに進めない。
「スグルさんは向かいたい場所があるみたいでしたけど、それはどこなんですか?」
「あー、それは水の国って言うらしくてな」
サプライズにしておきたいため、海のことはまだ内緒だ。
「そういえば、アイルズが川の上流に水の国があるとかそんなことを言っていたような」
「でしたら、この川に沿って進みましょう!」
辺りに別の川が流れている様子も無い。
この川も、俺がアイルズと見た川と繋がっているものなのだろう。
「よし! そうするか」
「スグルぅー」
「どした」
「さぶい」
「全身水に浸かるからだろ……」
本当に、こんな平和な日々が続けばいいのに――。




