第93話 錨を下ろす先
王都へ入って四日目の朝、セレスティーヌがギルドの建築場へ出ると、通りに連なった荷車の先頭で、イサリが綱をほどいていた。持ち上げられた帆布の下には、麦の袋と板材が積まれている。荷台の端へ腰を掛けた彼女は、近づいてきたセレスティーヌへ顔を向けた。
「港で積み替えてきた。どこへ下ろす?」
「食料は奥の天幕へ。材木は、こちらにお願いします。荷の代金と運び賃は、後ほどお支払いいたします」
「もう、これだけ人を集めたか。ずいぶん早え船出だな」
柵の奥を見たイサリの声に、セレスティーヌは隣へ来たクリストフと視線を交わした。弟が運び手を呼びに行く間に荷車を停める場所を空け、イサリをギルドの仮の仕事場へ案内した。
天幕の垂れ布を下ろすと、外の掛け声が少し遠くなった。卓の向かいへ座ったイサリに、セレスティーヌは深く頭を下げた。
「お約束を果たしてくださって、ありがとうございます」
「今度は、アンタの番だ。アタシらも、腰を据えられる岸が欲しい」
戻ってきたクリストフが隣へ座ると、イサリは上着から港の見取り図を取り出した。卓へ広げた紙の上で、爪が岸に沿って動いた。
「今回、荷を揚げた港だ。ここの一画を使わせな。船溜まりと、倉を建てる場所が欲しい。船を繋いで荷を集められりゃ、ここへ入れる麦も板も増やせる」
「青濤会の拠点として、お使いになるのですね」
「おう。誰を置くか、何を売るかは、アタシらで決める。その一画で商売を続けたい」
セレスティーヌは、岸を囲った線の内側へ指を置いた。昨日から、働き手を求める申し込みはクリストフのところへ届いている。ここへ来た人々は、弟が決めた仕事へ出て、用意した寝床へ帰ってきた。
けれど、この岸へは、青濤会が自分たちの選んだ人を置く。倉に何を入れ、誰と商売をするかも、そのたびにこちらへ尋ねることはない。
「港全体の管理と、入港の判断はこちらで行います。それでも、よろしいですか」
「そこまで寄越せとは言ってねえ。その一画で商売を続けられりゃいい」
クリストフが、岸に置かれたセレスティーヌの指のそばへ手を寄せた。
「今、使ってもらう場所は用意する。ただ、港へ入る荷が増えれば、岸の使い方も変えたくなるかもしれない。そのときに姉さんが決め直せる余地は残したい」
「倉まで建てて荷を集めてから、出てけじゃ済まねえ。風向きが変わるたびに舫いを解かされちゃ、商売にならねえだろ」
「先の使い方まで、今、全部決められるわけじゃない」
「なら、アタシらにも、先の商売をここへ繋げとは言えねえな」
イサリは図を卓へ残したまま、クリストフからセレスティーヌへ顔を向けた。爪の先が、倉を建てたいと示した場所に触れていた。
セレスティーヌは、指の下の岸を見つめた。倉が建ったあとで、ここに別の施設を置きたいと思うかもしれない。別の人へ仕事を任せたくなるかもしれない。それでも、一度渡した約束を、自分の都合で取り消せなくなる。
せっかく、わたくしが決められる国を作るというのに。
外で板を下ろす音がした。イサリとともに来た荷車から、人々の住む家へ材料が運ばれている。港に青濤会の倉が建てば、そこへ集まる商人や荷も、この国に商売の続きを残す。
この国で手放したくないものを、あの方たちにも持っていただきましょう。あの岸をお渡しすることも、わたくしが選べばよいのです。
「その一画の商売と人の配置は、青濤会にお任せします」
「姉さん」
呼ばれて弟と視線を交わすと、セレスティーヌは頷き、イサリへ向き直った。
「ここで交わす約束を守っていただく限り、こちらの都合だけで取り上げることはいたしません。拠点を使い続けられるよう、保障します」
「誰がだ。ブーケ家か」
「わたくしが、これから治める国が、お約束いたします」
言い終えると、岸を押さえていた指の力が抜けた。セレスティーヌは図から手を離し、イサリの返事を待った。
「アンタの国で、アタシらも錨を下ろすんだな」
「ええ。青濤会が商売を続けたいと思える港にしましょう」
「なら、潮路を繋ぐ。倉を建てる連中も、こっちから出すぜ」
差し出されたイサリの手を握ると、硬い指に掌を包まれた。隣でクリストフが姿勢を起こし、図の港口を示した。
「国側の担当も、こっちから送る。一緒に行って、任せる区画と、港の窓口を置く場所を決めたい」
「おう。帰りの一行に付けな。向こうの荷役も紹介する」
イサリが立ち上がり、垂れ布を持ち上げると、荷下ろしの掛け声が天幕へ流れ込んだ。
* * *
イサリを送り出したクリストフは、卓へ戻ってきても、しばらく港の図を見ていた。セレスティーヌがその横顔を見上げると、弟はこちらへ椅子を寄せた。
「姉さん。あの岸も、本当は自分で決めておきたかっただろ」
「ええ。少し、惜しくなりました」
「俺、残しておけると思ったんだよ。姉さんが決められるように」
図の脇に置かれていた弟の手を取ると、握り返す指に力が入った。
「守ろうとしてくださって、ありがとうございます。けれど、あの約束は、わたくしが選んだものです」
「分かってるよ。ただ、姉さんが欲しくなったときに、俺が空けてやれる岸じゃなくなるんだなって」
「ええ。あなたにも、今日のお約束を守っていただきます」
クリストフは握っていた手を引き寄せ、空いた腕を背へ回した。肩に額を預けられると、セレスティーヌも弟を抱き留め、まだ力の入っていた背を撫でた。
「……姉さんが、あそこで国の約束だって言ったとき、嬉しそうだったからさ」
「そう見えましたか」
「うん。あの岸も、姉さんが渡してよかったと思えるようにするよ」
背に置いていた手を髪へ移すと、クリストフの肩からようやく力が抜けた。天幕の外では荷下ろしの掛け声が続いていたが、セレスティーヌは弟を急かさず、その腕の中に留まっていた。
* * *
午後、空になった荷車が帰り支度を始める頃、クリストフが港へ送るギルドの職員を連れてきた。セレスティーヌは書き留めた取り決めに港の図を添え、青濤会へ任せる岸を示した。
「港へ入れる船の判断は、あなた方へお任せします。青濤会にお渡しする場所も、わたくしの名で引き渡してください」
取り決めを受け取った職員へ、クリストフが帰りの荷車を示した。青濤会の運び手が席を空け、港までの道中を一緒に行くよう招いている。
イサリは荷車の脇で足を止め、セレスティーヌへ顔を向けた。
「約束の岸は、向こうで受け取るぜ」
「ええ。あちらで商売を始められる日を、お待ちしております」
帰りの荷車が動き出し、車輪が石畳の継ぎ目を越えた。セレスティーヌはクリストフと並んで道を空け、青濤会の一行に加わった職員が、外門へ続く通りを遠ざかっていくのを見送った。




